カテゴリー別アーカイブ: ハクダイのブログ

怪奇貸本収蔵館第三号 竹内寛行編

昨年購入したままで、まだ読めていなかったマンガ類をGWに読み進めた。標記もその一冊ですが、血痕、吸血婆の二作品を収録。血痕は、作画「竹内八郎」、吸血婆は「なるみ・寛」とそれぞれ、作品扉にクレジットがあります。

そこそこ貸本マンガというジャンルに関する知識はある、と自分では思っているので(自負というほどでは無い)、そんなに驚きませんが(苦笑)、近年の「商品としてのマンガ作品」ばかりを目にしてきた方にとっては、不快感に近いくらいのインパクトがあるかもしれませんね。いや、怪奇モノなり、ホラーものの熱心なファンにしてみれば、ヌルイのかもしれませんが。

自分自身は、怪奇、ホラーの差異が分からないくらい、この分野には、あまり興味が無いですが、作品として、創作物としての「破綻」が少ない故に、この二作品は魅力的です。特に乱暴で粗野な男(まあ、ありがちな程度)が、金の魔力にとりつかれて殺人に手に染めていくくだりは、なかなかに読ませます。怪奇貸本収蔵第三号竹内寛行編

2018.5.7記

アックスVol.122

アックスの122号が出ました。相変わらずの読み応え十分感ですね。

第20回アックスマンガ新人賞選考結果発表があります。電子書籍の普及が加速していくなかで、紙媒体にこだわるアックスという雑誌の存在意義を改めて考えさせます。1980年代の一般的な商業雑誌のマンガを現行の視点で見ますと、古臭いな、当時はこんな感じだったなあ・・とか思いますが、ガロ系、アックス系の作品は、1980年代も2010年代も関係なく存在するように思います。80年代の作品と2010年代の作品をごちゃ混ぜにして無差別に抽出しても全然違和感が無いというか。

「夕暮れへ」刊行記念対談として 齋藤なずなさんと近藤ようこさんの対談があります。男性社会、とかよく言われますが、やっぱり女性には、敵いませんねえ、いろんな意味で(汗)。時代の閉そく感なのか、成長の後の後退の寂しさ・儚さなのか?なんだかよく分かりませんが、やはり転換期?なんでしょうかねえ。

2018.4.23記。画像は公式サイトより借用させて頂きました。

大江戸力士伝 無法岩十番勝負 『どすこい無法岩』

平成30年1月29日発行、SPコミックスB6判。いわゆるコンビニコミックです。武本サブロー氏のクレジットのみで、さいとう・プロのクレジットは無し。オリジナルの単行本には脚本協力、K・元美津の名がありますが、こちらには標記が有りません。

①雑誌掲載『どすこい無法岩』⇒②単行本化⇒③このコンビニコミック、という流れになりますが、①②③の詳細な内訳(違い)や書誌的なデータは調べ切れていません。

 雷電為五郎が活躍した時代舞台にした、青春相撲モノという感じですが、超人的バトル的な格闘モノというわけでは無いですね。娯楽作品と言ってしまえばそれまでですが、無法岩のキャラクターが、血が通った、感情移入できる存在となっておりまして、30年前の作品という感じはしませんね。どのような年齢層の人たちが購入するのでしょうかねえ?

大江戸力士伝 (2)

2018.4.11記す。

出勤前の桜見物

きのう今日と出勤前に職場近くの桜スポットに立ち寄ってみました。両方とも、規模は別として公園と呼ばれる場所でして、7時半という時間帯ですから、歩いているのはほぼ皆無な状態です。

アルコールがあまり飲めない、かつ花粉症モチな自分がつくづく残念だなあ・・・と。

O公園20180403 (1)-1280

O公園20180403 (3)-1280

O公園20180403 (2)-1280 パノラマ写真です。最近のスマフォは凄いです(苦笑)

2018/4/3記す。

桜の季節に思うこと

桜と言えば桜・・・なのですが、花見≒アルコール摂取と認識できるようになった約30数年前から杉花粉症に悩まされてまして、この時期は出来るだけ外出を控えたいモノです(苦笑)。花見へ出かけたモノの結局、花粉症で辛かったという思い出しか残っていないですね。まあ、いわゆるアレルギーを持っている人は結構な数居るかと思いますが自分の場合は、杉花粉に対してだけアレルギーが出るようで、通年を通してアレルギー症状に悩まされる分けでは無いので、まだマシと考えるべきなのかもしれません。

新年度、新学期の時期ですが、ここ数十年、自分の周囲では大きなイベントは起きていないですし(苦笑)。

桜といえば、結局、坂口安吾の「桜の森の満開の下で」が、真っ先に頭に浮かびますね。

オリジナルの小説よりの派生作品についても、映画化、コミカライズ等、幾つか接してきましたが、近藤ようこさんのコミカライズは秀逸だと思います。あくまでも、自分の想像ですが、安吾は、この作品の舞台(時代や場所)を明確にイメージしているのだけれど、あえて、小説作法としては読者への情報提供を最低限にしている、と考えます。(なんか多くの研究者・愛好家が居る分野なので、ゼンゼン違ってたら恥ずかしいなあ、苦笑)。あえて、時代と場所を特定できないようにする、という事なのかもしれません。

近藤ようこさんの作風は、近年のマンガの感覚としては、描き込みが少ないのですが、この情報量の少なさが、原作の味わいを損なうこと無しに、コミカライズとして成功している一因のように感じます。イタズラに情報量を増やせば、リアリティーが出るわけではない、そんな風に考えますね。

2018.3.28記す。