カテゴリー別アーカイブ: ハクダイのブログ

今さらだが「新編ゲゲゲの鬼太郎」5巻を入手。

水木しげる作品は、あまり多くは所有していないのですが、『週刊少年マガジン』に1980年代半ば頃連載されていたこの新編シリーズの「鬼太郎」5巻を最近ようやくネットで購入し、今さらの全6巻コンプリートです。

 

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単行本表紙。表紙に辰巳氏の筆は入っていないと思われます。

 

このシリーズに作画スタッフとして辰巳ヨシヒロが参加していることは、今となってはよく知られています。詳しくは辰巳氏の自著「劇画暮らし」、「劇画漂流」(講談社文庫版下巻)の年譜を参照のこと。

連載当時から新編シリーズの「鬼太郎」に辰巳さんの手が入っていると気づいていた人がそこそこいるようで、ハクダイもその1人です。
、、とは言ってはみたものの、自分の中でほぼ99.99%辰巳さんの仕事だと確定できる箇所と、確定しずらいがどうも辰巳さんの仕事っぽい微妙な箇所があり、いちファンとしてはこれを永遠の謎として楽しもうと思っている次第です。

 

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この辺りは、辰巳氏の手が入っているかと思われます。

 

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『アックス』No.104「追悼辰巳ヨシヒロ」を読んだ

『ガロ』は毎月欠かさず購入していた時期が長かったのですが、『アックス』については、たまに気になる特集があった時に購入するというスタンスで、ハクダイはそれほど熱心な読者というわけではありません。

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せっかくなので最初から最後までしっかり読ませいただきました。インターネットで情報を得るのに慣れてしまった身には、雑誌に接する事の面白さや、webとのリテラシーの違いを改めて気づかせてくれる良い機会でした。

以下、ハクダイの覚え書き風にまとめました。

●辰巳追悼関連

・つげ義春インタビュー(聞き手 兜田麟三 2015.3.17 調布にて)
辰巳作品に影響されたつげ作品。そして、めぐり巡ってつげ作品より影響を受けている「辰巳作品」。オルタナティブコミックの一つの流れとして見逃せない事実でしょう。

・池上遼一寄稿
昭和19年生まれと、劇画工房メンバーたちの次の次の世代に当たる池上氏の語る当時のマンガ業界の話題は興味深かったです。
ハクダイとしては、(年齢はあまり変わらないのですが)水島新司氏、影丸譲也氏などは「劇画工房メンバーの次の世代」という括り方をしています。

・アトス竹本(メールインタビュー)
竹本氏の、辰巳作品をヨーロッパに最初に紹介した功績はもっと知られるべきでしょう。モンマルトル共和国・大使でもあります。7ページに及ぶ長文で、フランス等のBD(バンド・デシネ)についてもわかりやすく言及されています。

・浅川満寛(劇画史研究)氏の「辰巳ヨシヒロと日本の初期オルタナティブ・マンガ・シーン」
産業としてのマンガ、表現としてのマンガというように、「マンガ」にはいくつもの側面がありますが、マンガに対する偏った見方が世間には流通し一般化されていることにハクダイは危惧感を感じています。そんな意味でもこの浅川氏の寄稿は大変的を得た、的確な内容だと思いました。

 ●その他

・しりあがり寿「コイモソレ先生」
55回と、長期連載中の作品。しりあがり氏の『朝日新聞』連載「地球防衛家の人々」は毎回楽しく拝読しております。

・蛭子劇画プロダクション 隔月蛭子劇画プロダクション社内報#36「ラーメンって必要ですか?」
「劇画プロダクション」「社内報」ときたか……。
アックス今月号の中では(辰巳氏の特集を除いて)ダントツの破壊力。

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……私見ですが最高。大好きです。
詳しくは、購入(または立ち読み)を。

 

ハクダイのGW東京ある記。

ハクダイのフットワークは残念ながらあまり軽くないほうですが、せっかくの長期連休なので、5日(月)、6日(火)と都内へ足を運びました。

●5日(月)

①神保町「夢野書店」にて『貸本マンガ史研究』の最新号24号(2期2号)を購入。
デビルキングの新書版が置いてあったので見せてもらいました。店員さんにショーケースから出してもらい、袋も破ってもらったのに結局購入に至らずで、恐縮至極。
雑誌版(少年サンデー)で電子書籍化されているものと内容は同じものだろうと推測しました。帯に2、3、4巻の刊行案内がありましたが、実際刊行はされたのでしょうか?

開館の11時まで時間があったのでちょっと早めの昼食を富士そばでいただきました。カレーカツ丼580円。

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ご飯の上に卵で閉じたロースカツとカレーの両方が乗っています。カツカレーではありません。カレーカツ丼、です。
うーん……、カツ丼にするべきでした。

 

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日本文芸社前にて。

 

②明治大学米沢嘉博記念図書館
300円の「1日会員」として入館しました。
閲覧室でPC検索をしましたが、1日会員は1980年以降は閲覧できないということもあり閉架書庫の資料は利用しませんでした。閲覧室の『マガジン』、『ビッグコミック』のバックナンバーを頼りに、さいとう・プロの脚本スタッフについて少し調査することができました。
今さらですが、「無用ノ介」の脚本担当者の全容など、個人的にいくつか気になる案件があります。5、6話分については、全て小池一雄脚本だとわかりました。

1階では「~没後20年展~ 三原順 復活祭」が開催されていました。この辺りは全然詳しくないのですが、没後20年というのはファンにとっては感慨ひとしおでしょう。会場は熱心なファンの方々でいっぱいで、皆さん真剣に展示物を見ていました。

常設の米沢氏のコレクションの展示、蔵書ギャラリー(まんがとサブカルチャー)が大迫力な内容でした。展示の性質上、手に取って確認することはできないのですが、博物的な感じで楽しめます。じっくり見ているだけでハクダイは満腹でした。

方向音痴なものでして、なかなか現地に辿り着けませんでした。スマホのマップナビがないとどうにもなりません(涙)。

③現代マンガ図書館
こちらもやはり、スマホのナビに頼りきり。ハクダイの事前準備が甘いのですが。
ここに来るのは20数年ぶりです。300円の入館料を支払い、手書きの作者別リストをチェック。貸本は別にリスト化されていました。
1970年以前の古いものを閲覧するためには一般会員になる必要があります。
こちらへはまた日を改めて足を運ぶことにします。貸本マンガの蔵書約10,300冊……この世に1冊だけ、ここにしかない本もあるんでしょうねえ。

●6日(水)

遠縁のKさん宅でKさん、TN、Sさんと歓談。その後、TNさんと出かけることに。

①まんだらけ中野書店
GW中ということもあって、中野駅からブロードウェイまでの道にはたくさんの人、人、人でした。
ビンテージマンガコーナーが目当てでしたが、他の店舗を見るのも楽しいものですね(といっても、正直個人的にはそれほどピンとこないものばかり)。欲しいマンガがたくさんありましたが全く手が出ずでした。

②新宿ディスクユニオン
本館で、日本のロック、オルタナ系を中心にいくつかのフロアを巡りました。最近のシーンの動向をフォローできているとは言い難いハクダイです。それでも、こんなものもリリースされてるんだあ、と興味をそそられました。近年のレコ掘りブーム?にはあらためて感じるものがあります。

パンクマーケットで、ミニコミ『ING’O! No.2』を発見。当たり前のプレミア価格でしたが購入しました。もちろん付録のソノシートつきです。

 ……以上、ハクダイ東京ある記でした。お粗末様です。

GW青虫訪問記「影26集(号)・山森ススムの似顔絵入選発表」を発見。

昨日5月2日(土)、ほぼ1年ぶりに青虫へ行ってきました。館長の高野さんとも1年ぶりの顔合わせとなりましたが、温かく迎えていただきました。

ハクダイが滞在していたほんの数時間の間にも、観光で只見町を訪れていた数名の方々が入館されていて、懐かしい雰囲気を味わっておられました。この雰囲気は、都市部で育った若い方には異世界でしょう。木造の建物をスリッパ履きで歩くというのは、近年はなかなか体験できるものではないでしょうしね。

あれこれ取り出して眺めていたら面白いページを見つけました。日の丸文庫の『影』26集(号)に、「山森先生の似顔絵入選発表」というコーナーがありました。似顔絵コーナーの類いというのは今でも存在するのでしょうか?マンガのキャラクターの似顔絵コンテストは、ハクダイが10代だった1970年代には確実に存在しましたが、最近はどうなんでしょう?全く廃れているかもしれませんねえ(あいにく、まだ確認していない)。

このコーナーは、北王路竜之介などの「山森ススム作品」のキャラクターの似顔絵を募集し、入選佳作を山森先生が選ぶという趣向。1位~3位までの入選と、30数作の佳作作品がそれぞれ掲載されていて、このコンテストに対する関心の高さが伺えます。第3回の似顔絵コンテストとのことですが、1、2回目の作家さんがどなただったのか気になります。何回目まで続いたのでしょうか。

ちなみに、この『影』26集(号)は、昭和33年(1958年)の暮れ頃の刊行と推測されます。

「劇画」を検証する。「続・少年マンガのスタイルの変遷」米沢嘉博を引用しつつ(その1)

しかしながら、「劇画」というコトバも、もう既に死語になりつつあるように思う。20代、10代の人たちに実際に 聞いて見た事はないので、なんとなくでしかないが。

ストーリーマンガの成立を1950年頃として、1950~2015年の65年間。劇画というコトバが一般的になったのが1970年とすると、70年を境に20年と45年に分けら れる訳だ、単純に考えて。

別冊太陽 子どもの昭和史 小年マンガの世界Ⅱ 昭和35年→64年 構成米沢嘉博・1996』所収の「続・少年 マンガのスタイルの変遷」という米沢さんの一文が、劇画なるものが浸透していく様をわかりやすく書いて いるので、以下、米沢さんの文より「引用」しながら(及び一部省略・要約)「劇画」についてあらためて考えてみます。、論調を変えず一部文章を変更しております事あらかじめご了解下さい)。

劇画が貸本マンガより一般のマンガ雑誌へ移り、急激に認知度を高めて行く様子が分かり易く説明されています。

(1)貸本劇画が少年マンガ誌になだれ込んでくるのは昭和40~42年(1965~1967年)
*それ以前にも貸本の世界から雑誌へ登場していた作家としては、

①極めて限定的な発表ではあったが、昭和34年頃の  さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、つげ義春、がいた。

②早い時期に雑誌に移ってきた例としては、白土三平(サスケの雑誌少年での連載など)、川崎のぼる、がある。

(2)本格的な「劇画」として雑誌に登場するのは、貸本界が衰退し、月刊誌が危うくなり、週刊誌が急成長 を始める昭和40年(1965年)。

(3)水木しげると楳図かずおがこの年(昭和40年)、少年雑誌にデビュー。劇画調のリアルな描 写は怪奇物と相性が良かった。

(4)実写物(映画やドラマ)のマンガ化にあたっても、より実写らしくという意図を背景に、よりリアルな絵 柄の作家たちが起用されていく。

(5)子どもたちは成長するにつれ、、単純な記号的な絵より、線が多く、情報 量も多い絵柄を好むようになってくる。昭和40年は、時代の変化とともに読者の成長期とも重なっていたことが、劇画を一躍主役へ押し上げていく。

(6)昭和40~44年(1965~1969年)、まだ少年マンガ的なものと劇画は混在していた。記号的に整理され、大量生産 システムへの道を歩み始めていたマンガは、劇画勢力に対し、線の数を増やし、背景を描き込み、キャラ クターを大人っぽくするという方法で時代を生き延びようとする。

(7)生き延びた従来のマンガ家の系譜の代表格が、石森章太郎、つのだじろう、桑田次郎ら。マンガに劇画的なテクニックの一部を取り入れながら変化さ せていく。

(8)このドラスチックな変化の中、旧世代の描き手たちは多くが脱落していく。

以上 引用と要約終わり。ここで、見落としてならないのは、このドラスチックな変化は、短期間(2年から3年間程度)に起こったということだろう。旧世代の脱落は、あっという間という感じだったのではなかろうか?劇画というコトバが、社会に定着する速度より、実際に劇画で使われて来た技法が従来のマンガに定着していく速度の方が速かったと思うのである。

次回も、この米沢さんの一文を引用紹介したい。