『鐘鳴れば人が死ぬ』セントラル文庫 松本正彦&桜井昌一の共作
だいぶ前から、その存在自体は確認できていたのですが、読む機会が無かった本作品、先月2017年6月下旬に昭和漫画館青虫さんを訪問した際、やっと読むことができました。
既に旧聞に属することでありますが、昨年2016年、「ハクダイのカカク」管理人・ハクダイは、故・松本正彦さんの御長男である松本知彦さんに2度ほど御会いする機会に恵まれました。2016年には「松本正彦・知彦・親子展」、「松本正彦・切り絵展」が開催され、「アーテイスト・松本正彦」の業績を振り返るにふさわしい年だったと思います。不定期ではありますが、松本正彦関連の話題をシリーズとして綴っていきたいと思います(2017・6・13)。
1.単行本表紙と前書き相当部分
二人の作家が一つの作品を共同で仕上げる、このようなマンガ制作スタイルがどれほど一般的であるのか?共同制作の定義からして難しいのですが、その問題はさて置きまして、この作品の構成は次のようになっています。
冒頭と終盤部分を共同で制作(同一ページ内に二人の筆致が混在)、全体の約半分(前)を松本さん単独で描き、後半を桜井さんが描く。
松本制作部分、桜井製作部分の両者間の、作劇上の関係性、ストーリー展開上の必然性はあまり濃くない(どちらかと言えば希薄でしょう)。共作部分の最終盤にて、両者の描くキャラクターが不幸なカタチで出会うのですが、この演出を劇的とみるか?行き当たりバッタリ?と見るか意見の分かれるところでしょう。
2.松本担当部分の概要
死んだ妻の姉の家に居候している男とその娘(父娘)。父娘に対する姉の態度・行為はキツク、冷たいもので父娘は肩を寄せ合うようにひっそりと暮らしている。難な経済状況の中、父は娘を学費の高い音楽学校へ通わせている。経済的な困難と姉の非情さが、温厚・善良な父を追い込み、いつの間にか父は犯罪に手を染めていってしまう。
善良な中年男が、あっさりと殺人に身を委ねるまでになってしまう様を淡々と描写する。父はゆっくりと狂っていっているのかもしれない。もし自分が、この父の立場だとしたら、同じようにゆっくりと変調をきたしていくのではないか?そんな恐怖に捕らわれる、リアリティー度の高い内容かと思います。。
3.桜井担当部分の概要
世間から虐げられて育った少年・幸田仁。自らが意図しないカタチであったが、二人の人間の死(事故死とされたが)に関わった少年・幸田は、やがて社会へ出て働くようになった。鐘の音が聞こえた時に殺人が起こる、という奇妙な事実に思い至った幸田仁は自分の生まれた故郷の教会で、自らの不幸な出自の秘密にたどり着く。鐘の音と殺人に関連性はあるのだろうか?
妄想と客観的事実に曖昧なところがありますが(作劇上、大事なポイントですが)、桜井氏らしいミステリーとなっています。幾分脱力系?と解釈されることも、まま在るでしょう。下書きとなる、あるいはインスパイアされた海外のミステリー小説の桜井氏なりのマンガによる再構築なのかもしれません。
4.ページ割り詳細
全体のページ割り、制作担当については以下のようになると推測。下記数字は各ページ印刷のノンブル(ページナンバー)です
・2~5:冒頭:松本&桜井の共作
・6~7:見開きの扉部分、松本&桜井の共作。タイトルの描き文字は松本と推測
・8~81:松本単独
・82~154:桜井単独
・155~159:松本&桜井の共作
5.実際のページを幾つか紹介
↑作品冒頭のカラーページより。共作部分。
↑見開きトビラ部分。共作だろう。タイトルの描き文字は松本だろう。
↑物語終盤部分の共作部分(3枚)。
↑松本さん単独部分。
↑桜井さん単独部分
6.その他興味深い点
(1)制作年は?
制作年が1960年と考えられる、奥付日付は無いのだが、松本正彦氏は作品中に制作年月をクレジットすることが多く、1960年制作と推測できる描き込みがある。また、劇画工房脱退後に使っていた『劇画ファストプロ』(ファーストとする場合もあるようだ)のマークが確認できる。
(2)浮浪者らしき男が歌う歌。
作品冒頭のカラーページに登場する浮浪者のような男が作品最終盤にも登場し、冒頭と同じ歌(と思われる)を歌います。
歌詞を引用しますと(カッコ内はページ)
・冒頭:
月影は夢路をてらして(2P) 歓びは果てしもなし(3P)
なごりの夢 朝日に消えて(8P)
・最終盤:
月影は夢路をてらして(155P) なごりの夢 朝日に消えて(158P)
一人帰る さみしさよ(159p)
興味深いのは、これらが松本・桜井の共作ページにあり、全て松本の手によるコマだということです。なかなかに凝った演出と言えるでしょう。また、この歌自体が、実際に存在したモノなのか松本正彦のオリジナル曲(歌詞)なのかは不明です(判断出来ない)。
(3)巻末の広告
劇画全集・・・商業的な必要性に駆られてのシリーズ名かと思いますが、劇画という言葉が業界に定着するまでの期間が極めて短かったと言う証左と言えるかもしれません。組織としての劇画工房の存続期間には諸説ありますが、1959年(昭和34)のほぼ1年としても、翌年1960年には違和感なく業界で通用していたのだと思います。また、この作品は、当初の目論見としては劇画全集6集として、松本正彦単独作「誰が殺した」として企画された可能性もあるでしょう。
2017.7.10記す