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1.知る人ぞ知る?劇画の仕掛け人、桜井昌一に迫る


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桜井昌一とは……?

日本のマンガ文化の拡大と深化は著しい。「貸本マンガ」という小さな市場の中での「桜井昌一」の名はある程度重要であったかもしれないが、日本のマンガ全体においては一過去のマンガ家にしか過ぎないというのが適当なところだろう。しかしながら彼はマンガ家、そして編集者として、貸本マンガの栄枯盛衰に深く関わってきた重要人物である。かなりのマンガ通しか知らない存在であるだろうが、今後ますます桜井昌一の名が埋もれていくとしたら、全くもって残念なことである。

貸本マンガ史研究会による「貸本マンガ史研究・季刊13号」(2003年(H15)/160p)が、丸々一冊、「特集 追悼・桜井昌一」として、桜井氏の人となりと彼の残した作品について論じている。このことからもわかるように、それなりに「重要」なマンガ家であったことは間違いない。桜井氏を先行して研究されていた者の方々の仕事に敬意を表しつつ、かつ引用を踏まえて、桜井昌一の業績に多角的に迫ってみたい。

1.桜井昌一を知るためのキーワード

現行、世間に流通している桜井昌一に関する情報としては次のようなものがある。

(1)劇画工房の同人である

・「劇画発祥」という、マンガ史における重要な出来事に桜井氏が「劇画工房同人」として大きく係わっている。

(2) 辰巳ヨシヒロの実兄であり本名は「辰巳義興/タツミヨシオキ」である。

(3)「劇画漂流」(辰巳ヨシヒロ著)の原案者としてクレジットされている。

・ただし、単行本化の際にはクレジットが外れている。
・原案者のクレジットは、桜井の著書「ぼくは劇画の仕掛人だった」(エイプリル出版/1978年(昭53))が、資料として貴重な資料となる、という理由による。

(4)「東考社」の設立者である。

・貸本マンガの出版元である東考社を設立し、貸本マンガ業界の衰退壊滅後も、出版人・編集人として長く活動した。

(5)水木しげるとの係わり

・「オリジナル版・悪魔くん」(東考社)の出版に編集・出版という形で大きく係わっている。水木しげるが売れないマンガ家であった頃から、その作品を高く評価していた。
・ 「水木しげる」とその周辺を描いたNHKの朝のテレビドラマ連続テレビ小説(2010年度上半期)「ゲゲゲの女房」に登場する戌井慎二(演:梶原善)のモデルである。
・水木しげる作品に数多く描かれるキャラクター「出っ歯のメガネ」のモデルとしても広く知られる。

(6)ホームランコミックス/新書判コミックシリーズ

桜井が編集~出版した新書版判コミックシリーズの『東考社・ホームランコミックス』は、新書版マニアに根強い人気がある。
兎目書房より発行されている同人誌「いばら美喜のホームランコミックスがなんとなくわかる本」(2013年(H25)4月刊)の前書きで、著者のイヌダハジメが「ホームランコミックスを蒐集する事が絶版新書マンガコレクターの最終到達点となっている感さえあります」と記述している。この記述は、「ホームランコミックス」の重要性を的確に表現していると思う。

(7) 著書「ぼくは劇画の仕掛人だった」

 桜井昌一著/エイプリル出版/1978年(S53)刊行 

劇画の黎明期を知る上で貴重な資料となっている。この著作は、その後、一部改編されて、自ら出版する『桜井文庫』のラインナップとして2冊分冊で再刊されている。

(8)マンガ家としての活動歴

1955年(昭30)にデビューし、1962年(昭37)後半頃にはマンガ制作を断念と、比較的短い活動歴である。しかし、1966年(昭41)頃の『新書判・影』(日の丸文庫・光伸書房)には16p程度のマンガ作品を数回寄稿しており、1962年で完全にマンガ制作をやめたという訳ではないようである。コマもの的な作品についても考慮すれば、更に多くの作品が残っている可能性も捨て切れない。 勝又進との連名で「ふらりんこん・ 4コマ漫画傑作集」 (東考社)が出版されているが発行年月は不明(おそらく1980年頃)。

2.桜井昌一 略歴

*1933年(昭8)3月11日 大阪府大阪市天王寺に生まれる。
*1948年(昭23) マンガ制作を始める。
*1948~1953年(昭23~28) 結核に冒される。自宅療養、再発、再入院など、約3年に及ぶ闘病生活を送る。
*1955年(昭30)11月 「やまびこ先生」(八興(後の日の丸文庫))でデビュー。
*1956年(昭31) 『影』創刊号(日の丸文庫)に寄稿。
*1958年(昭43) 「関西漫画家同人」を結成・参加(山森ススム、石川フミヤス、K・元美津、岩井しげお、鈴木洸史らが参加。
*1959年(昭34)1月 「劇画工房」結成・参加。共に大阪在住であった佐藤まさあきと共に劇画工房の広報その他の活動を精力的に行う。
*1960年(昭35)1月 上京。2月、劇画工房の積み立て金を桜井と石川フミヤスの2人で山分けして後始末とする。
*1961年(昭36) 佐藤まさあきの「佐藤プロダクション」設立に参加。貸本マンガの出版を開始する。
*1962年(昭37) 「東考社」を設立する(佐藤プロダクションからは離れる)。A5判の貸本マンガを『ホームラン文庫』として発行(東考社より出版された本が全て『ホームラン文庫』であったかどうかは不明)。
*1964年(昭39) 「悪魔くん」など、水木しげるの著作を多数を出版(東考社)
*1966年(昭41) この頃、新書判のマンガ単行本シリーズ『ホームランコミックス/HOMERUN COMICS』を刊行開始。1969年(昭44)頃まで刊行を続ける。なお、東考社より、A5判で出版していた「貸本マンガ」は『ホームラン文庫』であるので混同しないように注意が必要。
*1969(昭44) 東考社より『水島新司ブック・トラ』を発刊(16号まで、発行期間の詳細は調査中)。
*1971(昭46) 雑誌『ガロ』(青林堂)に、連載読み物「劇画風雲録」を連載。1971(昭46)年11月号~1972(昭47)年12月号。この連載は、後に、単行本「ぼくは劇画の仕掛人だった」へ収録される。
*1972年(昭47) 印刷機を導入し、「印刷」工程も出来るような体制となる。その後1980代終わり頃(昭和末期頃)まで、印刷業も行う。マンガ同人誌の印刷や、地元の学校の印刷など、受注内容は多岐に亘ったようである。
*1975年(昭50) 『桜井文庫』の刊行を開始する。1980年代終わり頃(昭和末期頃)まで、このシリーズの刊行は続く。このシリーズの全貌は調査中。
*1988~2003年(昭63~平15年) 闘病生活に入る。この期間の東考社の活動状況は不明。
*平成15年(2003)4月4日 永眠(享年70歳)。

3.その業績と人柄を知るには?

桜井昌一本人の人柄や作品についての情報源は多くない、というのが実情であろう。以下は、桜井昌一を知る上で外せない資料である。

(1)自著 「ぼくは劇画の仕掛人だった」

エイプリル出版/1978(昭53)年11月/980円

後に改編改題され、2分冊で桜井文庫のラインアップとして刊行 1985年(昭60)6月)/ぼくは劇画の仕掛人だった[上巻]劇画風雲録/ぼくは劇画の仕掛人だった[下巻]人列伝/A6判(文庫版)/800円 

(2)桜井氏の業績を論じた物

貸本マンガ史研究第13号「特集:追悼・桜井昌一
 貸本マンガ史研究会/2003年(平15)9月発行 
・160p全てが桜井関係の内容である。

「とても変なまんが」ある律儀な劇画人の話━ 桜井昌一 (5p)
 唐沢俊一/早川書房/2004年(平16)刊行 

・当時の貸本読者ではないマンガファンによる「桜井昌一評」という点で特筆すべき内容である。

(3)インターネットからの情報

ウイキペディアに「桜井昌一」、「東考社」の項目がある。

4.「ホームランコミックス」の凄さ

(1)「ホームランコミックス」概要

昭和40年代前半に桜井昌一が設立した、東考社から刊行された「新書判」のマンガ単行本シリーズ。

(2)宣伝キャッチフレーズ

“ホームラン・コミックスは、大家新人をとわず内容本位に厳選した粒よりの傑作マンガ集です”

桜井氏本人によると思われるこのキャッチフレーズが、このシリーズの本質をズバリ言い表わしていると思う。

(3)シリーズ一覧

このシリーズについてインターネットで調べてみた。シリーズ全体の一覧リスト等、わかりやすくビジュアライズされた情報があればありがたかったが、残念ながらそれらを見つけることはできなかった。
上で紹介した「貸本マンガ史研究第13号」には、新書版の「ホームラン・コミックス」を含め、「貸本マンガ」時代の東考社出版物リストが掲載されている。このリストによれば、ホームラン・コミックスは「全85冊」とある。

(4)桜井氏のセンスが光る、粒ぞろいの作品たち

昭和40年代前半(1965~1970年)といえば、マンガ雑誌で連載されたマンガを自社で単行本化する事が今の時代のように当たり前ではなかった時代である。そんな時期に出版されていた「ホームランコミックス」は桜井氏の作家の人選のセンスが光っている
初期の「秋田書店・サンデーコミックス」や「朝日ソノラマ・サンコミックス」の作家・作品のチョイスも、現行の視点からするとかなり雑多に思われるかもしれないが、ホームランコミックスの自由さ・懐の深さ・多様性という点では秋田サンデー、サンコミックを圧倒的に凌駕しているといえるだろう。

(5)少々正確性に欠ける奥付

ハクダイは「ホームラン・コミックス」を、「秋田サンデーやサンコミックスをある意味凌駕している」と上記で紹介した。
となると、発行時期はどちらが古いのか、という興味を持たれる方もいるかもしれない。「そんなもの奥付で確認すれば良い」と思う方も少なからずおられるだろうが、東考社の出版物には、奥付自体はあっても発行年月(日)が記載されていないものが多々ある。
「新書版コレクター」の世界では、発行時期についてはある程度決着がついている問題なのかもしれないが、発行年月日が不詳というミステリアスな点もホームラン・コミックスの魅力の一つといえるのではないだろうか。

ちなみに、今手元にある3冊の奥付を確認してみると、

①スパイ死すべし
 /影丸譲也 年月日の記載なし 

②拳銃野郎
 池上遼一昭和44年1月19日(年月日の記載はあるが、この年月日が、何に該当するかは明示されていない) 

③そこに奴が
 山上たつひこ年月日の記載なし 

(6)「パンチコミック」について

東考社の出版物には「パンチコミック」と銘打って刊行された新書版シリーズも存在する。ホームランコミックスの姉妹シリーズ的な位置づけとするのは、少々乱暴であるかもしれないが、これまた、マニア心を刺激する存在である。正確な情報を持ち合わせていないが、少なくとも2冊確認している。
中でも「暗黒の帝王たち」(東考社編)が非常に興味深い内容となっているので紹介しておく。

収録作品

・ボスの引退/及川じゅん
・イカサマ野郎/納加たかし
・わるい奴ら/いずみやしげる(16p)
・受けて立つ男/関一彦

以上、4作品を収録。「いずみやしげる」は、ミュージシャンの「泉谷しげる」である。
 「わるい奴ら」、ストーリー自体は、「ヤンチャな若者が悪事を企てるも、彼らを待ちうけいていたのは意外な結末であった」というシンプルな内容だが、構成力の上手さと独特の味わいが印象的な、その後の泉谷氏の活躍も当然と納得する佳品であると思う。
泉谷しげるの才能を見抜いていた桜井昌一の眼力は確かであったといえるだろう。

☆いずみやしげる「わるい奴ら」は少なくとも2回書籍化されている。

1回目:「ヤングパンチ・2号」
 東考社ホームラン文庫/A5判貸本/定価200円 

 「わるい奴ら」の扉に
”いずみやしげる君、至急住所をお知らせください。郵便が戻ってきます”
との作者へ宛てた編集サイドからのメッセージが記載されている。

 「ヤングパンチ・2号」併録作品
「でくの棒君・海へ行く」/影丸譲也(助手:大山学)/「竜鉄也シリーズ2 受けて立つ男」 /関一彦/「ある雨の日に」/いばら美喜 

2回目:新書版「パンチミックス・暗黒の帝王たち」東考社編

3回目(?):掲載誌不明/A5判貸本 ~未確認情報~調査中~情報求む~

・うろ覚え情報で恐縮だが~
約30年前、1984年(昭59)頃にハクダイが所有していた貸本マンガ……短編誌のタイトルさえ覚えていない。泉谷しげるの大ファンであった地元在住の飲食店経営者のI氏へ、お世話になっている御礼にと、何かの機会に差し上げてしまった。
 ハクダイの記憶が正しいとすれば、この作品「わるい奴ら」(新人募集枠での掲載だったかもしれない)を見た桜井昌一が、作者いずみやしげる(泉谷しげる)への事前の連絡なしに、無断で「ヤングパンチ・2号」へ転載した可能性も否定できない。「住所云々」の作者宛てのメッセージも、そう考えると納得できる。
もし正確な情報をご存じの方がいれば問い合わせページからご連絡いただけると幸いである。