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青虫・高野館長インタビュー 2015年初夏実施


2015年初夏のある日、青虫・高野館長へインタビューする事が出来ました。

Hakudai(以下H):いつもお世話になっております。

高野館長(以下TK):いえいえこちらこそ。

H:青虫さんについては、まんだらけZENBUの取材が数多くありますし(青虫訪問記 60号掲載分で、8回目)、多くの雑誌や新聞に取り上げられてきたわけですので、いまさら、私が聞くような事は殆んど無いかと思いますが・・・。

TK:いえいえ、そんな事無いですよ。

H:とは言うものの青虫さんについて、詳しく知らない、全く知らない方も少なくないと思いますので、入門・青虫みたいな感じで、お話を聞かせていただければと思います。

TK:はい、わかることなら何でも(苦笑い)

H:オープンされたのはいつですか?

TK:2006年、平成18年の4月ですね。
H:自分が、最初にここにお邪魔したのは、2007年の6月でしたから、開館2年目だったんですね。そのころは、「漫画図書館青虫」と言ってましたよね。

TK:そうです。「昭和漫画館青虫」と改名したのは2008年。

H:蔵書は大体何冊くらいですか?

TK:約1万5千冊です。

H:昭和の漫画とひとくちに言っても幅広いかと思いますが、どのあたりが多いのでしょうか?

TK:昭和30年代の貸本漫画が中心ですね。年代を軸に考えれば、昭和20年代のいわゆる「赤本」から昭和60年代くらいまでの漫画という事になりますかね。ですから、リアルタイムで、これらの漫画を読んでいた、という人は、だいたい40歳代以上という事になりますかね。

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青虫の館内。入口側にある受付付近。高野館長が座っています。手前にテーブルと机が写り込んでいます。

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青虫の館内。ドリンクコーナー(セルフサービスの紅茶やコーヒーなど)付近。昔懐かしい、大型のステレオセットが鎮座します。

H:漫画というメディアは巨大ですからねえ・・・。年齢層というか年代で全然イメージするものが違いますよね。

TK:1万5千冊の中で、収蔵の目玉になるような作品は、昭和20年代後半、~30年代前半(1950年~1960年)のモノが多いですかね。手塚治虫、水木しげるや桑田二郎、楳図かずおあたり。

H:収蔵というか展示というか、そのあたりはどのように?

TK:いわゆる開架式、本棚から自由に手にとって見れるような状態にしていますね。ですが、稀覯本などは展示室に「鍵付き・ガラスケース」を置いて、そこに「鑑賞用」に展示していますね。

H:その「鍵付き・ガラスケース」に入っているのは何冊くらいあるのでしょうか?

TK:およそ1,200冊ぐらいかなあ。

H:手塚治虫、水木しげる、藤子不二雄あたりの、レア本、ビンテージ漫画の極北みたいなのが沢山並んでいて圧巻ですよね。
 注:開架式収蔵やガラスケース収蔵の様子は青虫さんの公式サイトの「青虫館内のご案内」のページ(項目)を見てもらえれば、ある程度わかります。

TK:だいたいね(苦笑)。

H:B6判時代の貸本漫画が凄い充実かと思うんですけど、これは昭和30年前後くらいですか?

TK:時代的には、そうですね。これだけの数を一度に見るのは難しいかも。

H:A5判貸本時代、昭和31年くらいから昭和41年くらいですか、いわゆる短編誌が充実してますよね。

TK:刑事(デカ)、影、、魔像、青春、ゴリラマガジン、あたりが定番的な感じかな。少女向けが結構充実してると思ってますがね。泉、こけし、ゆめ、男子向けに比べるとビンテージ漫画の世界では、マイナー感があるかもしれないけどね。

H:貸本漫画は短編誌以外の個人長編ですか?まあ基本単巻でシリーズ物というのが多いでしょうけど、これも充実してますよね。

TK:まあ、白土三平の忍者武芸帳(全17冊)など、有名どころは有りますが、シリーズ揃いというと難しいモノが多いですよね。それでも、なんだかんだと、それなりに充実してるかと思いますね。

H:新書判の漫画の普及が始まったのは、昭和40年代初め頃という事すら、ビンテージ漫画ファンにしか理解されずらい事だと思うのですが?注:新書版とは、最も一般的なマンガ単行本のサイズのこと。集英社のジャンプコミックス、講談社の少年マガジンコミックスなど代表的存在。

TK:新書判の漫画に限れば、やっぱり、Dr.スランプあたりが一番新しいね(苦笑)。

H:新書版も、やはり古めのモノが多いですよね

TK:昭和40年代の新書判の主なところは、それなりに在る、といって良いんじゃないかな?カラー口絵付きのサンコミあたりとなると難しくなるけれど(苦笑)、若木コミックメイトとか、東考社ホームランコミックス、サンコミとかは。少女モノもあります。

H:比較的、新しいモノとなると(新書判を中心に)、けっこうマニア向けという感じになるのは仕方ないですよね。これだけ、漫画市場が大きいというか、漫画の数が多いと。注:時代が進むと、一作品(タイトル)あたりの巻数が段々と長くなってくる傾向があることも軽視できないかと思う。

H:個人的に結構意外に感じてるのですが、昭和30年前後から、こども向けの伝記漫画とか名作小説の漫画化作品とか、それなりに存在したんですね。
TK:注目される機会はあまり多くは無いかもしれないけれど、資料としては面白いと思うなあ(苦笑)。

H:手塚治虫~トキワ荘系の漫画家たち~現在のストーリー漫画の隆盛と、一般には理解されていますからねえ。

TK:そういう解釈で行くと、すっぽり抜け落ちちゃうよね(苦笑)。

H:いわゆる雑誌はどうでしょうか?この場合、貸本漫画の短編誌は除いてですが。

TK:雑誌はねえ、収集のポイントを絞るのが難しくてねえ・・・。月刊ガロ、COM、マンガ少年(朝日ソノラマ)、スーパーアクション、ビッグゴールドが主なところかな?

H:青林堂の月刊ガロは全部揃っているのですか?

TK:ガロは全巻揃っています。

H:いわゆる月刊誌とかは?

TK:昭和30年代の月刊漫画雑誌、少年、少女、冒険王、少年画報、このあたりについては、たまに問い合わせがあったりするんだけど殆んど無いですねえ。

H:究極のコレクションは雑誌ですよね?

TK:でも、現実的には難しいから。漫画に限定しないという感じで、創刊号だけを収蔵しています。まあ、ビンテージ度はそれほど高くないのが多いですけどね。

H:ヤングコミック(少年画報社)、プレイコミック(秋田書店)、ビッグコミック(小学館)の創刊号を手に取れるだけで、私なんかは大満足ですが(苦笑)。

TK:欲しいモノは沢山あるんですけどね(苦笑)。

H:いわゆる赤本漫画というのですか?昭和20年代の、おもちゃの仲間?みたいな漫画も、結構ありますね。注:赤本漫画(赤本マンガ)の定義付けも意外にヤヤコシイ。

TK:赤本の定義自体が難しいのだけどね。昭和20年代だけじゃなくて昭和10年代のモノもありますよ。

H:ああ、それは気付かなかったですね。

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丁寧に質問に答えてくれる高野館長

H:それでは、実際の運営についてお伺いします。

TK:はい、なんなりと。

H:あれから、もう4年になるんですね。2011年3月11日の、東日本大震災のときはどうしてましたか?

TK:青虫に居ましたよ。

H:本が本棚から飛び出るような事はあったんですか?

TK:いや全然。震度4くらいだったのかな?

H:同じ福島県内といえど、殆んど新潟県との県境近くにある只見町の青虫と、私の住むいわき市常磐地区では、全然違う状況だったみたいですね。私の住むところは海岸から10kmくらいのところですが、本棚が倒れて、中の本が床にぶちまけられた状態に・・・。幸い、物置の壁が若干損傷したぐらいで済みましたけど(苦笑)。

TK:それなりに大変だった?

H:3月いっぱいは、殆んど仕事も休み状態だったので、壊れた本棚を捨てたりしつつ、なんとか本棚の復旧を進めたのですが、丁度1ケ月後の4月11日に、また震度6強だか6弱だかの揺れが来て、元の木阿弥に・・苦笑。

TK:それは大変だったねえ。まあ、そういう物的な被害は無かったんだけど、物流がストップして灯油、ガソリンが入って来なかったのはキツカッタねえ。

H:ストーブ用の灯油ですよね?いわきは暖かくなってきてたから、ガソリン無しはキツカッタけど灯油無しは、あまり苦にならなかったです。

TK:只見は3月は、まだまだ寒いの(苦笑)。5月くらいまでストーブ使うから。まあ、なんだかんだ言っても、この年(2011年)も5月から開館したけどね。

H:まあ、いわきの場合、例の、空間線量(放射性物質濃度)の問題がありまして(苦笑)、毎日が慌しくて、今当時を振り返っても、何が何だかよく覚えていないというか、記憶が混濁混乱してますね。知人の身内が津波に飲み込まれて亡くなってたりしますし。

TK:ここ只見は空間線量とかは、気にするレベルでは無かったかも。

H:同じ2011年に記録的な豪雨があったんですよね?

TK:そう7月末。新潟県と福島県会津地方で。

H:これも同じ福島県内ですが、私が住むところとは大きな差があって(苦笑)。確かに、雨が続いていたような記憶がありますが。

TK:鉄橋が落ちて只見線は不通となるし、それは、もう凄い豪雨でしたよ。

H:高野館長は青虫に居たのですか?

TK:もちろん、開館期間中ですからね。でも、大雨だし誰も来ない(苦笑)。隣に住んでる方は床上浸水を被ったけど、幸い、青虫は床下浸水で、玄関まで水が来ない、という状況で済んで・・・。

H:本が一切濡れなかったのは、ほんと良かったですよ。でも、2011年は、福島県としては最悪の年でしたよね。

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青虫館内。壮観な眺め(苦笑)。入口を入って左手側の壁面の棚。

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青虫館内。入口を入って右手側の壁面の棚。

TK:2011年は、青虫の入館者数も、激減したしね。2006年のオープン以来、毎年増加傾向にあったのに、2011年は前年比1/3に落ち込んでしまって。

H:ありゃあ、それはヒドイというか悲しいですね。その後2012年以降はどうなんですか?

TK:それが、回復してくれるかと思ってたけど、2012年以降は横ばいなの。

H:入館される方はどのような方が多いのですか?

TK:来る人の傾向としては、一番多いのは、たまたま只見町に寄った方かなあ。①仕事、②観光、③通過点として只見を車で移動中に青虫の看板を見て。大きく言って、①②③に大別されるかな・・・・・。

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穏やかな雰囲気が印象的な高野館長

H:いわゆる漫画研究者の方も、よく見えられると聞いていますが。

TK:大学のゼミでの「合宿」先として利用していただいていますよ。

H:ええっ、合宿ですか?古い漫画を研究するわけですよね?なんか、自分が学生の頃から考えると有り得ないんですけど・・・うらやましいというか(苦笑)。

TK:研究者の方は外国の方も見えますよ。まあ、日本語が上手だったり、日本に長く住んでいるような人も居ますが。

H:これだけの資料を自由に手にとって見れるのは、研究者としてはホントありがたいですよね。

TK:そう言ってもらえると嬉しいね。

H:きょうは、どうもありがとうございました。

TK:いえいえ、こちらこそ。

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高野館長の笑みがこぼれます。

インタビュー応じて下さった高野館長に改めて御礼申し上げます(ハクダイのカカク管理人・ハクダイ)