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1.劇画のエース、さいとう・たかを


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ゴルゴ13の生みの親。まぎれもない「劇画」のエース

さいとう・たかを氏本人及びその作品について、ここで多くを語る必要はほとんどないと思う。まぎれもなく「日本一著名な劇画家」であり、コミックの巨匠、マンガ界の大物、重鎮……。ここで「さいとう・たかを」に関してさらに駄文を書き連ねる必要はないのは重々承知している。
「手塚治虫が日本のストーリーマンガを確立した」という類いの、反論の難しい「通説」同様、「さいとう・たかをが劇画を生み出し育て上げた」という「通説」がある。いや、これら2つは単なる「通説」ではなく、学問的にも信頼できる「事実」なのかもしれないが、いずれにせよ、これらの検証が自分の手に余ることは確かである。
ここでは、劇画工房の8人の中心人物の1人であったという事実に着目して、さいとう・たかをの功績に迫ってみたい。

1.多くの情報にアクセスできる作家、さいとう・たかを

さいとう・たかを、そして「さいとう・プロダクション」作品についてはWikipediaをはじめインターネット上でも多くのデータにアクセスすることができる。
代表作「ゴルゴ13」は国民的な人気作品である。1968年(昭43)より「ビッグコミック」小学館にて連載が始まったこの作品、1度も休載がなく、単行本の発行部数は2億部とされる。
さいとう氏とさいとう・プロ作品に関する書籍も多数出版されている。また、「ゴルゴ13」関連本やweb上でのまとめサイト的なものも多い。
個人的には次の3冊がさいとう氏の業績を知る上で大いに参考になった。「ゴルゴ13」ファンは必読、そしてマンガ好きにもおススメである。

(1)「さいとう・たかを 劇・男 SAITO TAKAO GEKI・MAN」

 さいとう・たかを画業50周年記念出版/編集「劇・男」制作委員会/リイド社/2003年(H15)11月19日初版第1刷発行 

巻末史料として収録されている45p(2段組)に及ぶ「劇画風雲録」は、さいとう・たかを及びさいとう・プロについて時代を追って詳述されている。「さいとう・たかをの貸本時代」、「貸本マンガ文化」を知る上で一級の資料となっている。

(2)「俺の後ろに立つな」

 さいとう・たかを劇画一代/新潮社/2010年(H22)6月25日発行 

「原風景」「劇画」「シネマ」「流儀」「持論」の5章で構成される。さいとう氏の作品世界、さいとう氏自身の行動理念などが立体的に浮かび上がってくる。アーティストあるいはクリエイターとして認識される事が多いが、起業家、実業家として理解する、という視点が必要なのでは?という事に気づかされる1冊である。

(3)「コミックを創った10人の男 巨星たちの春秋 神様に導かれたアツき男たちの栄光の軌跡」

 編著:瀬戸龍哉/2002年(H14)5月5日発行/㈱ワニブックス 

取り上げられている10名は掲載順に松本零士、永井豪、さいとう・たかを、横山光輝、赤塚不二夫、ちばてつや、小池一夫、望月三起也、石ノ森章太郎、手塚治虫。
本書内の「さいとう・たかを氏インタビュー」の時期は1997年(平9)12月。インタビュアーの力量も大きいのだろう。プロダクション制作を確立するまでの経緯がわかりやすく語られている。

2.さいとう・たかをに関する2点のポイント

多くの有識者やマンガ研究者の方が語られている事なので、このような場所に書くまでもないことではあるが、改めてそのポイントをまとめてみた。

(1)分業システムを「マンガ制作」に持ち込んだ男

実際問題として、アニメーション制作やテレビドラマ・映画の制作同様、マンガ制作の現場では「分業」が多かれ少なかれ行われていると考えられるが、「分業化」を「組織的」に「近代的なシステム」として明確なビジョンの元に進めていったのがさいとう・たかをである。

大ヒットマンガの「△△△」は、作者の○○○先生が全て、あるいはほとんどを1人で描いていると思っている方も未だにいらっしゃるだろうが、現在は多くのマンガは、分業制をベースに制作されているだろう。

次の2点に、分業システムの本質が反映されていると考える。

①「原作」と呼ばず、「脚本」と呼ぶべきである、と発言している。

マンガにはいわゆる「原作」のある作品が多く存在するが、さいとう・たかをは「脚本」と呼ぶべきであると考えている。マンガ制作を、ストーリー作り(原作)と作画の2つの工程のみに分離すること自体が乱暴過ぎるという事だと思う。

②「アシスタント」を「スタッフ」と呼んでいる。

マンガ制作において、背景の作画を含め、構想から完成まで1人の人間が全て行う、という考え方が支配的であった昭和30年代初め頃より、1人でマンガ制作を行うことの限界を主張していた。分業はストーリー作りと作画の2つの作業の分離にととまらず、作画を対象ごとにに分離するという徹底したものである。人物、背景、メカニックなど、それぞれのスタッフが、得意分野で作画にあたっている。

「アシスタント」はすなわち「助手」であり、1人の「先生」の行う作業の手伝いをする、という意味合いが強い言葉である。「スタッフ」は、1つの仕事を仕上げるために、各部門を分担している人々(出典:新明解国語辞典四版・三省堂)であり、この2つの言葉を区別することの必要性がおわかりいただけると思う。

(2)最も著名な劇画家である 

実際問題、「劇画」という呼称が「死語」になりつつあるというのが、現在の実情だろう。だが、「日本マンガ界で有名な『劇画家』の名を1人だけ掲げなさい」という問いに対して「さいとう・たかを」と答える事に異論を挟む方はほとんどいないだろう。
当然ながら、その画風に影響を受けたマンガ家、フォロワーが続出した。「劇画」風な画風といえば「さいとう・たかを」っぽい絵、というイメージのあった時代が確実に存在した。
また、画風の「経年変化」が極めて小さいのもさいとう・たかを作品の特徴ではないかと思う。ゴルゴ13の最初期の頃と、2015年現行連載の作品を比較した場合、画風の違いは「それほど気になるものではない~ほとんど差がわからない」というのが、大方の読者の見方であろう。 さいとう・たかをがこの画風を確立するまでには相応の苦労があったようであるが、デビュー間もない時期から半世紀以上にわたって第一線で活躍している事は驚異的であり、心から敬意を表したい。

3.さいとう・たかを、その知られざる素顔

知られざる素顔、と書いてみたがさいとう・たかをほどの人気作家であれば、熱心なファンの間で様々なエピソードが知られている。ここではあらためて、よく知られているエピソードを掲げておく。

(1)別ペンネーム

さいとう・たかをの本名は「斎藤 隆夫」である。「さいとう・たかを」はペンネームに相当する。そして、さいとう・たかをマニアの方々の間では良く知られた事実であるが「小酒井京也」、「沖吾郎」という変名・別ペンネームを持っている。

  ①小酒井京也

小酒井京也というペンネームは、1957年(昭32)に刊行された雑誌形式短編誌『鍵・1集』に掲載された「豪雨・おおあめ」(全12p)執筆の際に使用されているとの事である。同誌には他に、楳図一雄(かずお)、さいとう・たかを、松本正彦の3氏が寄稿しており、さいとう氏は同一誌に2作を寄稿していることになる。
この『鍵・1集』の現物をハクダイは確認できていないが、さいとう氏は次のように使い分けをしていたようだ。
このエピソードは、上記1.(1)で取り上げた著書「さいとう・たかを 劇男」より引用させていただいた。

マンガ(劇画)⇒さいとう・たかを(終列車の乗客)

絵物語⇒小酒井京也(豪雨・おおあめ)

②沖吾郎

脚本スタッフとして制作に関わる場合に使用されるようである。現状、ハクダイは次の2作品しか確認できていないが、他にもあるように推測している。

「ゴルゴ13」:5話分「増刊7話 蝶を撃つ!!」「81話 海へ向かうエバ」「93話 夜は消えず」「203話 女カメラマン・キム」「249話 ルート95」(Wikipedia ゴルゴ13の項目より引用)

「いくさ餓鬼」作画担当の石川フミヤスの項で取り上げたのでそちらを参照のこと。

 

(2)プロデューサーとしての側面

アーティストとして認識される事はあっても、プロデューサーとして認識される事はあまりないというのが実情かと思われる。
劇画の制作の現場で、プロデューサー的な役割を自覚的にこなしてきたのがさいとう・たかをだと思う。

上記1.(1)で紹介した「さいとう・たかを 劇・男」中の「さいとう氏インタビュー」に興味深い発言があるので引用しておく。

分業システムについては、いろいろ批判されましたが、私は漫画界のためには絶対必要なことだと信じてやってきました。もし絵を捨ててプロデューサー業に徹していれば……これは私の人生の中で大きなミステイクです。
私が理想としていたのは、いろんな才能が核分裂を起こしていくダイナミックなシステムなんです。さいとう・たかをのためのさいとう・プロでは困る。
なまじ私が絵を描けるがために、才能が結集できなかったんです。もっと完成度の高い作品を作れたと残念でならないんです。

(3)実兄斉藤發司の功績

また、これまで、ほとんど表立って語られる事がなかったが、さいとう・たかをの実兄である、リイド社社長斉藤發司の、営業・経理を含む会社経営全般における功績も軽視できないであろう。

上記1.(1)で紹介した「さいとう・たかを 劇・男」には、斉藤發司が、さいとう・プロダクションの経営に参画するまでの経緯等についても記述がある。さいとう・プロの出版部門が分社化したのがリイド社という位置づけになる。

斉藤發司氏へのインタビュー(電子書籍ebookjapanでのリイド社創立40周年インタビュー・2014年)が個人的に大変興味深い内容であった。