タグ別アーカイブ: 湯村タラ

4.佐藤まさあき その破天荒な人生 

佐藤まさあきTOPへ

豊富すぎるエピソード

常識人であり、多趣味で多才。他人の面倒もよく見ていたという。
そして、常識的な人格に共存する破天荒でアブノーマルな性癖。
良くも悪くも、その強力なパーソナリティから生み出された作品群の完成度が高いのは当然のことかもしれない。

危険な輝きを放つ佐藤まさあき作品には、一度ハマッてしまうと、なかなか抜け出せない魅力がある

1.佐藤まさあき作品の魅力とは?

◎個人的な体験から

1964年(昭39)生まれの管理人ハクダイが一番最初に 目にした佐藤まさあき作品は何だったろう?「影男」だろうか?「野望」だったろうか?

 「野望」が一番最初の佐藤まさあき体験ではないのかもしれないが、貸本版の野望第1部の入手した事については鮮明に覚えている。記憶を手繰り寄せてみるのだが、15~17歳くらいの頃(1980年頃、昭和55年頃)としか言えない自分がもどかしいが。自分の住む地区にはいわゆる「貸本屋」は皆無であったが、通っていた小中学校の学区内の、少し「街中」な場所には貸本屋があった。友人に連れられて初めて入ったその貸本屋は、人生初の貸本屋体験だった。その店は、その頃は「細々とした営業」をしていたように思うが、全盛期はかなりの賑わいを見せていたと思う。残念ながらその貸本屋の名称なり屋号なりについては、連れて行ってくれた友人にも聞きそびれてしまった。友人は、おそらく小学生の頃から、その貸本屋に頻繁に出入りしていたようである。

 貸本屋の店舗としては、小さい部類、所蔵数もそれほど多くなかったように記憶している。多く見積もっても、2000冊くらいだったろうか?店主の男性は、70歳を超えていただろうか?

 新旧様々な本があったはずだが、当時の自分のマンガ知識では、年代の推測は困難であったはずだ。希少性や市場性という点で興味深いマンガ作品が他にもあったのかもしれないが、当時の自分の漫画知識ではもちろん判断がつかなかった。そんな状況下、佐藤まさあきの「貸本版・野望・1集」を手にとって、購入に至ったわけである。他にも1,2冊購入したような気もしないでもないが、野望の購入金額が幾らだったか?と合わせて、忘却のかなたにある。
「野望」第1集は、1963年(昭38)刊行であるから、その貸本屋は昭和30年代後期(1960年代前半)には、貸本業を営んでいた可能性が高い。
 ハクダイが、小学校高学年から中学生の頃は「少年チャンピオン」の勢いがある時期(1975年~1980年、昭50年~55年)で、確かに面白いマンガが揃っていた。チャンピオンの全盛期と聞いてピンと来る世代の方はわかるだろう。ジャンプには、あまり馴染めなかったのだが、チャンピオン、マガジン、キングは、ひと通り目を通していた。

 そんな、当時の雑誌に載っているマンガを見慣れた目には、貸本版の「野望」は、線(インク部分)の密度(量)が低く、絵がスカスカに見えた。そして、それぞれのキャラクターがこれまでに、見たことのない絵柄で描かれていた。何だこれ?

 講談社漫画文庫で読んでいた「倉金章介・あんみつ姫」、「桑田二郎・月光仮面」、当時、既に物珍しかった虫コミ版の「関谷ひさし・ストップにいちゃん」など、リアルタイムでは無い、「古いマンガ」でも、それなりに知っているつもりだったハクダイだったが、この貸本版「野望」との出会いは衝撃的だった。

◎フォロワーが結局出なかった佐藤まさあき

佐藤まさあき氏が率いた佐藤プロのアシスタントを経て、プロになったマンガ家は数多い。しかし、佐藤まさあき作品の持つ「情念」を受け継いだ方はほとんどいらっしゃないように思う。そもそも受け継ぐ事のできないほど、大きな存在であるともいえる。
佐藤まさあきの人気に陰りが出てきたのは1970年代の後期である。その原因は、復讐、怨念などの暗く重いテーマへの需要が少なくなってきたためといえるのかもしれない。消費社会が成熟期へ入った事とも無縁ではないだろう。
しかし近年、佐藤まさあきの主人公を彷彿とさせる「画風」を、巷にほとんど見かけなくなってしまったのはやはり残念な事である。
佐藤まさあき本人は、劇画工房が精力的に活動していた1959年の貸本マンガ状況のくだりで、次のように記述している。

画風もさいとう・たかをもどき、辰巳ヨシヒロもどきが氾濫していた。私は幸い主人公の睨んだ時の三白眼が真似しにくいの、模倣は出なかった。

活動していた詳細な時期は不明だが、昭和30年代後半に佐藤まさあきのアシスタントを務めた高橋まさゆきの画風が、極めて佐藤まさあきのそれに酷似していた。

◎抜群の構成力

真偽のほどは確かめようもないが、「テレビのシナリオライターや映画関係者が佐藤まさあきの構成を参考にしている」、という話もある。(参考文献:「『貸本マンガ史研究第15号』銃乱射音、そして硝煙の向こう側に-佐藤まさあき考」/ちだ・きよし)
なるほど、これは納得できる話である。参考にした文章によると、1961年(昭36)頃の噂だが、かれこれ半世紀も前のマンガ表現にあっては、確かに佐藤まさあき作品が持つ構成力は抜群だっただろう。「銃撃戦」の描写などの「短時間」、また数年間にわたる「大きな時間の流れ」、このどちらの構成も巧みだなと思わせる。佐藤まさあき作品の主人公は、しばしば、悩み、葛藤するのだが、この特有の「モノローグ的表現」が気にならない限りは、とにかくテンポ良く読ませてくれる。
さいとう・たかをが「新・劇画工房」を、さいとう・たかを、川崎のぼる、南波健二、ありかわ栄一(後の園田光慶)佐藤まさあきの4名で結成しようとするプランがあったが頓挫(1959年(昭34)の秋から暮れ頃か?)。この時、さいとう・たかをは、佐藤まさあきの「構成力」を高く評価していた、という話も伝わっている。

◎表現者として

表現欲求をストレートに原稿用紙にぶつける。これは、「表現者」としては、至極当然の事であろう。しかし、作品は「表現」であると共に「商品」でもある。自らの「表現」と「商品価値」の折り合いをつけるのは困難な作業である事は当然の事で、どちらを優先させるかには優劣はないと思う。佐藤まさあき氏は、とにかく、自分が描きたい、書きたいものを優先させた作家だったと思う。

◎文才があった佐藤まさあき

佐藤まさあきは、マンガ家・劇画家にしては異様と思われるくらい作品にまえがきやあとがきを書いている。特に貸本マンガ時代はそれが顕著で、ほとんど類を見ないくらいの長めの文章を頻繁に書いた。
また、代表作である「野望」の貸本版(1963~1964年(昭38~39)・全4冊)では、巻末に「放浪歌」と題した自伝(全4回・全20p)が掲載されている。「堕靡泥の星」のノベライズも自ら行っており、また、「赤井翔」名義でアダルト向けの犯罪物も出している。

●自伝の類

 ●劇画私史三十年 

 東考社桜井文庫 (33)/文庫版(A6版)/1984(S59)/定価800円 

後年の劇画の星をめざしてでは触れられていない箇所も多い。

●劇画の星をめざして

 文藝春秋社/ 四六版/1996(平8)/定価2100円(税込) 
副題は「誰も書かなかった<劇画内幕史>。 前著「劇画私史三十年」を更に、推し進めた印象の内容だが、匿名は少なく実名での記載が多い。その点も含め、貴重な証言・情報が多いと思います。巻末の「作品リスト」は重要である。
帯の惹文を引用

波瀾万丈、有為転変、まさに劇画並み 赤裸々に綴る自伝的[劇画界の50年

●『堕靡泥の星』の遺書 (副題「さらば愛しき女性たち」

 佐藤まさあき松文館/A6版/1998年(平10)/ 2.000円(税別) 

後に、「プレイボーイ千人斬り」(松文館/2000年(平12)3月)と、内容を一部改定の上、改題される。
 (登場する女性のプライバシーに配慮して、イニシャル表記と目線を入れる処置を施している。)
 女性遍歴を赤裸々に綴ったもので、エロ本的な読み物の要素も十分である。佐藤氏の仲間のマンガ(劇画)家たちの話題(掲載写真含む)が意外に多く、マンガ・劇画ファンにとっても侮れない一作となっている。

●ナンパ指南本の類

 ●ナンパの達人( 副題「掟やぶりの実践講座」「もてないヤツとはここが違う」

 KKロングセラーズ /新書版/1992年(平4)/840円(税別) 

解説ナンパ指南書として、この本が優れているのかどうか、この種の本にあかるくないためわからないが、著者自身の経験による裏づけがあることは確かだと思われる。カバーイラストは湯村タラ、本文イラストは松尾たかよし。商業的な要請からすれば妥当なイラストだと思うが、いちファンとしてわががまを言うなら、 佐藤氏が自ら描いて欲しかった。

 ●ストリートファッカー

 松文館/1994年(平6) 

●佐藤まさあき自身による著作など

◎堕靡泥の星のノベライズ

道出版より上下巻の2冊が刊行されている。
掲載雑誌は「小説官能読切」サン出版
掲載時期は調査中だが、下巻の著者あとがきによると次のような事がわかる。

①連載は7年間に及んだ。掲載時期は、文章から推測するに1980年代後半から1990年代前半にかけてのようである。
②「これまで劇画の仕事をしてきた私に、小説の作法などわからない。それでも私はがむしゃらに書いた」と書いており、ライター起用はなく、自分自身で執筆したと思われる(実際のところは不明)。
コミックからそのまま書き写した作品もあるが、いくつかのオリジナル作品もある。

この上下巻2冊の単行本に未収録の作品もあるようである。

●「赤井翔」名義作品

・日本強姦残酷史1 「異説・説教強盗」 著者「禁本研究会」名義
・日本強姦残酷史2 「少女誘拐魔」 著者「禁本研究会」名義
・日本強姦残酷史3 「実録・女体商人」著者 「赤井翔」名義
・日本強姦残酷史4 「小説・小平義雄 陰獣」著者「赤井翔」名義

◎マンガ原作者として

1990年頃、秋田書店のプレイコミックに「暗黒星」を連載。 画 :樹本ふみきよ、 原作: 錦城雅也の両名のコンビ作だが、原作の錦城雅也は佐藤まさあきのようだ。時期としては、小説版「ダビデの星」の執筆時期に重なるものと推測する。プレイコミックス(秋田書店)として2冊の単行本が刊行された。 

2.佐藤まさあきに関してあれこれ語る

◎ガンマニア~大藪春彦との交流

現在から見ると隔世の感があるが、1950年代から1970年代の銃器~ガンに対する人々の興味と憧れは、とても大きかったようである。現在でもその手のマニアは多く存在するのだろうが、当時と現在では「愛好」の質が大きく違っているのではないかと思う。少年あるいは成人男子の常識的な素養・嗜みのひとつであったように想像する。昭和30年代、佐藤まさあき氏は銃の写真が載った洋書雑誌を入手し、その写真を自分が編集する貸本マンガに貼りつけ大学生に翻訳させた解説文を添えた本を出版している。その本の反響はとても大きかったようだ(現在は著作権問題が厳しいので出版はまず無理であろう)。

※参考文献 (未入手のため詳細不明)

●ガンと西部劇

 小出書房/1961年(S36)/共著(宍戸錠、佐藤まさあき) 
※ゴーストライターの作であり著作はしていない、とのこと。

◎女性遍歴、ナンパ、不倫……

千人斬り」という言葉がある。佐藤氏がまさに「それ」を成し遂げた男と言われている。
 こういう特殊な話題は、一般的には憶測なり、風聞のような形で世間へ流布していくものだが、佐藤氏は自身の千人斬りについて堂々とセクシュアルバイオグラフィ的に著作で語っている
 上の佐藤まさあき著作で紹介した「3.『堕靡泥の星』の遺書」は、1冊丸ごと自分の性的な体験を綴った内容となっている。
17歳で童貞喪失、ロリコンに目覚める、ヤルのは3回まで、プレイ道に励む、乱交パーティー室、ビニ本に進出、という刺激的な言葉が目次に並ぶ。子供も何人かもうけており、2番目の奥様との結婚生活(法的な)は長く続き、一般的な社会通念からみて、常識の範囲内的な話題も少なからずあるのだが、うらやましいほどの破天荒ぶりである。また、現在の視点で見れば明らかに「犯罪扱い」になるのでは?と思われる事柄も少なからず書かれており(当時でも、反社会であることには違いないかもしれないが)本当なのだろうかと考え込んでしまう部分も多々書いてあるのである。
関係を持った女性の多くを実名及び写真入りで公開し、イニシャル表記は女性にとって失礼だ、とまで書いていた佐藤氏だが、プライバシーに配慮(イニシャル表記と目線入れ等の処置)した改定版(改題版)が2年後には刊行されている。当然、最初の方の版は絶版扱いになったようだ。
当然のごとく、最初の版(改定・改題前)は、古書相場ではプレミア価格となっている。

◎新規テーマの開拓

佐藤氏の個人的な趣味だった面と、ビジネス的な新規開拓の両方の側面があるかと思うが、熱心に資料を集めたり、独自の調査を自ら実施するなど、情報自体の新奇さと、それらを扱う際のスピードの重要性を熟知していたと思われる。桜井昌一氏と佐藤プロを興し、自社ビルを持つに至るまでの成功の軌跡は、まさに、ベンチャービジネスのそれであるだろう。

◎佐藤プロの運営とアシスタントたち

女性に対して発揮された異様なまでの好奇心と行動力で知られる佐藤氏だが、「経営」あるいは人を雇う点において、そのマネジメント能力は極めて高かったと思われる。パブレストラン「劇画館」の開業は大失敗であったかもしれないが、貸本マンガ~雑誌時代と計20年以上、多少の浮き沈みはあるものの人気作家であり続けてきた背景には、

①新規テーマの開拓、
②作画アシスタントの効果的な育成とその有効活用による量産体制の確立

があると思う。

◎佐藤まさあき率いる佐藤プロダクションでアシスタントをしていたマンガ家はとても多い。

佐藤まさあきは女性の造形をとても苦手としていたようで、ある時期を境に、女性キャラクターについてはアシスタントに描かせるようになっていたようだ。このあたりについては、自伝での佐藤氏の証言を参考に推測するしかないが、松森正氏がアシスタントになったあたりから、女性キャラクターの作画のほとんどはアシスタント頼みであったようである。
 貸本マンガ時代の概ね前半の時代あたりまでは、自分で女性キャラを描いていたように想像しているが、個人的に佐藤氏の描く女性は嫌いではない。実際のところ、佐藤氏が描いたかどうかも不明であるが。
自伝では、アシスタントの管理の難しさと、アシスタントに頼り切りになってしまうマンガ制作の難しさばかりが強調されているが、プロダクション制作としては十分に機能していたのでは?と一読者としては思っている。

◎原案協力者の存在そしてシナリオ協力者の存在

マンガ好きの間でかねてから話題になっている話の中に、「堕靡泥の星の原案としてクレジットされている『堂本龍策』なる人物の正体は?」という謎がある。雑誌掲載時、および雑誌の増刊号扱いでの総集編までは、原案「堂本龍策」とのクレジットがあるが、正式な単行本化の際には、原案クレジット自体が一切ない堂本龍策名義での原作マンガが他にも存在している事は確実だが、同一本人かどうかは不明である。
 佐藤氏の自伝では「堕靡泥の星」の創作に関するエピソードがいくつもそれなりに出て来るのだが、原案クレジットに関する記述はない。果たして、堂本龍策なる人物の正体は?
 また、原案提供またはシナリオ提供が他の作品でもあったのではないだろうか?とハクダイは推測している。これは、今のところ全くの想像でしかないのだが、「堕靡泥の星」がそうであったように黒子に徹していた存在がいたのではないかとひそかに考えている。単行本化の際にクレジットされないだけで、雑誌掲載時には原案なり、シナリオの協力者という事で、名前がクレジットされていた可能性も捨て切れない。

◎実兄の記本隆司氏の功績

桜井昌一氏と一緒に佐藤氏が「佐藤プロ」を設立したのが1962年(昭37)。桜井昌一氏の後を受ける形で出版業務を引き継いだのが記本氏。これ以降、1979年(昭54)の佐藤プロ解散まで、佐藤プロの実質的なマネジメントは記本氏が重要な役割を果たしてきたものと想像できる。自伝によれば、記本氏は、名字が事情があって佐藤姓ではないものの、まぎれもなく佐藤まさあきの実兄である。自伝でも、出版社との連載や原稿料に関しての交渉のくだりで記本氏の名が何度か出てくる。
佐藤プロの繁栄と佐藤作品のクオリティーが高かった事の背景には、記本氏の大きな功績があるものと想像している。