巨人の星~さいとう・たかを


先週、三鷹市で見てきた川崎のぼる展で購入した展示図録を読んでいます。夏目房之介先生の解説に、巨人の星の作画担当者の第一候補はさいとう・たかをであり、第二候補が川崎のぼるであった旨記載がありました。 2005年刊行の宮原照夫著「実録!少年マガジン」を参照(引用)してるようです。

さいとう・たかを氏が「登場キャラの親子関係がシックリこないから断ったら、他の人が担当して大ヒットになった」みたいな内容の事を書いていたか、語っていたのを読んだ記憶がありまして、巨人の星?と、その時は思った事があります(大分前、2000年より前)。ああ、やっぱりそうだったんだ、と納得した分けです。

この図録にも紹介されていますが、川崎氏のマンガ家としてのキャリアのスタート(の一部とするのが適切でしょう)が、さいとう氏の製作助手としてであったというのも興味深い事実です。単行本『赤い三角部屋』(1957・昭32/日の丸文庫)には、「さいとう・たかを作並構成 川崎のぼる製作助手」とクレジットされている。

さいとう氏が、巨人の星の作画を引き受けたらどのような事になっていたでしょうか?梶原さん、さいとうさん、川崎さん、それぞれに多くの熱心なファンが居りますので、軽々に、このような場所で何かを書くものでは無いのかもしれませんが(苦笑)、いろいろ妄想してしまいます(苦笑)。

梶原氏と、さいとうプロは共同で仕事した事があるのでしょうか?恐らく無いかと思います(未調査ですが)。作品の出来不出来以前の問題で、制作進行上の問題が発生したのでは?というのが、ハクダイの見解です。上記で紹介した親子関係云々の理由は、あくまでも建前的なモノで実際は「原作付きの連載」という所にさいとう氏が「ひっかかり」を感じたのではなかろうか?ハクダイとしては、そんなふうに想像しますね。