2024年、旧知の昭和マンガ愛好家Kさん(関西在住)の御好意により、でっかい奴を読む機会に恵まれました。連載の一部では無く、「完全・全編」ですから、今更ながら信じられない思いですね。
たまたま入手していた週刊少年マガジンで1回分のみ読んだことがあるのみで(かれこれ20~30年くらい前の記憶ですが)、読む機会は無いだろうなあ、と半ばあきらめていただけにKさんの御好意に感謝の念でいっぱいですね。ちなみに、このマガジンを処分してしまった事を後悔しております(苦笑)。
佐藤まさあきの二冊の著書にて、記述された情報が、この作品に関する「入手可能な情報」と言っても言い過ぎでは無いかもしれません。
週刊少年マガジン(講談社) 1967(昭和42)1号(1月1日号)〜30号(7月23日号) 全30回の連載
検索(2024.12.25)すると次のような情報が出てきました
→まんだらけの販売商品ページ でっかい奴の私家版
→松崎あけみのブログ 週刊少年マガジン昭和42年13号を一部紹介
九州から尊敬するマンガ家・袋三太郎(フクロサンタロウ)を頼って、マンガ家として大成する、というでっかい夢を持って上京してきた大道寺凡太(ダイドウジボンタ)の奮闘を描く青春快作、といったところでしょうか。凡太は、袋三太郎の作品を「子どもたちのために愛情をそそいで描かれた立派な作品」と高く評価し、袋三太郎に心酔しているます。ですが、実際の袋三太郎は「世間的には無名のさえない貧乏マンガ家」です。
まあ、佐藤まさあき氏本人が「失敗作」と書いているように、作品としては、デタラメというか、作劇としては破綻している?部分が多すぎますが、興味深く読みました。
袋三太郎が、かつてのマンガ家仲間で、今は多数の連載を抱える大人気作家となった「佐古正」に借金できないか?と訪ねる回では、永島慎二の漫画家残酷物語を思い起こしました。佐藤まさあき自身もどのような気持ちでこの作品を描いていたのでしょうか?
今や死語となったも言える「劇画」ですが、劇画という言葉がどのように社会に浸透して行ったか?を検証する意味でも、また、佐藤まさあきにとっての「劇画」とは?を考える意味でもなかなかに興味深い作品ですね。
・2025.1.2公開