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2016年10月末、南東北マンガ関連施設巡りの記録 後編


2016年10月末、南東北マンガ関連施設巡りの記録 前編より続きます

※二日目(10/29・日)続き

・10:10頃、石巻石ノ森萬画館を出発。ナビさまの言いなりに、クルマを走らせます。ある程度事前に地図を見ておいてナビを使用するのが好ましいとは思っているのですが、結局、目的地の情報だけをナビ入力して準備完了(苦笑)。

・11:10~11:40 登米市石ノ森章太郎ふるさと記念館。入場時、係りの方に「おとな一名ですか?」みたいに聞かれました(苦笑)。子供さん連れが一般的なんでしょうね・・・・・・汗。おとなひとりですが、何か?というところかと(汗)。

・正直なところ、萬画館とふるさと記念館の展示内容が、記憶の中でゴッチャごっちゃになっておりまして(苦笑)、資料にあたらないと展示状況の詳細を説明できないし、展示物の場所が反対になっているかもしれい、という状態です(涙)。トキワ荘在住者の紹介コーナーをもう少し時間をかけて見たかったですねえ。各作家さんごとに映像もあったようですが、全部の映像は見れず。よこたとくおさんは、福島県田村市(現在の市制)なのが、福島県人としては誇らしいところです。

 ・施設案内の冊子を販売していて、通常価格500円、入館者は300円、JAF会員は無料。JAF会員証を提示して無料GET。JAF会員で良かったと心底思った瞬間でした(苦笑)。

・両石ノ森関連施設に言えることですが、石ノ森作品は特撮モノのバリエーションも含めると、ホントに「膨大な数」になってしまいますから、企画、制作者の方々の苦労を感じますねえ(なんか、偉そうな事書いてるなぁ)。見に来るお客さまの視点なり、多くの立場があるだろう「愛好家の立場・視点」・・・・・・。悩ましい(外野の勝手な心配ですが・汗)。

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ふるさと記念館の外観。瓦屋根の建物が素敵ですね。赤いポストがある建物入口付近は「カフェ・たばごや」です。

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企画展として同時開催の54回特別企画・世界名作劇場展(平成28年10月22日(土)から平成29年1月22日(日)まで)の展示の様子。入場チケット購入の際、おとな・・・いちめい・・ですかぁ?と聞かれた要因の一つかと(苦笑)。

・11:40~12:00 隣地に併設されている「カフェたばごや」で食事。2階はギャラリーとなっていて、古さと新しさが調和した素敵な雰囲気のお店。カレーに貝?が入っている?と会計時に尋ねると、タコです、との事。復興支援で海のモノを使用しているようです。ちなみに、この場所自体は、太平洋の海岸から40~50㎞内陸へ入った場所です。小鉢の海鮮風味がよかったので、何が入っているの?と尋ねますと、エビです、とのこと。とにかく小さいエビでして、エビかなあ?と思いつつも確証が持てなかったのです。特産品の販売コーナーが店内に設けられており、自家消費+お土産にと二袋購入。カレーは素揚げの野菜がタップリとトッピングされていて、小鉢(料理)もついていて700円はリーズナブル。

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素揚げ野菜の彩りが素晴らしい。右奥の小鉢料理の桜色が『小さなエビ』によるもの。エビの風味が食欲をそそります。

・12:00~12:20 食事後に『石ノ森章太郎生家』へ立ち寄る。外から眺めるだけでしょう?と思っていたら、これが予想に反して、案内の方が居て、実際に建物内部を自由に(幾分の制限はありますが)見学できるという、充実した開放展示でして感激しました。

生家の入口付近。日本家屋(和式住宅?)自体が、珍しくなっていますし、なかなか味わう機会が無い建物かと。

生家近くに設置されていました(多分、記憶あいまい)。フランソワーズ・・。・表情もイイですが、脚~足元、腕~手の仕草が素敵な造形かと。

・小川が庭に面していたようで、その名残が残っていたり、石ノ森先生が中学生時代に作ったという「松かさ」で出来た亀の置物が置いてあったり。石ノ森先生が、ここで暮らした昭和10年代、20年代(おおよそ1938~1957年)という、往時が偲ばれます。遠い昔のような、つい最近の事のような、不思議な感覚に捕らわれます。でも平成生まれの世代にしてみれば、明治・大正と同じような、古い、昔の時代「昭和」なのかもしれませんね。

・日本文学全集(20巻程度・出版社やシリーズ名は失念)が置いてありましたが、読書家で早熟な大天才であった『石ノ森章太郎』ですから、高校卒業までに、それらを全て読み尽くしていただろうなどと想像してみたりするのも楽しいですね。二階建ての日本家屋(和式様式)ですが、一階の天井が意外に高かったのが印象深いですね。梁の部分は低く、おそらく一間、約1.8mが基本高さか?、古い日本家屋そのものですが。

・案内の女性の方と話していて分かった事がありました(よく知られているけど自分が知らないだけ?かも)。小野寺章太郎が本名で(おのでらしょうたろう、「おのてら」と読む説(場合)もあるようですが)、ペンネームの「石森」は出身地の地名に由来することは広く知られています。この「石森」は、「石巻」、「一関」を「いしのまき」「いちのせき」と読むように、そのままで「いしのもり」と読むのが住民としての一般感覚であったようです。

・石ノ森さんの出生地の住所については、石ノ森章太郎誕生時は、宮城県登米郡石森町、現在は市町制の変更により登米市中田町石森となっていますが、「いしのもり」と読むのが正しいようです。現在の、住民の方も、地名・石森を「いしのもり」と読んでいるのか?等、更に突っ込んだ情報収集はして来なかったのが残念。

・12:20頃ふるさと記念館を出発して、カーナビの指示に従い(やっぱり・苦笑)途中、今回2度目の給油を挟みつつ、秋田県横手市増田美術館を目指します。どこで高速道路に乗ったのかは、カーナビ様頼りなので全く失念(苦笑)。錦秋湖SAにトイレ休憩(13:46~13:51)で寄りましたが、トイレが混んでて面倒くさくなり、そのままスルー(苦笑)。都市部にあるSA、PAと違いトイレ自体の数が、そう多くない、という事情もあるのでしょうが、人出が多かったことは確か。行楽、紅葉のシーズンなのですねぇ。紅葉を楽しむ精神的余裕があまり無かったのが残念なところ。

・14時半過ぎに無事にまんが美術館へ到着。企画展として日本橋ヨヲ子さんの原画展『日本橋ヨヲコ画業20周年記念展』が開催されておりまして、当日は日本橋先生の講演もありましたが、当然整理券が必要で入場は無理(丁度講演最中のようでした)。この企画展が開催されていることは事前の下調べで知っていました。

・企画展、常設展ともに充実したモノでしたが、集中力が落ちていることは確実で、通り一遍の鑑賞になってしまったのが残念。

・常設展は、矢口高雄さん関連の展示が予想していたよりは小規模でしたが、著名マンガ家の原画を一度に鑑賞できる、コアなマンガファンにも、そうではない一般の方にも楽しめる素敵なスポットかと思います、公式サイトによれば、原画展示漫画家は約100人で、収蔵作は約300点。随時展示作品を入れ替えているようです。常設展は無料で特別企画展は有料、というのも嬉しいところですね。

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美術館前で撮影。快晴とまではいきませんでしたが、気持ちの良い空模様でした。

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日本橋ヨヲコさんの展示の様子。写真撮影OKとNGの区分があるのですが、これらはOKにエリアで撮影。日本橋さんは、数少ないハクダイがウオッチしている「現役の作家さん」の一人です。実際のところ、少女ファイトの単行本購入も止まっていますが(汗)。画業20周年ですか?歳とるの早い分けですよ。デビューして数年後に日本橋作品に出会ったのかあ・・・しみじみ。

・この『まんが美術館』は、マンガ単行本とマンガ雑誌の収蔵と閲覧(館外貸出しは無し)が充実していて、マンガ好きには堪えられないスポットですね。秋田県出身作家作品の閲覧コーナーもありましたね。

・ちょっと早いかとは思いましたが15:25頃、美術館を出発。高速に乗る前にGSへ寄り給油(このツアーで3度目)。給油タイミングが早いような気もしましたが、慣れない高速道路の走行でして(汗)いつもより慎重になっています(苦笑)。GSから道路へ出るときの間違って対向車線へ出てしまい、少しヒヤリした場面も(トラブルには至らず良かったですが)。

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錦秋湖SA(帰路)にて撮影。熊が出るらしいですね、素直に恐いですね。

・横手市内で「横手焼きそば」を食べるという選択肢もあったのですが、疲れ具合も考慮して、食事は高速SAで取ることに、16:10頃、錦秋湖SA到着。上り下りで共用?(多分そうかと)。メニューに横手焼きそばがあることを往路時に確認していたのですが、残念ながら売り切れ。食券の販売機の前で呆然と立ちつくすのでした(超涙)。タイミングが合えば『石巻焼きそば』と『横手焼きそば』の『焼きそば二連発』もアリだなあ、と考えていたので、ガッカリですよぉ(苦笑)。

・カツ丼にするか悩みましたが、結局岩魚そばを頼みました。そばについては無知ですが、そばらしいそばだったかと。岩魚、食べたことあるのか無いのかすら分かりませんが(情けない)、うまかった、岩魚そば700円、うまかったからOKとしましょう。実はハクダイは『大のカツ丼好き』です(威張って言うほどのモノでもないですが・汗)。諸事情で、毎月1~2回のペースでしか食べませんが、カツ丼のうまい店には目がないです。

・16:30SA出発。宿泊先の福島県飯坂温泉を目指します。同じ福島県内に住みながら、これまで飯坂温泉へ行ったことがなく初・飯坂温泉です。

・19:30頃、楽天トラベル(web)経由で予約済の某老舗旅館の前に到着。駐車場を電話で教えてもらい、無事チェックイン。

・前日のビジネスホテルとは違い、完全、温泉旅館仕様、和風仕様。子供連れ家族での宿泊も可能な立派な御部屋で、8畳以上の広さがあったかと。和室奥には、ソファーが置いてあるスペース(呼び方わからない)がありまして、窓からの景色が素晴らしいです。部屋に荷物を置いて外出。飯坂温泉駅の駅舎、駅前広場、ホーム入口を見学。鉄オタの資質を幾分かハクダイは持っているようで結構楽しいのです。

・夕食は名物「円盤餃子」を食べるべく「照井」さんというお店へ(事前にwebで調査済みでした)。餃子で有名な場所として、宇都宮など幾つかの地名が挙げられますが、福島市ないし飯坂温泉は『円盤餃子』で知られます。日曜日夜とあって人通りは決して多いとは言い難いですが、照井さん店内は賑わっておりました。

 

餃子の照井飯坂本店。提灯が目立ちますね。お店を訪れた著名人の写真やサインが店内にタクサン。

・円盤餃子は一皿(おそらく22個)で1200円、半皿(おそらく11個)で600円。ラーメン700円と半皿の餃子(600円)の夕食となりました。ちなみに別途消費税がかかりますね。餃子定食も、自分の中ではアリなのですが、メニューにはライスは無かったかも(実際は、存在したかもしれませんが)。

・餃子は、こんがりと焼いた感じの茶色の焼き具合が素敵な、見た目、食感、味、すべて良好な一品でした。ラーメンについては、まったくもって無知でして『イエ系ラーメンって何?』レベルなハクダイですが(苦笑)、とても美味しく頂きましたよ。

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餃子とラーメンの夕食。ビールを飲みたい衝動に駆られましたが、前日もビール飲んでいまして、二日続けてのアルコール摂取は控えておりまして、グッと我慢したのでした。

・美味しく頂きました・・・旅館へ戻る・・・・なのだが、やってしまった。方向音痴・・・・。道に迷ってしまった(汗)。温泉街および隣接する住宅街をサマヨイ歩くハクダイ・・・・。スマフォの地図機能をフルに活用して、やっとの思いでホテルへ帰還。旅行者ですが道に迷ってしまいましてぇ、夜分失礼しますがぁ、と、日曜日夜21時頃、ほぼ寝静まろうとしている住宅街の玄関先で声を上げるところでしたよ、危うく(涙)。

・旅館に戻ってからは、置いてあるフットマッサジャーで足裏マッサージをしてから大浴場へ。飯坂温泉にある旅館や共同浴場の類い、それぞれで、お湯の温度が熱め温め(あつめ、ぬるめ)様々なようですが、ハクダイが泊まった旅館は「ぬるめ」(ハクダイの体感としては)でしたね。そういえば、歩いて行ける距離なのに「常磐湯本温泉」にもしばらく浸かっていないなあ・・・と考えながら、ぼんやりする至福の時間。ちなみに、常磐湯本温泉は、もっと熱いと思います(いや、実際問題、同じ温泉地区内でも、温度差があるようなので、きちんとした検証が必要ですが)。

・幸いな事に?あるいは、残念なことなのか?大浴場には、自分一人。日曜日の夜だから、お客さんは多くないのでしょうね(そりゃそうです普通に考えて・苦笑)。部屋に戻ってから再度、フットマッサージャーに身を委ね、22:50就寝。前日同様、比較的よく眠れました。このフットマッサジャーの効果は絶大であったと、その数日後気づかされる事になりましたね。この土日は、ほとんどテレビを見なかったですね、そういえば(旅行先でテレビ、虚しいような気もするので、これはこれで良かったかと)。

※三日目(10/30・月)

・6時半頃まで熟睡できたようです。夜中に何度も目が覚めることが珍しくないハクダイとしては、単純に嬉しいですね(苦笑)。朝食は何時にしますか?7時、7時半、8時の中から決めて、みたいにチェックインの際に聞かれたので、7時と答えていました。6時30分頃目が覚めていたのですが、起き出せずにいたところ、7時10分前に電話が鳴りました。モーニングコール?と思いつつ取ろうとすると切れてしまいました。その5分後の再度の電話に、はいはい今行きます!!、といそいそと、指定の食事場所へ。畳敷き?和室?かという予想に反して、昭和の喫茶店に近い雰囲気の『椅子テーブル席の部屋』に、『温泉旅館の定番』的な食事が準備されていました。お櫃にはご飯茶碗二杯分のごはんが。食べ過ぎないように気を付けている(残念な)ハクダイの毎日の食事ですが、すべて平らげました。満腹満腹、満足満足。

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温泉旅館の朝食メニューは久しぶりでした。右奥の湯豆腐鍋が、おつゆ~味噌汁に相当します。お櫃、急須、ご飯茶碗、そして湯飲み。うーん、温泉旅館の朝ですね(苦笑)。

ラヂウムタマゴと焼海苔の包装パッケージ。両方とも、飯坂温泉の文字が入っています。

・8時前には旅館を出て、駐車場においてあるクルマに荷物を置いて、すこしばかり飯坂温泉駅周辺を散歩。前日の夜に続いて2度目です。夜の飯坂温泉駅及び駅周辺も味がありましたが、月曜日の朝という事で通勤に向かう人たちの姿がめだちます。住宅街と温泉街が同居したような場所なのですね、ここは。

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飯坂温泉駅前に立つ松尾芭蕉像前にて撮影。

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芭蕉と飯坂温泉との関連についての説明書きがあります。

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飯坂温泉駅駅舎(福島交通飯坂鉄道)

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駅の改札口と切符売り場。省人化が進められているようですね。

・この飯坂温泉駅は私鉄・飯坂鉄道(福島交通飯坂線)の駅です。福島駅-飯坂温泉駅間の約9kmの鉄道で、全線単線、全12の駅があります。温泉地への移動手段(交通)として、開かれた鉄道かと推測しますが、近年は通勤通学用の公共機関としても重要のようです。同じ福島県人、小学校中学校含め、十代での教育も福島県内で受けてきた身であるにも拘わらず、この飯坂鉄道の存在を知ったのは、つい最近でして、自分の無知無学無教養を改めて痛感した次第(情けない)。

・俺って駅舎マニア?と最近思うことがありまして、駅周辺と駅の中に入ってみます。イイですね、イイデスネ(苦笑)。駅前の松尾芭蕉像の前で記念撮影、ついでに、すぐ脇にあるモニュメント的なモノを読みふけったりします。駅近くの橋が「十綱橋・とつなばし」として由緒ある事などが分かり旅情を刺激されます。流れる川の名は摺上川です。

・さて、このまま出社(午前中は半休、午後から出社の予定)するのも癪だな、とクルマへ戻る途中、『芭蕉~医王寺』の文字(何かの案内看板の類い)が目に入ってきました。旅行の計画を立てた時点では、全く視野に入っていなかった場所(医王寺)ですが、今回の旅の終わりの山場をここで迎えようと、ナビ操作ナビ操作(苦笑)。

・ハクダイの住むいわき市は、平地部(平野部)が少ない地域かと思います。飯坂温泉のある福島市は、福島県の北端に位置する盆地「福島盆地」に位置します。旧信夫郡と旧伊達郡にまたがる平地であることから、信達(しんたつ)平野と呼ばれる事があるようです。いわき市は太平洋に面しているのですが、平地部(平野部)が少ないという事に改めて気づかされますね、会津盆地、福島盆地をクルマで移動してみると。自転車で走ったら更に実感するでしょうね。いわき市内は、緩やかな高低差がある区域の連続ですね。

・さて医王寺ですが、今まで同じ福島県内に住みながら全く関心が行っていなかった自分の不明を恥じるばかりです。また、「医」の文字は、本来は旧字体の「醫」を用いるようです。

・駐車場が複数ありまして、一番遠い駐車場に駐車してしまったようで、数分歩きます。拝観料300円を、入り口で払い入場。

・さて、医王寺とは?ですが、入場時に頂いた『説明書き~三つ折りのA4サイズ程度の1枚の用紙』を参考に、web情報も盛り込みつつ、ハクダイなりに、簡単に説明させて頂きますと(僭越というヤツですね)、次のようになります。当日まで、全く医王寺について知らなかったハクダイですが・・・・・。

(1)『源平盛衰記』巻四十八に源義経の四天王(いわゆる義経四天王)として名がある『佐藤継信、佐藤忠信・兄弟』の菩提寺である。佐藤兄弟の忠臣ぶり、その武勲は広く知られている。また、その佐藤兄弟の父母と奥方二人にまつわる興味深い言い伝え等も残る。       

(2)俳聖芭蕉が「奥の細道」の行脚中に立ち寄った寺である。佐藤兄弟(及びその一族)の忠孝などへの興味により、芭蕉は、この寺へ寄ったようです。ちなみに、『奥の細道』の初級者向けテキスト類では、『芭蕉が医王寺へ寄り飯坂温泉に泊まったこと』は、取り上げられない場合が多いように思います(奥の細道についてあまり詳しくないハクダイのいう事ですが・・・汗)。

(3)飯坂温泉を発見した鯖湖親王(さばこしんのう)をまつった「お宮」があったところであり、「鯖野の御薬師さま」として親しまれてきた薬師堂がある。

(4)ふくしま緑の百景に「医王寺の緑」として選定されている。この選定事業は、昭和60年(1985年)に福島民報社などの主唱により行われたようです。

(5)寺のすぐ裏には果樹畑が広がっています。福島市産のりんご、なし、桃などが、広く知られているようです。「果樹王国ふくしま」「フルーツ王国ふくしま」「くだもの王国ふくしま」、これらの言葉が「福島市」を指すのか「福島県全体」を指すのか?非常に悩ましいのですが(苦笑)。

 

医王寺の緑。この緑を、キレイに写真撮影したい欲望に駆られましたね。朝9時ちょっと前と早めの時間帯で、天気は薄曇り。晴れていたら、また違った雰囲気でしょうね。

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芭蕉関連の石碑~いわゆる句碑。

笈も太刀も五月にかざれ紙幟り               

おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり

 笈(おい)とは、武蔵坊弁慶が背中に背負っている箱(荷物入れ・道具入れ)を指す言葉です。太刀は義経のモノ、笈は弁慶のモノをそれぞれ指すものとして芭蕉が詠んだとする説が一般的なようです。

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奥の細道三十三霊場は、宮城県、福島県を中心に東北地方5県(山形、岩手、秋田)にある33箇所のお寺のようです。うーん、33箇所全部行きたい・・・無理ですね、まず・・・絶対(苦笑)。この医王寺は27番。

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芭蕉坂と名付けられた坂道。結構急な坂でした。お寺よりの下り坂を進むと、お寺の裏には果物畑が広がっていました。遠目に丸い実がなっているのが見えまして、近くにいた農家の方に「りんご」と教えて頂きました。

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義経公主従像  左(奥)より佐藤忠信公、源義経公、佐藤継幸公。

帰り際、入口にいた係りの男性に「檀家さんより頂いたりんごです、よろしかったらお持ちください」とりんごを手渡されました。勿論ありがたく頂戴しました。すげえ得した気分でした。「檀家さんよりあがった」、という言い方をされていたような気もします(苦笑)。

*ツアー終了~出勤

・30~40分ほどでしょうか、時間があったら、もう少し丹念に見たかった医王寺でした。今まで知らなかった自分は何?って感じです(涙)。

・医王寺を後にし、その後は高速道路に入り、安達太良SAで最後の買い物&トイレ休憩をして一路いわき市へ。昼食を友人の経営するお店で購入して職場駐車場に着いたのは12:05。

事故などトラブル無く,、全工程を全うできて、まずはメデタシめでたし。

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