カテゴリー別アーカイブ: ハクダイのブログ

声でつづる昭和人物史:さいとう・たかを

NHK第二放送のカルチャーラジオ ラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史 〜声でつづる昭和人物史:さいとう・たかを1、2 ということで、 2024年2月19日、2月26日に放送がありました。(それぞれ30分)。

 解説はノンフィクション作家の保阪正康さん、聞き手は宇田川清江さんで、NHK保管の当時のアーカイブスをそのまま放送する分けでは無く、現在の視点で保坂さんがあらためて解説します。

 宇田川清江さんという方、どのような活動をされている方なのか全く存知あげないのですが、漫画/マンガというメディアに対する認識が古いというか、いかにも昭和の常識人という感じですね(あくまでも個人の感想、そして私自身はそういう考え方を否定はしませんが、近年の若いリスナーさんにとっては逆に違和感があるかもしれません)。ですが、さいとう・たかを氏の打ち立てた金字塔~ゴルゴ13連載50年超~の凄さが際立つという皮肉的な結果となっているかもしれないですね。昭和平成令和と続く半世紀、スゴイ長期間ですよ(苦笑)。

 ゴルゴ13の長期連載を可能にしたものは何なのか?は考察に値するテーマだと改めて思いますね。

 しかし、漫画家は垢を落とさないと生き残れないと説かれた高校生の漫研の人たちに、同情しちゃいますね。雲の上の存在である大人気作家の漫画家先生に、そう説かれてもねえ(苦笑)。

以下は番組サイトよりテキストをコピーしました。


「声でつづる昭和人物史 〜さいとう・たかを」1

「わたしの青春ノート」 教育テレビ 聞き手:佐藤敏彦アナウンサーと杉並高校漫画研究会

劇画家のさいとう・たかをは和歌山県の生まれ、終戦後、アメリカのコミック本に夢中になります。家業の理容業を引き継ぎますが、漫画家になるため21歳の時に上京し、仲間たちと「劇画工房」を結成します。昭和62年5月に教育テレビで放送された「わたしの青春ノート」では、漫画との出会いや、プロの道に入るキッカケについて、また問題児だった中学時代、その後の人生に大きな影響を受けた担任の先生のことを話しています

「声でつづる昭和人物史 〜さいとう・たかを」2

「日曜喫茶室 絶滅保護種・いい男」 平成13年5月6日 FM 聞き手:はかま満緒

劇画家のさいとう・たかをは、24歳の時に制作会社「さいとう・プロダクション」を設立し、分業体制で「劇画」を制作する仕組みを作りました。この体制で制作したのが、その後大ヒットした「ゴルゴ13」でした。平成13年5月にFMで放送された「日曜喫茶室 絶滅保護種・いい男」では、自身の原点である戦争体験や「ゴルゴ13」制作のいきさつ、またその主人公の「デューク東郷」の人物像についても詳しく話しています。

2024.4.6アップ。

 

 

摩天楼全体像に迫る:その1〜前説的なモノ

 

摩天楼/兎月書房の全体像に迫る:その1〜前説的なモノ

 貸本漫画の歴史を振り返る場合、兎月書房より発刊された短編誌・摩天楼の重要性は、いまさら指摘するまでもない。

 ●以下要点としては

(1)全14号(集)が刊行された。判型はA5。別冊が1冊発刊されているが、こちらはB5判。

(2)昭和34(1959)年2月より月刊ペースで刊行され、最終14号刊行は昭和35年3月。別冊の発刊は昭和34年8月(8月2日発売と、摩天楼6号に告知(広告)あり)

(3)劇画工房の機関誌としての性格を多分に持っている。メンバーの動向を知ることが出来る情報が少なくない。  

(4)探偵誌あるいはハードボイルド誌としての性格を持っていた 摩天楼は劇画工房が責任編集している唯一の探偵誌です(3号の柱/コマ欄外のこと、当該ページは63pあたり)

 ●当サイト「ハクダイのカカク」管理人「ハクダイ」の摩天楼全15冊(別冊1冊含む)へのアクセス状況(2024年3月現在)

(1)所有:3冊 ⇒ 8,10,14

(2)個人所蔵をお借りした :3冊 ⇒ 5,11,別冊

(3)私設図書館や公共施設で閲覧:8冊 ⇒ 1,2,3,4,6,7,12,13

(4)web上の古書販売情報により1冊分の数%程度の情報がある:    1冊⇒ 9

★上記(2)(3)の場合、各号について、数%~80%程度と差異があるが、複写データないしは、写真撮影データあり。

 不完全なモノにならざる得ない事は、十分承知しておりますが、摩天楼、ひいては劇画工房の活動の実態へ迫ってみたいと思います。

 画像は、ハクダイ所有の三冊の書影(表紙) 8,10,14号。(画像clickで拡大表示)

 

※作成メモ 2024.4.6アップ。

 

声でつづる昭和人物史:松本零士

NHK第二放送のカルチャーラジオ ラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史 〜松本零士」1、2 ということで、 2024年2月5日、2月12日に放送がありました。(それぞれ30分)。

 解説はノンフィクション作家の保阪正康さん、聞き手は宇田川清江さんで、NHK保管の当時のアーカイブスをそのまま放送する分けでは無く、現在の視点で保坂さんがあらためて解説します。

 1は、「青春を語る」昭和58年10月13日放送分 R2(第二放送)の一部(多分)を採録

 2は、「ラジオ深夜便 明日へのことば 戦争平和インタビュー 人は生きるために生まれてきた」 平成30年8月16日放送 R1(第一放送) 

  知らない事も多く興味深く拝聴しました。(松本零士ファンなら当然知っていることばかりの内容なのかもしれませんが)

 松本作品は中学生時分にケッコウ読みましたが、松本零士検定があったら初級では無いですが中級にやっと足が掛かる程度なハクダイですが、今読んだら、新たな発見ばかりでたのしめるかもしれませんね。しかし、エロティシズムが強い作品の評価は、どんなモノなんでしょうかねえ?松本零士作品群にあって、意外に重要?のようにも思いますが。

 2024.2.18 記す。

坂口安吾生誕祭117(@新潟県)とJR普通列車旅 2023/10/19〜10/21

●坂口安吾生誕祭117が目的。ついでに帰路は乗ったことの無い只見線含めての全行程JR普通列車で俄か鉄道マニアに。ひと月前に新潟富山遠征したばかりなのでそれなりに葛藤ありですが思い切って出かけてみて正解でした。

 

坂口安吾生誕祭117

 

●2023/10/19(木)

午前中は通常通り勤務し。昼食を取らずに自宅へ戻り、クルマを庭に置いていざ出発。

高速バス:いわき駅前14:25⇒郡山駅前16:05 1,700円

高速バス:郡山駅前17:20⇒新潟駅前20:03 3,200円

高速バスの移動時は、ほぼトラブル無しで順調。昼食はいわき市の御当地ハンバーガーを食べる。いわき駅前バス待合所で、20分くらいの時間調整。郡山駅での時間調整は、ショッピングモールで、カバン、冬物の衣類、食品、来年の手帳などをあれこれ見る。普段ショッピングモールでブラブラする習慣が無いので、これはこれで楽しい時間。バスに乗り遅れたりする心配が付きまとうのが難。新潟行きバスに乗り込む前に、おやつ的に菓子パン1個。夕食は、宿泊先のホテル(新潟駅近く)へ入る前に、お一人様が利用しやすいように工夫された焼肉の店で食べる。アルコール摂取といきたかったが、ノンアルコールの酔わない系飲料+甘いモノとスナックで誤魔化して入浴後早めの就寝。

新潟駅近くのホテル宿泊⇒値段がリーズナブルで感謝感謝、限りなく軽食に近いですが、朝食付きで三千円代はありがたいです。

●10/20(金)

ホテルを7時前に出て、カフェ?でコーヒー(+結局サンドイッチも食べる)タイムでのんびりして、友人知人へのテキストメッセージ作成。

新潟駅よりの路線バス+徒歩数分で「旧市長公舎 安吾 風の館」に9時半頃に到着。

運営スタッフの方や、参加者の方と和やかに雑談のうちに定刻となる。坂口綱男館長の案内で街歩き。小一時間ほどのコースを堪能。坂口安吾が生まれ育った明治から大正にかけての頃とは、開発(宅地造成など)が進んでいるので、大分様子が変わっているのでしょうが、往時に思いを馳せる事ができた濃密な時間でした。

その後館内へ戻り、数十分の講話(坂口綱男さん&会館スタッフ)で「第一部の安吾のふるさとを歩く」は、終了。

・第2部 映像と朗読/講演 会場りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館スタジオ  13:30開始

 昼食は会場のある建物の最上階にある展望台併設のレストランで海鮮丼。日本海を臨める絶景の場所で、持ち込み可のようで、多くの高校生が利用していました。

 以下イベントの感想です(事実誤認などあるかもしれません事ご容赦を。当然ですが撮影録音は禁止でした)

 映像は2本。1つ目は、坂口安吾の生涯をダイジェスト的にまとめたもの、二つ目は、文学作品中の一文を音声により再構成し、そこに新潟の自然風景がかぶさるというもので監督のトーク(ご挨拶)もありました。

 朗読はフリーアナウンサーの女性による安吾作品「信長」の抜粋。

 講演は一時間半を超える密度の濃いもので、「わが人生の坂口安吾」、講師は作家の安部龍太郎先生。

 密度、熱量、内容自体の希少性なり確度、非常に濃密な時間を過ごせました。

 福岡県に生まれ育ち東京都内の区役所に公務員と就職して図書館での勤務。仕事をする上でも坂口安吾と大きな縁があり、坂口安吾と直接交流のあった方より聞いたリアルな坂口安吾像を伺った話。公務員の職を辞して作家として身を立てるまでの事、文学賞選考の実際、編集者と作家の関係性。

 徳に印象的だったのは

 ・白痴はソドムの市を意識した作品

 ・自分自身の力量を精確に見極める事の大事さと難しさ

 ・文学賞レースの過酷さ。応募者と選考で残る人を数字で的確に表現。

 ・チベット仏教?よりの影響 上からみている感覚、現行の価値観への懐疑。(阿部先生自身はインドでの経験で学んだ)


 

 終了後は小雨になっていましたが、路線バスで新潟駅へ。長岡駅までJR移動。あいにく小雨でしたが、駅周辺を少しブラブラ歩いたのちアルコール+スナックを調達。ホテル地近くのそば屋さんで、カツ丼の夕食。どんぶりにフタがしてあって、王道的なシンプルかつ丼で嬉しくなりました。

長岡駅近くのホテル宿泊。軽くアルコールを飲み入浴して10時頃には就寝。

●10/21(土)

ホテル建物にあるレストランでバイキング形式の食事。想定外だが成り行きで。食が進み、ごはん味噌汁系で。

 長岡駅よりのJR移動行程は↓

 

1021sat 長岡⇒いわき 鉄道移動 

只見にて、じゅうねんやきそば、ケバブバーガーを食す。また、菓子パン二つを只見にて購入し、只見線車中で食す。

閉館した青虫まで足を延ばしてみる。複雑な思いで写真撮影。

只見線はあいにくの雨模様だったが、満喫。紅葉の季節は考えただけでも凄そう。一人旅なので、二人連れの乗客さんが羨ましい。

俄か鉄道ファンとしては、やはりキツイ行程でしたが、ふだんの日常生活を離れてリフレッシュできました。


2023.10.28記す。

 

2023年9月 新潟県&富山県遠征 1日目

●出発前日詳細 9/7(木)

 仕事終了後いったん帰宅し、自家用車を自宅に置き、電車で「いわき駅」へ。早朝6時頃の高速バスに乗るためには、バス乗り場付近のホテルに宿泊するのがベストとの判断。クルマを数日間、どこかの駐車場に置くのは非現実的。早朝タクシーを利用して、自宅よりバス乗り場へ行くのも考えたが高くつきそうで、これも却下。

 いわき駅付近は、十代の頃から通学や買い物、習い事?等で、なじみのある場所なのだけど、ここ数年外出頻度が極端に減っているせいもあり、非日常感を感じ早くも旅行気分に。中国料理店で「レバニラ炒め定食」を食べて、ファミリーマートで旅行資金を出金。ショッピングモールラトブに立ち寄ってから、駅隣接のホテルへチェックイン。

 いわゆる前泊に、大きな出費は避けたかったこともあり、格安料金をネットで探す中で(カプセルホテルも選択肢に入る)引っかかったホテルです。キャビンタイプというのが、正直よく分からなかったのですが、入って直ぐに納得。QRコードでチェックインは2度目ですが、世の中動いてますよ・・・。入浴をさっさと済ませ、22時就寝。

 キャビンエリアと共用エリア(バス、トイレ、洗面所、&フリースペース)を行き来するのに都度、QRコードのある印刷物(スマフォでも可と思われれる)を読み取る必要があって、納得の現代感。シャワースペースのプライベート(セキュリティー)も申し分なく、いったん財布をロッカーに預けて時間損した気分。新しく出来たということもあるのか利用者は決して多くは無いという事もあり、静か、かつ清潔で快適な時間でした。結局ホテルの人とは一切顔を会わせなかったです(と言うより、ひょっとしたら常駐スタッフ的な方は居ないのかもしれません・・・。居ても最小限の常駐+リモート、なのかもしれませんね。昭和感丸出し?なワタシとしては、感心というか隔世の感というか。

 貸与してもらえる、ナイトウエア(パジャマ?、寝間着?)が上下タイプで厚手のズボンだったのが有り難かったですね。普段は就寝中に冷房を使用しないので、夜中に冷房で冷えすぎて体調崩すなんて、ことがありがちでして。

●初日 詳細9/8(金) 新潟観光 

 ここ数年、普段は寝つきは良いが眠りが浅く数時間おきに起きる、という状況ですが、エアコンが効き過ぎるのとエアコンシステムの発する異音?に落ち着かず、案の定、あまり眠れない夜でした。

 午前零時ちょっと前に目がさめてトイレ、午前4時に二度目のトイレ、そしてその後は殆ど寝付けず、で睡眠時間は正味5時間くらいでしょうか?5時ちょっと前にベッドから起き出して着替え、チェックアウト、コンビニで朝食のサンドイッチとおにぎり1個、PETボトルの緑茶を買って、高速バスの待合所に5時30分過ぎに入りました。

 早朝のいわき駅前は、ここ数年(10年以上前から?)再開発?が進んでいて、どこの町に居るのだろうか?という不思議な気分でした。記憶が定着するそばから街並みが変化しているようです。記憶事体の曖昧さと街並みの変化の両方だとは思いますが(と、思いたい)。高速バスの待合所でさっさと食事を済ませ(基本早食いなタチ)、郡山駅へ向かうバスへ乗り込みます。予約システムでは無く、予約なしで先着順に乗り込むシステムなので、人がたくさんいたら?とか少し心配してましたが、全くの杞憂で、乗車率は3割以下かなあ?。前から三列目の一番右側の席を確保できたので、車窓からの光景・風景を眺めながら、かつ、旅の記録ノートを取りながら、バスに揺られました。

 定刻より若干早めに到着した郡山駅前は22度(天気アプリによると)で幾分肌寒い感じ。通学中の高校生たちで賑やかでした。スターバックスが目に入ったので、コーヒー休憩。思った以上にお客さんの数は多くなく、人がたくさん居る場所は落ち着かない性分なので好都合でした。郡山駅前⇒新潟駅前の高速バスは、完全予約制、かつ一日に二便のみ運行、と言う事もあり、数日前に近所のセブンイレブンで受け取った予約チケットの日付と時刻を確認したりします。定刻8:20に郡山駅前を出発。車窓からの眺め重視で、前より5,6列目の通路右側(窓沿い)を予約していたので、高い山なみ、広がる水田を堪能しました。左隣りの席には途中から若いサラリーマン風な男性(20歳代か?)が乗って来ました。

 ほぼ定刻通りの11時前後に新潟駅前到着。新潟駅には約50年前に母と二人で来たという事実があるのですが、記憶は皆無。実際問題として、初めての新潟駅と言えるでしょう。コインロッカーに着替えの衣類を詰め込んだカバンを預けたり、トイレ休憩したり、工事中で経路が分かりにくく時間ロスしてたり。

 事前に新潟観光の大まかな案は考えていたのですが、循環観光バス12時新潟駅発に乗り込みました。東堀通六番町(マンガの家入口)で下車。あらかじめ調査してあった【とんかつ太郎】さんをグーグルマップを見ながら探します。珍しく?迷わずに、すぐ見つけられてラッキー。「新潟タレかつ丼の発症の店」との文字が踊りますねえ。 12:15入店で滞在20分くらい。4枚カツ丼@1100円。いわゆるカツ丼(この場合、ロースとんかつの卵とじ、煮カツ)が好きなので、新潟のタレかつ丼は気になっていました。一度東京中野のまんだらけ近くで、新潟タレかつ丼の専門店?で食したことはあったのですが、本場で食べてみたかったのです。ごはんの上に「かつ」が、そのまま乗っているだけのスタイル、そして、しょう油ベースの味つけになるほどねえ、でした。以前中野で食べたソレは「天丼のタレを思わせましたが、この【とんかつ太郎】さんのモノは、しょう油感が強い、と思いました。

 水島新司ストリートは金曜日の午後で歩行者も多くなく、じっくりと堪能。写真撮影も、いろいろアングルに凝ってみたりして(スマフォだけど)。12:55〜13:25 マンガの家。入場無料が売嬉しい。まず赤塚さんのコーナーが目に入り、順繰りに館内を見る。ああ、このマンガ家さんも新潟県出身なのかあ、知らぬ事が多く興味深い。近藤ようこさん、寺田ヒロオの書籍コーナーもあった。この両作家が新潟県出身は知っていたけど、今げんざいにあっては地味な?存在だと思うので嬉しかった。若い作家さんは知らない人ばっかりで、やっぱりアラカンですなあ。利用者が自分の他に1名だけだったような気がしますが、まあ平日のこの時間帯ですから、特別な事では無いでしょう。

 13:30に降り立ったバス停へ戻り、時刻表13:38(そんなに遅延無いと思う)の便に乗り、西大畑坂上(砂丘館入口)バス亭で下車。【安吾風の館】へ。バス亭からの道のりは、坂を上がる、大きなカーブを曲がる、と結構印象的。日本海が直ぐそばという立地のようで時間があったら海まで歩きたかったです。(歩くには遠い? その後案内地図を確認すると道のりにして500m程度?) 確かに見通しが良く、またどことなく海を感じさせる空気感はあるかと。

 ワタシは、そんなたいそうな読書家では無いのですが、いわゆる日本文学というジャンルには十代の頃から興味がありまして、とりあえず?個人全集を買い集めた唯一の作家が【坂口安吾】。機会があったら、訪れたいと思っていた場所です。一通り読んだ(目を通した)のは ちくま文庫版の坂口安吾全集・全20巻。まあ、どこまで読めている?理解している?かはかなりに怪しいのですが。最初webで情報収集をしたところ、展示の合間期間にあたるようで、特にみるべきものが無いのかなあ?と心配になり二日ほど前に電話で問い合わせしたところ、展示ありますよ、との回答で安心して、今回の観光ルートに組み入れました。

 入館料無料で他に利用者の姿もなく(ワタシが退出する間際に、おひとり様、20歳代と思われる女性の来館者あり)明治時代に新潟県知事さんが邸宅として使用されたという由緒ある建物自体と共に、展示物を堪能しました。「安吾と囲碁」と題された展示が行われておりました。囲碁というゲームそのものとそれに付随する人や文化、出来事などにそれほど詳しくないので、正直、楽しみ度レベルは低めなのですが、安吾ワールドへ少しは入り込めました。ちなみに、ここ数年の事ですが、ワタシは囲碁クエストというゲームサイトで13路囲碁を打ったりします。生身のニンゲン様相手の囲碁は数えるほどしか打ったことないです(涙)。まあ、かろうじて「生き死に」が分かるレベルですが、老後の趣味の一つに育ってくれればなあ・・・と思っております。正直、習い事の一つにしてもいいかも(苦笑)。それはともかく個人的に初めて知ってびっくりしたのは 「安吾賞」なるものの存在。その後調べると2006年が1回目で2015年までの10回までの実施(写真家荒木経惟氏、美術科草間彌生氏など、興味深い受賞者の名前が)。

 安吾の生地の記念の碑があると風の館の担当者さまに伺ったのですが、出先でかなりの確率で道に迷う方向音痴なワタシとしましては、時間的に厳しいかな?と躊躇しましたが、結局バスひと駅(停留所)分を乗り継ぎ行ってみる事に。西大畑坂上(砂丘館入口)バス亭で10分待ったのち、14:53乗車で北方文化博物館新潟分館前で下車(時刻表予定は14:57)。

 博物館分館(入場料350円(100円オフあり)⇒坂口安吾碑⇒旧斎藤家建物の塀前で写真撮影(入館せず)⇒降りた北方文化博物館新潟分館前バス停に戻り15:57⇒16:23新潟駅着。

 16:30新潟駅循環バス⇒16:34万代シティバス停 ⇒徒歩で新潟市マンガ・アニメ情報館(入場料160円(40円オフあり)⇒徒歩で新潟駅まで戻る。コインロッカーより荷物回収⇒ラーメン屋で夕食⇒アルコール飲酒と繁華街を散策するも気力体力無しでコンビニで飲料(アルコールなし)を購入しホテルへ入る(19:20)。ホテルの名前を間違えて別のホテルへ行ってしまい、予約が無い、といわれる(これまでにもあった経験。旅先では、こういうプチトラブルかなりの頻度に起きます。でもホテルの名前がヤヤコシイのも確かかと思う(←言い訳というか強がってる・汗)。バナナチップをひと袋完食、入浴後22時就寝。

 この日8日は、ワタシの住むいわき市は台風13号で大雨となったのですが、新潟市駅に11時頃降り立ってから、途中ごく弱い雨が降ったときもありましたが、折り畳み傘の出番は無く、天候に恵まれたと一日と言って良いでしょう。高速バス移動中は、曇り〜一時雨でしたし。

 

※北方文化博物館新潟分館 近年は、高齢世代年齢に近づいてきたせいか、古い日本建築の雰囲気が心地よいモノとなってきておりましす(苦笑)。まあ、最先端の建築物もオモシロいですが。全くの前知識なしに訪れましたが、係の方がこちらの質問に丁寧に応じてくれたことも大きく、有意義な時間でした。枯山水、腰掛待合・・・なるほど聞いてみるモノです。実際に住んでいた人の生活ぶりが伺えるますね。会津 八一(あいづ やいち、會津 八一)が晩年過ごしたとのことですが、その名を知ったのは考えてみれば安吾の著作だったかもしれません。アタシ自身の無知丸出しですが、坂口安吾、会津八一両氏は新潟市同郷だったわけですね。

※坂口安吾碑 2007年に設置と新しめということもあり、刻まれた文字も読めます。【私のふるさとの家は 空と海と砂と松林であった そして吹く風であり風の音であった 坂口安吾生誕の地】と刻まれています。坂口安吾の生まれ育った頃 1906年(明治39年)〜1922年頃(大正11年頃)とは大分様子が変わっているのでしょうけど、その碑は、幾分小高いところにある新潟大神宮という神社へ続く上り坂の傍らに在ります。現在は住宅も多い地域ですが、当時は林が多かった土地なのかもしれません。神社へ続く道ということもあり、一瞬タイムスリップしたような?あるいは、ある種の特殊な感覚を感じさせるような?気分になりました。

※旧斎藤家別邸と日本料理・行形亭 北方文化博物館新潟分館にお話しを伺っているときに、その名が出てきましたので寄ってきたかったのですが、前を通ってきただけです。日本料理・行形亭 は ギョウコウテイ? ではなくて 【いきなりや】と読むようです。イキナリテイ でも無いようですね。まあ、行形亭は予約無しで入れるのか?と確認が必要なくらいの high・ハイな、上流な印象の場所で、ワタシごときには99%くらい縁が無さそうな場所です。建物と、それを取り囲む塀、そして道。なかなか味わえないフンイキを楽しめました。

※新潟市マンガ・アニメ情報館 観光循環バスをウマく利用するなら一番最初にココを回るべきだったと後悔したけど、まあ仕方ない。バス亭を降りてから、地図アプリ(方角?)頼りに歩き進めたのですが、まあ迷わずにたどり着けたのはワタシ的には上々の出来(苦笑)。特別展示(テーマはトレンドの絵師さんたち的な内容)を見ようかとも思ったのですが、「ついて行けないなぁ、みんな同じに見える」的な感じになるのが明らか?でしたので、常設展のみ見ることに。時間をかけてじっくり見るというわけにはいきませんでしたが、見応えのある展示ばかりで満足でした。施設の性質上、万人受けするコンテンツが多くなると思いますが、何事も基本を大事にしたいので、啓蒙的な展示は好きとでもいいましょうか。金曜日17時過ぎの時間帯で空いていたのも大きいですね。

※新潟駅まで 徒歩で標識類を頼りに歩きましたが、これで迷ったら間抜けですね。就業時間、勤務終わりの時間帯ということもあるですが、人通りがそれほど多くない印象でした。


 

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 ※2023.10.2公開