弔鐘

『弔鐘・テンゴング/辰巳ヨシヒロ』を読む


前回のブログで紹介した増補版TATSUMI(青林工藝舎)に初めて収録となった本作は、巻末の収録作品解題で浅川満寛(劇画史研究)氏が言及しているように、「締め切りを一週間勘違いし、一晩でほぼ一気に描きあげた」いわく付きの作品です。芳文社/週刊漫画Times/1979年5月4日号に掲載された作品です。

余談ですが、青林工藝舎『大発見』巻末の年譜(作品リスト)には、1967年(昭和42)6月 弔鐘(未完)、との記載があります。ひょっとすると、これが、この「弔鐘・テンゴング」の原型に相当するのかもしれません。

この一晩で描きあげた状況については辰巳ヨシヒロの自著『劇画暮らし』に詳細な記載があります。アシスタント4名と共にまさに綱渡り的に制作した過程が、淡々とした語り口のなかにも、どこかユーモラスなものも感じさせつつ綴られています。幸いにも「コマ割りメモ」は二週間前に出来ていたようで、なんとかかんとか最終締め切りには間に合ったようです。

浅川氏も解題で「そのような状況で執筆されたとは信じがたいほど構成、ストーリー、描き込みとどこをとっても破綻のない佳作である」と、書いているように「締め切りを勘違いして一晩で描き上げた」という「いわく」とは無関係に、文句無しに面白い作品です。

昭和30年代後半(貸本マンガ時代に相当)に自らボクシングジムに通い、ボクシングを題材にした作品を「貸本マンガ」として、子ども向けではなく「大人向け」として明確な意図で以って描いて来た辰巳氏だけに、長年暖めてきた「本当に描きたい作品」であったように思います。

『名作・あしたのジョー』の類似点などをアゲツラウことは野暮というモノであろう。辰巳作品の主人公たちは、何がしかの「苛立ち」「怒り」「不満」「憎悪」などを抱えている事が多いが、合わせて「諦念」も持ち合わせている場合も多いように思う。しかし、本作の主人公「ボクサー・郡司哲也」が抱える「怒り」ないし「敵意」にまとわり付く「諦念」は極めて小さいモノのように思います。

 本作は結局、ボクシングの試合での事とはいえ二人の人間を殺めてしまった郡司の、その後については、描かれること無くエンディングを迎えますが、これについては、浅川氏は「辰巳が好きだった50年代フランスやイタリア」のネオリアリズム映画を思わせるような余韻を残すエンディング」と形容しています。

 尚、本作は扉を入れて全50ページ。扉含めた冒頭の4ページは「カラー」で、締め切りの二週間前に既に入稿となっていた、とのことです。辰巳作品の「カラーページを目にする機会は少ない」というのが実情かと思いますが、雑誌掲載時には、それなりに、カラー部分があったように思います。

弔鐘

辰巳ヨシヒロ『劇画暮らし』の316pより。平成16年(2004年)発行のスペイン語版より転載した扉ふくむ2ページ分です。