2021年11月某日、京都市の山森ススム先生宅を約二年半ぶりに訪問しました。午後1時から6時頃まで約5時間、いろんな話を伺う事が出来ました。現在の山森先生の生業である螺鈿制作のマネジメントをされている山森先生の御長女である藤原一求美(ふじわらいくみ)さんを交えての鼎談となった形で、話題は尽きることはありませんでした。尚、2014年4月に実施したインタビューはも併せてご覧ください⇒クリック。また、今回の訪問前日には大阪堺市で開催中のゴルゴ13展を見に行きました。
これまでも何度か山森先生には貸本漫画時代の事を中心にいろんな話を聞かせて頂きましたが、今回はハクダイ手持ちの山森作品収録貸本漫画十数冊(短編誌収録が多いですが)を事前に御自宅に送り、その山森作品を実際に手に取って頂いた上で当時の事を振り返ってもらおう、そんなスタンスで臨みました。
Y:yamamori(山森ススム先生)
F:Fujiwara (藤原さん、山森先生のマネジメント担当)
H:hakudai(ハクダイ)
C:ハクダイが付記したコメント(鼎談席上での発言の要旨、その後確認できた事など)
●金龍街の狼
H:私が所有しているのは、この合本ですが、この本の存在はご存知でしたか? C:書籍タイトルは暗闇坂の首男。前半が辰巳ヨシヒロ作「21の指紋」後半が山森ススム作「金龍街の狼」発売所は㈱八興、オリンピック文庫、定価150円。編集兼発行人「山田喜一」作品の詳細ページへ
Y:いや、この本の存在は知らなかった。なんでこんな事したのかねえ?この原稿は一発で通った。
H:日の丸文庫で出した二冊を、原稿の使いまわし、そして極厚でお得、という感じで出したんでしょうね。最終ページに1955年4月と署名がありますね。山森先生のお生まれは1935年7月1日と伺ってますので、満二十歳(はたち)になる前ですね。
Y:・・・・(c:懐かしそうな表情を見せる)
H:少年探偵の勝山勇三、キャラクターとしては類型があまり無いよう気がします。この勝山勇三の名前は、何か参考なりヒントにした名前があるのでしょうか
Y:勝山の名前ねえ・・・特にないねえ・・。当時は、ハリウッドの映画はよう見てた。物語をつくるのが好きだったから。
●山彦に聞け(やまびこにきけ)
H:これもワタシの所有しているものですが、セントラルですね。1958年(S33)頃とみてますが、これは勝山勇三キャラは出てきませんね。作品の詳細細ページへ
Y:セントラルの名古屋の事務所へ本水(もとみず)と二人で行ったことがあるね。名古屋駅に着いたら大きなところでビックリしたね。バスに乗って事務所まで行ったかと。
■■■山森先生が保管している本をわざわざ取り出して来て並べてくれる
C:以前にお邪魔させて頂いた時に拝見していたのである程度の冊数をお持ちという事は知ってたが、こうして並べてみると壮観です。約30冊程度ありまして、ハクダイが予め送付させて頂いた分がショボく見えますね(苦笑)。
H:昭和30年代初期に多いB6判の単行本は、手に取る機会がそうそうないので嬉しいですね。これは、当時のモノをそのまま保管していた?ということですか?
F:当時のモノでは無くて古本屋やインターネットで少しずつ買い集めたモノですね。
H:実際どなたが買い集めたのですか?
F:私なり弟ですね。C:アニメーターとして活躍中の山森英司さんの事。
H:御自身でお描きになった作品の制作リストを残しておく、出版された本は保管しておく、そのような習慣は無かったと伺っていますが。この中には、当時から保管されていたものはあるのでしょうか?
Y:次々と描いていく事に意義があり、残したり振り返る事をしないから、描いたのも忘れている。C:「職人」を定義づけるのは難しいモノですが、制作に打ち込んでいる一瞬一瞬に価値がある、そのように理解しました。
●幽霊列車
H:タイトルは聞いた事があるように思いますが、実物は初めて拝見しますね。日の丸文庫では無くてセントラルですね。作品の詳細ページへ
Y:これは二作目くらいかな?(出版社問わず?セントラルの?)。表紙もワシが描いとる。大阪駅前に問屋街があってね。そこに本がぎょうさん積んであって。この本は数が少なくなってて。なんで少ないのか?を聞いたら、それだけ売れているんだよ、と言われたのを覚えてる。
H:今チラッと拝見しましたが、おまじみのキャラクターである仁君(ひとしくん)と千太君(せんたくん)が出てきますね。
Y:三人組で、もう一人出てくる。せやけど、一人は、その後(の作品には)あんまり登場せんようになってしもうた。
●明日なき男
H:この作品は日の丸文庫ですね。表紙が明らかに別の方(作者の山森さんでは無く)が手掛けていますね。作品の細細ページへ
Y:これは久呂田(クロダ)さんだね(表紙を描いているのが)、クロダさんの絵は感覚が古い。 C:久呂田まさみ(ウイキペディアにて項目あり。久呂田正美、本名の黒田正美名義の作品もある。絵物語がまんだらけより復刻さえれて話題になった)
H:久呂田さんが単行本表紙を多く手掛けたというのはよく知られていることですね。他の人が表紙を描くのは、あまり気持ちのいいモノでは無いですよね?
Y:その分、原稿料が表紙描く人に抜かれるわけだからね。
H:金銭的な事もあるでしょうし、他の人が表紙を描くのは作家さんとしては、内心複雑でしょうね、でも表紙が売り上げを左右する側面も確かにあったかと思いますね。 貸本漫画も徐々に作家さん自身による表紙が増えていったかと思いますが、金銭的な理由も大きかったかもしれませんね。
Y:久呂田クロダさんは、もの静かで上品な感じの印象のひとやったね。
H:クロダさんは大正時代の生まれですか?昔はそういう人いたんでしょうねえ・・・。。破滅型タイプ?
Y:お酒と一緒にいつも胃酸(胃薬)を飲んではった。
H:山森先生から見ても古く感じられた?というのが興味深いですね。ワタシが小学生の頃、学校の図書館で読んだ児童向けの本の挿絵みたいな雰囲気があるかもしれませんね。今の視点で見れば、これはこれで味がありますが。C:久呂田まさみについて、その後藤原さん経由で山森先生より聞いた話では、もの静かで上品な印象を受けた、との事。また、クロダさんのお宅へも伺ったことがあり、何冊もの表紙を筆を舐めながら描かれていて、「もうそこまで手を入れんでも宜しいがな・・・」と山森先生が口にしたら、クロダさんの返答は「自然に手が動いてしまう」だったとの事。常人離れの古き良き時代の絵描きさんというでしょうか?
●全機突入せよ。
H:これは日の丸文庫ですね。タイトル含めどこかで見た記憶がうっすらとあるような。表紙は山森先生御自身ですよね。 作品の詳細ページへ
Y:そう、表紙もわしが描いとる。これは日の丸文庫で3冊目だったかと。いとこの山森ヒデオさんに取材させてもろうて描いた。
H:こうして、パラパラ見てみても、実録風とでもいいますか、こども向けの娯楽であるもの、という通念からの脱皮を目指している作品という印象ですね。ドキュメントといいますか、漫画というメディアで、どこまでリアリティを出せるか?そのあたりに腐心してるように感じますね。当然、手塚漫画の影響からも抜け出たいと・・・、そんな風にも感じますね。
Y:実話っぽく。戦記、実録戦記を描こうと。日の丸の社長が、表紙絵を(自分に)描かせてくれはった。
H:日の丸文庫で、徐々に信任されるようになってきた、と言うことですね
Y:社長と専務が、山森に力入れていこうと話していた。描いたらすぐに通った。
H:日の丸文庫の三羽烏と言えば、さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、の三人を指す事が多いようですが、それに続く存在だったんでしょうね。
Y:さいとう(・たかを)さんが、人の顔を描くには、黄緑(きみどり)を入れると肌色をいまく描けるとアドバイスしてくれはった。
●日の丸文庫の思い出
H:京都の人から見た大阪〜日の丸文庫というのは、どんな風に映ったのでしょうか?c:ハクダイ自身は東北に生まれ育ったこともあり、関西と言えば京都、大阪、名古屋、神戸、広島、このあたりがゼンブ一緒くたに関西となっています。
Y:コロッケ半分でいい、と言いよったからねえ。
H:もう少し詳しく聞かせて頂けますか?
Y:うちらみたいな若手の漫画家が何人かで日の丸文庫に居た時、昼飯・ひるめし?おひるごはん?を、若手漫画家に振る舞うという話になって、そのおかずをどうするか?一人あたり一個で無くて半分で十分だと。
F:いやあ、嘘みたい(苦笑)。
H:大阪商人の真骨頂ですね(苦笑)。昼食の準備をしようとした人(日の丸文庫の事務の方)にそう指示したということですよね?
Y:事務員さん(女性の)の人、桜井昌一さんの奥さんになった人だけどね、その人が買いに行くという話になってね。
F:京都と比べたら、そりゃあセワしないですよ大阪は。大阪へ出かけて京都に戻ったらホッとしますよ。
H:半世紀どころか、60年前の昭和30年代前期(1955〜1960年)の話としても、インパクトある話ですね。c:藤原さんに改めて確認してもらったところ、コロッケを「半分にしとき!」と仰ったのは、山田社長のお父さんだったらしい(実際のところは分かりませんが)。また、水島新司さんが日の丸文庫で住み込みで働いていた頃(マンガ家としての活動も並行している)のエピソードとして「朝ごはんがお粥さんで、お腹が空いた、と事務所で豆をポリポリ食べていた」、と語ってくれたそうです。
●摩天楼 について
C:劇画工房の機関誌的な色合いが最も濃かったのが短編誌摩天楼であった。全14冊(集ないしは号、そして別冊が1冊。本誌はA5判サイズだが、この別冊はB5判。ハクダイは、長年全ての摩天楼に当たることを目標としているが、いまだ実現出来ていない。摩天楼第一号(集)の現物をこれまで手にしたことは無い。当然所有していなし。東京上野のある国際図書館所蔵品の電子データのプリントアウト(全部プリントアウト可能だが、ハクダイは諸事情で一部分のみプリントアウト)。
H: 掲載作品ごとに、作者の人となりや作風について、無記名でコメントがあるのですが、これは辰巳さんが書いたんでしょうか?
Y:そうだと思うよ
H:山森先生へのコメント、作家紹介としては簡潔にうまくまとまっていますね。
Y:ほめちぎってくれてありがたいねえ、一目置いてくれているね・・・
C:摩天楼1号には山森先生は『13号桟橋事件あり(全25ページ)]を寄稿。作品最終ページに辰巳ヨシヒロによると推測される、作家紹介的な一文が添えられている。以下全文を引用 山森先生の作品は、どちらかといえばアクション風なものよりも怪奇的なフンイキの中でくりひろげられるスリラーものが多いようです。「13号桟橋じけんあり」の最後における、にくらしいほどのあざやかなドンデン返し、読者の諸君は作品にかけられた罠に見事ひっかかってしまったことでしょう。先生は「金龍街の狼」という作品でデビューされてからもう4年余り、劇画工房の中堅作家といったところです。
●摩天楼第六集号を手に取って
C:山森ススム先生は三人のお子様に恵まれた。長女の一求美さん(マネジメント担当)、長男●●さん、次男英司さん。次男の英司さんは、アニメーター、デザイナーとして知られます。ウィキペディア/山森英司←クリック。 長男●●さんは、残念ながら●●年に五十●歳でご逝去。
Y:辰巳さんが表紙描いてるね。大変だったろうね。(C:辰巳さんの絵と直ぐ分かる人は少ない気がします。編集が大変だったろうなあ、との事かと思います)
H:摩天楼は、劇画工房の機関誌的な色合いが濃いですよね
Y:そうかもしれん。
H:劇工通信として、同人の活動、動向が紹介されていますね。「大阪在住の山森、桜井、K元美津、佐藤の四氏が7月2日に上京」とありますね。記事の最後の方には、「山森、桜井両氏は7月19日の夜行で帰阪予定です」とあるので、半月ほど国分寺に滞在されたようですね。c:1959年(昭和34)の事。
Y:よう覚えてないなあ・・・・・・・。思い出してきた。一ケ月ほどに思う。毎朝?(毎日?)駅前のきんちゃん食堂(?)に行ったり、喫茶店で劇画談義したり。昼から皆で風呂屋(銭湯)に行ったり・・・。c:喫茶店は風車を含め、三軒ほどのようです。
H:この時期ですよね?劇画工房の8人全員が一枚に収まっている例の歴史的な一枚が撮影されたのは?
Y:そうかいな・・・これも覚えてないねえ。
C:大阪在住の山森、桜井、K元美津、佐藤の四氏」とあるが、山森、K.元美津の両名は京都よりの上京が正しい。山森ススム先生は、中学校卒業後1年間の東京での就労経験があるが、京都を離れずにマンガ制作を続ける。劇画工房の存続期間については諸説あるが、山森ススム、K.元美津の両名のみ、上京すること無く京都を拠点とした。また、K.元美津の上京は1970(S45)年の事。
●貸本屋を営む
F:貸本屋をやっていた、ってどこかに書いはったけど?
Y:言ったことなかったかな?ここで開業しとった。大阪へ仕入れに行かならんし、すぐにやめた。半年くらいだったかなあ?
H:マンガ家本業で貸本屋副業ですね。店番だけならともかく、実際に本を仕入れに行くとなると、時間の問題とか大変そうですね。
F:その貸本用に使っていた本はどうしちゃったの?
Y:処分してしもうたねえ。
●母と妹に手伝ってもらった
H:同じく京都在住の元美津さんとは、頻繁に顔を会わせていたようですが、京都に貸本マンガ出版社は無かったと思いますし、ひとりでの漫画制作には苦労する部分もあったかと思うのですが。
Y:母、妹に線引きや黒塗りは頼んでいたねえ。ネタを探す、アイデアを絞り出す、こちらがやはりねえ。本屋さん、映画館にネネタを探しによう出てたねえ。
H:山森作品は黒い部分が多い、とはよく言われます。貸本マンガ家として、約10年、西陣の仕事が忙しくなり自然とマンガ制作からは遠ざかった、と伺っていますが。今日、同席頂いております長女の一求美さんが1960年(昭和35)生まれと伺ってますから、昭和30年代後半は、公私にわたり多忙を極めたかと思いますが。
Y:内記さんに山森さんは数(作品数)が多いねえ、言われた。締め切りを守った方だから。
H:貸本出版社は、日の丸文庫は大阪ですが、東京に多いですから、京都で制作していて締め切りを守ったというのは、結構スゴイことかと思います。山森先生のプロ意識が伺えますね。
Y:かなり、大変やったけど、ストーリーは次々に浮かんだ。もともと、絵より物語を描きたい方やったから。
●劇画工房マークについて
H:劇画工房所属の作家の作品には、辰巳さんがデザインした劇画工房マークが付いていて。このマークは、毎回描かれていたのですか?
Y:辰巳さんが、マークが大量に印刷してあるモノを準備してくれて(当時シールが在ったどうかは覚えていない、のりで都度貼っていたか?)それを毎回貼っていたねえ。
H:劇画工房は同人の8人のうちの4人が脱退してからも残りの4人で活動を続けた期間もあるわけですが、この劇画工房マークを一番最後まで使っていたのが山森先生ですね。
Y:そうかいな?
H:残った4人が東京在住の桜井昌一さんと石川フミヤスさん、京都在住の山森先生、K元美津さんですから、意思疎通がうまく行かなかったのだと容易に想像がつきますが。
Y:六十年以上前のことだからねえ・・・忘れてしもうたなあ。 C:昭和34年(1959年)の事。
●山森博之名義作品
H:この鉄人は山森博之名義ですね。1969年頃(S39)でしょうか? 約10年に及んだ貸本マンガ家としては最終版に相当する時期かと思います。
Y:こんなのを描いていたんだ。覚えていないねえ。
H:辰巳(ヨシヒロ)さんの第一プロですね。辰巳さんも貸本マンガ業界の衰退に抗って暗中模索していた時期かと思います。SFものを次のトレンドと読んでいたのかと思います。SFモノを描くうえでの苦労などありましたでしょうか?
Y:描いた事さへ覚えていないからねえ(苦笑)C:山森先生の野心作と評されるべき作品である。古臭い印象は拭えないが、当時のSF作品の雰囲気を感じる事が出来る。
●時代もんはよう描かんわ
Y:英司(次男山森英司さん)が時代モノも描いたんだ、と最近、言ってきたけど、そうかいな?覚えが無いなあ。
H:数は少ないのかもしれませんが、私も山森先生の時代モノ作品を見たことがありますよ。時代モノ特有の難しさがあるかと思います。
Y:時代考証が難しいね。着物の柄やら。けど一つ、先祖の豪族兵頭家のお仙さんのお墓にかいてあった事が気になって、描いてみたい気もある。足利義明との話。
●辰巳さんのお兄さんの事
Y:辰巳さんは桜井昌一さんの上にもうひとりお兄さんが居たのは知ってはる?
H:辰巳さんの劇画漂流に出てきますよね。
Y:弟二人(辰巳さん、桜井さん)を凌ぐすごい才能(漫画を描く)が人やったみたいよ。桜井さん(辰巳さん? 両人?)が、よく、その長男さんのことを、スゴイと言ってましたわ。
H:それは興味深いですね。C:いつの時代でも才能溢れる人というのは居るものなんでしょうが、絵を描くという事が道楽的なモノと見られる事が現在より強かった時代だったと思います。
●御次男の英司さんの事
Y:英司が、ゴジラのアニメに関わっているのよ。このアニメは見たかいな?
H:ゴジラものは、あまり得意じゃないんです。
F:ネットフリックスの配信がメインで、テレビ放映もあったんですよ。弟の英司が怪獣デザインで参加しているんです。
H:ゴジラ・シンギュラポイント・・・。ああ、こういうのがあるんですね。スミマセン、勉強不足というか、アンテナ感度が鈍くて。
F:怪獣デザインの依頼があったようです。亡くなった兄・一輝に捧げるって書いていました。C:山森ススム先生は三人のお子さんに恵まれました。長女一求美(いくみ)さん、長男一輝(かずき)さん、次男の英司さん。一輝さんは2019年5月14日に享年57歳で没されております。以下、姉一求美さんからの一輝さんへのコメントです「小さい頃から爬虫類や魚などの生き物・車・バイク・恐竜や怪獣・アニメーション・釣り等が好きで、大阪デザイナー学園アニメーション科で、作品の演出力に優れていたように思います」
H:近年のアニメーションはあまりフォロー出来ていないのですが、この作品自体のインパクトの大きさは理解できるつもりですね。勝手な事を言うようですが、アナログっぽさが要求されるような気がしますね。っとなると、山森ススム先生直系の遺伝子が為せる技かもしれませんね。
●螺鈿の仕事、そして最近のマンガ制作
H:2014年に、藤原さんの協力を得て、Amzonのkindelで山森ススム先生の新作「行方不明」を電子書籍公開させて頂きました。amazon Kindleページへ
F:吹き出し(セリフ)部分のテキスト入れが大変でしたわ(苦笑)。
Y:描きためたモノはぎょうさんありますわ。
C:下記の写真は、描きためてある原稿を見せてくれて時のものです。
H:多くの人の目に触れる機会があるといいですね。
F:ほんとにそうですね。
H:螺鈿のお仕事はかなり忙しいと伺っておりますが。
F:ここ数年は、正倉院の宝物を、現代的なインテリア向けに、螺鈿細工で再現するという仕事に注力してますね。
H:なんか凄そうというか、格調高い感じですね。ワタシ自身は無学・無教養でして、伝統工芸とか現代アートとかには丸っきり素人でよくわかりませんが(苦笑)。どこに行けば手に入るモノなんですか?
F:奈良国立博物館ミュージアムショップを通しての受注制作ですね。
Y:最近手掛けたアクセサリー類ですわ(見せて頂く)
H:同じモノが無い、完全ハンドメイド、完全手作りでしょうから、アクセサリー好きには垂涎の一品ですね。
F:ネイルアートというのは、ハクダイさん聞いたことありますか?ネイルアート用の素材として、螺鈿、そして螺鈿よりの派生技法である螺鈿彩が使用されているんですよ。
H:ネイルアートですか?そういうのがあるのは知っていますが、またスゴイ世界への展開ですね。
F:ひとの身体に実際使われるわけですから。もの凄い繊細さが要求されますね。
Y:ベース(下地)を塗ってからアートするみたいで、大丈夫のようですよ。山田愛理さんというネイリストの方が使わせて欲しいと、名古屋から来はりました。
C:寡聞にして全く知りませんでしたが、伝統工芸とネイル(ネイルアート)との融合を図る動きがあるようです。⇒ 螺鈿伝統工芸ネイル 山森先生と螺鈿彩についての詳しい記載があります。
●●約5時間の長時間にもかかわらず、丁寧に対応して下さった山森先生、マネジメント担当の藤原一求美さん、に御礼申し上げます。
2022.2.13 公開/2022.2.14修正と加筆。