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貸本漫画短編誌『黒い影』三洋社を4冊読む機会に恵まれました。 

 

   三洋社の貸本漫画、いわゆる短編誌『黒い影』 を4冊ほど読む機会に恵まれました。昨年2021年11月に山森ススム先生宅を訪問した際、御貸し頂きました。1,2,5、そして別冊1の4冊。4冊全て定価は150円で、奥付に編集者が記載されている場合、編集者として長井勝一の名があります。刊行時期については、上記4冊は全て1960年(昭和35年)と推察されます。三洋社を興し、その後青林堂を設立しガロを創刊させるまでの経緯については、長井勝一の著書「ガロ編集長」に詳しいです。三洋社は白土三平・忍者武芸帳の刊行元であり、貸本漫画を語る上で外せない重要出版社ですが、出版物の内訳については、あまり知られていないように思います。せっかくの機会ですので、以下わたくしハクダイなりに、まとめてみました(的外れな事を書いているかもしれませんが)。作家さん等の敬称略は御容赦下さい。皆さんの参考になれば幸いです。

◆総括

(4冊を読み終えて)。一番最後に配置されるべき文章かもしれませんが、最後まで読んで頂けるとも限らないのですし、結論は先にという考え方もあることですし。

・関西の劇画工房系作家(及びそのフォロワーたち)と、東京の作家がバランスよく配置されている。

・比較的、豪華な執筆陣と言えるだろう。劇画工房に所属していた作家たちの原稿料は、相場としては高めであったと思われます。

・読み応えの多い作品が多く、当時の貸本漫画業界にあっては、かなり高水準にある短編誌シリーズである。

・関西よりの上京組(≒劇画工房)に対しての東京の作家ということになるが、劇画工房系の作家の亜流では無い個性豊かな作家を起用。つげ義春・忠男兄弟、永島慎二、フカイヒロー、石黒昇。1960年(S35年)当時、山森ススムは京都在住、影丸譲也は大阪在住。

・誌名の「黒い影」は、日の丸文庫の「影」を意識して付けられたものであろうが、本家・影に匹敵する存在(あるいは凌駕していると言っても差し支えないかもしれない)。

・貸本漫画の世界は、いい意味でも悪い意味でも『何でもあり』、『玉石混交』、『作家にとっても出版社にとっても参入障壁が低い』業界だが、編集人の明確な意図が存在するように思える。編集者・長井勝一の力量を伺いしるには十分過ぎる短編誌であると言えよう。

◆創刊号◆ 

 アクションブックと副題あり

 

狼の礼服 さいとう・たかを 約24p(冒頭数p欠損のため不明〜推測)

・扉欠損で、プロダクション制作に関するクレジットが在るのか無いのかなど不明。

・殺し屋同士に決闘させる、が作品のキーとなる作品だが、決闘という形式も狼には不要である、という非情さ〜虚無を描いた作品。正義の味方的な顔つきの殺し屋が実は・・・という意外性も作者の狙いであろう。礼服は形式的なことを指している(比喩)。

みな殺しの歌 佐藤まさあき 50p

・扉に記載 非情!!一人の殺し屋をドライなタッチで描いたハードボイルドの傑作。

・走行中の首相の乗る自動車を銃撃でパンクさせ、首相をあっけなく撃ち殺す殺し屋。命乞いする居合わせた目撃者である運転手も、容赦無く撃ち殺すのであった。暗殺の依頼者である次期首相と呼び声の高い政治家鬼頭は暗殺の秘密を消すために、殺し屋のもとへ複数の刺客を送りこんで来る。

・無関係の全く落ち度のない人間でも目撃者であるという理由で容赦なく殺してしまう男であるが、子どもに対して見せた甘さが命とりになってしまうエンディングに佐藤まさあきの「表現者の核」を見ることができると思います。

・この作品は、リメイク版が幾つか存在すると思われる(最低1つ、または2つ以上)。これこそがオリジナルと思われる。扉にはドライなタッチとあるが、現在の視点からすれば全然ドライでも無いですし、いや数年後でさえ、生ぬるく幹事らエル表現であったかもしれません。ですが、佐藤まさあきにとっては、エポックメイキングなり創作上の転換点となった作品だったと想像します。

いつか地獄で 影丸譲也 40p

 

・淡々と殺人を犯し報酬を得る。そんな殺し屋の行動をストレートに描くハードボイルド作品。正義と悪というような二項対立も無く、在るのは殺し屋としての生きざまだけ。

・さいとう・たかをタッチが強く、そのフォロワーであるとみなせる絵柄だが、後年の雑誌へ描くようになってからの影丸譲也独特の筆致も当然ながら感じられる。背景は辰巳ヨシヒロの影響を感じます。

らせん階段の男:辰巳ヨシヒロ 41p

・扉に記載あり 独立劇画プロ

・日本物産でまじめに働く浮浪者の出自を持つ男は、恩人である社長と共に、逃走中の銀行ギャング団(四人組)に人質として虎和捕らわれてしまう。ギャング団の四人も特殊な事情を抱えており、連帯とは程遠い状況の中、警察署長と人質解放と逃走方法について交渉するギャング団。果たして、人質とギャング団の運命は・・・。

・辰巳ヨシヒロ作品としては、構成が雑な作品であると考えます。人間ドラマ、痛快アクション、非常さ重視のハードボイルド、これら三つのどれでもあって、どれでも無い、そんな印象です。

・劇画工房を脱退した辰巳ヨシヒロは、一時期、短期間ではあるが「独立劇画プロ」名義で作品を発表している。

黒犬 山森ススム 30p

・扉に記載あり 劇画工房作品(マークもあり)

・ヒ素を病院から盗み出す事に成功した男・井上。井上の兄は立派な屋敷に一人で住む男が飼う猛犬(黒犬)に襲われ、命を落としていた。その犬にヒ素入りの肉を与え続ける事で、犬を毒殺し兄の仇を打つうつもりの井上であった。井上は、ヒ素入りの肉を十数回与え続けることに成功したが、屋敷の男には大きな秘密があった。井上、屋敷の男、そして黒犬、これら三者が最終的に迎える結末は意外なモノだった。

ある刑事の復讐 石黒昇 34p

・組織的な麻薬犯罪と警察の抗争が続いていた。定年間近の初老の原田刑事は、肝心なところで、犯人たちを取り逃がしてしまう。署内で肩身の狭い思いをする原田刑事だったが、その一人息子は大学へ行っていると、部下の佐々木刑事に話していた。しかし、本当のところは違う。その一人息子は件の麻薬犯罪に関わっていて、組織内の者によって殺されてしまったらしい。老刑事原田は死んだ息子の仇を打とうとするが・・・・・。

・人間ドラマとして、巧みな構成で読ませます。この当時のつげ義春作品に近いテイストを感じます。辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを等の関西劇画よりの影響を、東京在住の作家たちが巧みに消化し、独自のスタイルを作っている、という事なのかもしれません。絵柄は、手塚治虫調+関西新興劇画勢のミクスチャーという印象です。子ども向けまんがを脱皮し、オトナの鑑賞に堪える作品になっていると思いますが、当時は、このテイストを理解する読者は少数派だったかと思います。

アルバイト 石川フミヤス 33p

・いわゆるアタリ屋として自動車に自ら接触して見舞金をせしめることで金を稼いでいる高校生・狂田(きょうだ)。彼は、アタリ屋稼業をアルバイトと称し、金を稼いで来いと鬼の形相でせっつく母親に金を渡していた。大事な公金を失くしたとい落ち込んでいる学友の春山に、アタリ屋で稼ぐ事を教える狂田であったが、結果春山は自動車事故で命を落とすことになってしまう。自席の念に捕らわれる狂田であったが、アタリ屋をやめる事は出来ない。しかし、最終的に狂田は・・・・。

・狂田、きょうだとは、またインパクトのある名字ですが、他の石川フミヤス作品でも使われていたような記憶があります。

 ◆第二号◆ 

 左より、表紙(カバー欠)、扉部分、奥付ページ

●表紙(原英夫)、扉・目次(さいとう・たかを)

目次のページ(見開き)
目次のページ(見開き)

●定価150円 編集者長井勝一 奥付には黒の影②と記載。

死顔をケトバセ!! さいとう・たかを 27p

・扉に記載あり「さいとう・たかをプロダクション作品/本格ハードボイルド」あり。

・犯罪組織で活動する男たち・・・・非情、残忍、狡猾、そして忠誠。正義と立身の狭間で揺れる男たち。さいとう・たかをの流麗なタッチが非情に男たちに良く似合う。

非情 つげ義春 35p

・麻薬取引を巡る犯罪組織と警察組織の攻防。取引に現れた謎の女性は、関西の殺し屋鮫島兄弟の弟こと通称「ハンサムのケン」だった。鮫島兄弟との大きな因縁を持つサムという謎の男の正体は? 正統派エンタテイナーとしてのつげ義春の特徴が出ている佳作。

雨ん中 都島京弥 46p

・扉に記載あり ヒマナぐるうぷ作品(マークもあり)

・生まれ故郷である長崎県対馬の地に、家出から戻って父にお詫びを入れる伸二。伸二は、東京で何かのトラブルを起こしてきたようである。対馬で大掛かりな人身売買が行われているという噂は伸二の帰郷と何か関係があるのだろうか?絵柄は好き嫌いが分かれるかもしれませんが、構成は見事。

落ちる 山森ススム 30p

・扉に記載あり 劇画工房作品(マークもあり)

・エンゼルホテルに宿泊していた男はトイレに起きた際、自室と間違って他の部屋へ戻ってしまい、そのベッドで寝入ってしまった。その部屋の宿泊者が戻らないうちに部屋を出ようとするのだが、宿泊者が知人の男性と一緒に部屋へ戻ってきてしまい、ベッドの下に隠れざるを得ない状況に。入ってきたその二人の男は争いを始め、ベッドの下で息を潜める男。結局殺人事件に巻き込まれてしまったた男の運命はいかに。何気ない日常の裏側にある恐怖を描かせたら山森ススムはウマい。現在のマンガ読みの目からすれば、未成熟と感じるかもしれないが、発表当時はかなりインパクトがあったと思われます。

ゲンコのおかえし 石黒昇 46p

・扉に記載あり 手書きで「あくしょんまんが」

・「アクション漫画」なり「アクションマンガ」とせずに「あくしょんまんが」とするところに作者石黒のこだわりを見ます。マンガとカタカナ表記するのは、この当時は一般的では無かったかもしれません。手塚調の従来の漫画とさいとう・たかをを中心とする劇画調の絵がウマい具合にミックスされていると思います。犯罪やアクションを描けばイイ?という風潮に素直に乗れなかったのかと思います(辰巳ヨシヒロ、松本正彦ら少なくない作家さんが突き当たった壁かもしれませんが)。殺伐とした雰囲気を無理にでも出したいという作者の意図を感じるのですが、これは作者のニヒリズムの発露かもしれません。

友情 石川フミヤス 33p

・扉に記載特になし。手書きで作品名と作者名。

・石川フミヤスと言えばさいとうプロダクションの一員と認識する人は少なくないかもしれませんが、この当時は未加入のようです。プロダクション加入後も単独名義での作品もあったでしょう。本作品は、ちょっとした変装により危険な奴と思わせることで、恐喝されている友人の窮地を救うという話しです。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、嫌みの無い実直さに溢れた石川フミヤス作品だと、不思議に説得力があります。

◆第5巻◆

(5号相当、なぜか巻標記) 

・目次と扉は永島慎二によるものと推測(クレジット無し)

・巻末の「チャランポラン兄弟 宇田川マサオ」の広告が興味深い。

金〜おあし〜 永島慎二 70p

・扉に記載あり MOOD COMIC  /PRESENT BY むさしの漫画ぷろだくしょん/1960・7作品。

・大学生山野進は、資産家のおじの経済的支援を受けていたが、通学せずパチンコ三昧の生活をしていた事もあり、突然支援を打ち切られてしまう。全く意に介さない山野であったが、こじき同然の男にある頼み事をされる。こじき(同然の男〜あるいは浮浪者に近い?)はデリケートという名の犬を大事にしていたが、その犬が死んでしまい、大きな喪失感にあった。山野はその頼みに応えようとするが・・・・・。

・昭和35年当時の大学生もパチンコしたんですね?とか意外な発見がありますが、金〜moneyという存在に正面から表現者として格闘を挑む二十代半ばの永島慎二の存在が眩いです。

・次号予告として真実(まこと)という作品の下段2/3ページを使った広告が本文に挿入されている。文学青年つげ義冬(よしふゆ)という人物が主人公の作品のようです。以下、文章部分をそのまま引用する。 文学青年つげ義冬くん 彼はなぜそのことをとい青春をくらいかんごくの中ですごさなければならなかったのか!なんと真実を口にしただけであった。

みな殺し 山森ススム 30p

・扉に記載あり 劇画工房作品(マークもあり)

・北大路竜之介ら四人の男たちは、銀行強盗を計画していた。北大路の弟は怪我をしているため、他の3人ほどの働きが出来ない 。北大路は弟をかばうのだが、他の二人は納得できない。そんな状況下、その弟は何者かに殺されてしまう。果たして弟を殺したのは誰か?結局壮絶な仲間割れが進んでいくのであった。北大路竜之介を含む三人の悪人たちの仲間割れが、丁寧な駒割で綴られる。

こいつは罠だ フカイヒロー 36p

・イラスト的というか、この時代のアクション劇画とは一線を画すタッチで描かれている。この当時の貸本漫画にあっては独特な絵柄、フンイキを持つ作品だと思う。絵柄はアメリカンコミック的な要素を多分に感じさせるものであり、ストーリー展開も独特。

・特に興味深いのは、一般には手書きで描かれる場合が多い擬音(効果)が、全て小さな活字で表現されている事。飛行機の動きは「活字で・ゴー」、活字でブルル」。拳銃も弾も「活字でズダダン」、「活字でガガーン」。イラスト的なモノを意識しての事だと思うが、このスタイルでの作品、もっと読んでみたいものです。

半顔の鬼 大田春彦 42p

 

・この作家さんは初見。旧世代〜この場合は手塚チルドレンより前の世代という意〜、と推測します。達者な絵だと思います。ベテランの「絵描きさん」と呼びたいところです(勝手なイメージですが)。

・大戦中の供出宝石類の横領に絡む復讐劇が基本枠組みとなる作品。供出品をうまいこと入手し、それを資本にして成功者となった・・・そんな噂が当時はあったのだろう?真偽のほどは別として。レトロなフンイキが味わい深い作品です。

野郎は皆んな昇天しろ 鬼堂譲二 27p

・鬼堂譲二1960.7.23作品と記載あり(最終ページ欄外下段)。

・この作家さんについては知っていた。劇画工房の作家たちのフォロワーという理解です。貸本マンガから雑誌への移行には対応できなかったか?(情報不足で判断出来かねますが)。

◆黒い影 別冊①◆

 

 左より、表紙、扉部分、表紙と裏表紙

●表紙:コンタロー、目次:永島慎二 と記載あり。奥付部分は欠落のため確認できず。

 

ステキなお返し 影丸譲也 38p

・扉には 1960.4 J・K  と記載あり。

・凄腕の殺し屋である堂本。大きな依頼に結果を出し、意気揚々と報酬を受け取りに行くのだが、どうも様子がおかしい。組長、ボス、それぞれの思惑が絡むなか、壮絶な銃撃戦が繰り広げられる。瀕死の身体で、ステキなお返しをするよと、ダイナマイトで大爆発を起こす堂本であった。

・さいとう・たかをタッチが色濃くでた作品と言えるでしょう。黒い影の看板作家がさいとう・たかをであるという事であえてさいとう・たかをタッチに寄せたのでしょうか?破壊願望、破滅願望に訴えるという点では成功している作品かと思います。

●狙われたツバサ フカイヒロー 40p 

・航空機のテストパイロットのテスト中の死亡事故を巡って探偵・大町五郎が活躍する。

・昭和35年作品としては、SF的で先鋭的な作品と言えるだろう。未来志向、都会的なセンスは漫画雑誌含め、この当時は殆ど類型が無いかもしれません。5集収録の同作家の「こいつは罠だ」同様、擬音(効果)は全て小さな活字で表現されている。

●新人原稿募集のページでは、さいとう・たかを先生、白土三平先生方の続く有名作家育成の為、とあり、この両作家を三洋社の代表作家認識していることが伺える。

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時刻百キロの凶器 山森ススム 30p

・扉に記載あり 劇画工房作品(マークもあり)

・銀行強盗を働き大金を得たものの、強盗の悪事をネタに強請られて(ゆすられて)いる二人の男。何度もゆすられてはたまらないと、その男を殺人を目論む二人が凶器として選んだのはオートバイ。目的は完遂するものの二人の男に待ち受けていたものは。

・作者山森ススムのバイク乗りとしての経験と知識が生きた作品。当時はかなりの高級品であっただろう外国製バイクを所有していた山森ススムだけに、疾走感のあるバイク走行シーンには特筆すべきものがある。複数ページ数を使い大胆に描写しており、ここまでのバイクシーンは、これまで描かれた事が無かったかもしれません。

殺し屋志願 つげ忠男 30p

・扉には、つげただお作画と手書きクレジットあり。だが、目次にはつげ忠雄とある。(これは忠男の誤植だろう)。

・腕利きの殺し屋鮫島。段々その報酬は上昇し、雇い主である松浦組のボスからも嫌な顔をされてきている。一方鮫島は殺し屋になりたいという若い男に「殺し屋・教育」を施していた。鮫島を暗殺しようと、松浦組のボスはが刺客として差し向けたのは、鮫島が教育していた若い男だった。師弟関係にあった二人の勝負の行方は。

・19歳前後の作家の作品としては驚くべき完成度の高さだろう。構成の巧みさ、そして兄つげ義春の影響を感じさせはするが、オリジナリティの高い画風。この作品をオリジナル貸本で読めてラッキーです。

白い花 前川浩康 12p

・扉には MOOD MISTEY とある。

・白い花、呼子の二作は第一回新人王当選作品(賞金一万円)のようである。

・獅子舞い(あるいは漫才といわれるものか)の携わる男と子供(三吉)の二人連れは、雨宿りのために、ある小屋へ逃げ込む。そこには一人の少女が居て、摘み取ったと思われる花を整理していた。そこへ、へび(まむし)が現われ、怯える三吉と少女。そして、まむしは・・・・。怖いテーマ、ハードなテーマの作品ですが、おとぎ話的としても読める一方、不条理作品としても読めるでしょう。初期のガロに載っていそうな雰囲気を感じます。

呼子 前川浩康 30p 

・乗合バスがバックする際には車掌の女性が、バスの外から呼子を吹いて進路誘導を行ったのですね。その進路誘導作業が事件の重要なカギとなる殺人が絡むミステリー。娘の父への情愛を背景に詩情とミステリーが交差し、かなりの完成度の作品。

・白い花、呼子の作者前川浩康については、寡聞にして全く知りませんでしたが、児童漫画、童話、絵本という言葉が似つかわしいかもしれません。令和時代のアックス(青林工藝舎)に掲載されていても違和感ありませんね。この作家さんが、この二作で漫画制作を辞めていたとしたら残念な事です。

人間洗濯機 宇田川マサオ 1p

・8コマ漫画の体裁ですが、横に読み進める形式です。令和の時代には、あまり見られなくなった絵柄かと思いますが、個人的には嫌いじゃない絵柄です。

石川フミヤス ストレートの鉄 約24p(終盤欠落のため確認できず)

・扉には、アクション劇画、右近鉄三郎活躍 とある。

・刑務所から出て来たばかりの男が、強力なパンチを武器に大暴する痛快アクションといったところ。エンターテイメントに徹しており、嫌みの無いキャラクター右近鉄三郎が頼もしい。


2022.3.17アップ


 

影30集 日の丸文庫

貸本漫画 影・30集 日の丸文庫を読む機会に恵まれました。個人的な印象ですが、影は古くなればなるほど、番号が若いほど、アクセス(読むなり購入するなり)が困難になります。

・発行年は昭和34年の3月頃と推測。山森ススムと桜井昌一の両作品には劇画工房マークがありますが、松本作品には無し。松本正彦の劇画工房への参加は若干遅れたわけですが、松本加入前の「劇画工房七人体制」の時期となります。

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・影丸譲也(1940ー2012)は19歳頃の作品となります。劇画工房同人より3〜5歳程度若いわけですが、先行した作家たちの良いところを貪欲に吸収して急成長していた時期かなあ?と思います。殴り描きに近いとでも言ったらいいのでしょうか?独特のタッチを持った作家さんだったと思います。テクニックがあった上での殴り描きタッチ故に、フォロワーが出にくかったように思います。キッチリ描く方が易しいのかもしれませんね。荒々しさを出すための独自の筆致(タッチ)であり、殴り描きという言い方は好ましくないかもしれませんげ。女性の描き方は、関谷ひさしの影響も伺えます。影丸譲也(穣也)は、原作付きの作品が多かった作家というのが一般的な見方であろう、と思いますが、原作無し作品にも、良い作品が多いと思います。

・水島新司(1939-2022)

 この時期は、水島さんにとっては、『大阪日の丸文庫で働きながら、漫画家のキャリアをスタートさせた時期』ということになるのでしょうが、その後約60年近く、連載を持ち続けるA級クラスの商業作家として活躍続けるわけですから、この才能に、この時点で注目できた、というのは実はすごい事なのかもしれません。

以下、各作品を紹介します。

(1)アンソロジー駒画 雨降る夜 松本正彦 18p Ⅱ.59と表紙に記載。劇画工房マーク同様に、駒画のシンボルとしての「マーク、図案」があります。

 ・ストーリー:東京都内のアパートで大学受験を控え勉学に励む主人公中野治。雨の降るある晩、小学校で親友だった国分寺が中野の前に突然現れる。すっかり面影が変わってしまったが国分寺であったが、中野は国分寺を精いっぱいもてなす。が、翌朝、国分寺は忽然と消えていた。国分寺の実家に手紙を送って彼の現況を尋ねてみると国分寺は最近自殺していた事が分かった。雨の夜、中野の前に現れた国分寺は幽霊であり、中野と国分寺が小学校の卒業時に交わした約束を果たすために姿を現したのであった。

・解題:古臭い印象は免れないものの、情感漂う作品。原案に近いアイデアの小説があるような気がしますが、この味わいは松本作品ならでは。

(2)クイズ部屋 私は殺される 桜井昌一 18p(+解決編2p) 劇画工房マークあり

 ・ストーリー:土蔵にこもり切りでほぼ外へ出ない生活をしている初老の男。「あなたは身内のものに狙われている、気を付けよ」という巫女の神託を信じ、怯えながら生活しているのだった。男は国宝級の雪舟の掛け軸を所有しており、医者の武田は、その掛け軸見たさに、男を度々訪れている。男の二人の息子は父親に借金を申し入れたいが、巫女の神託を信じる男は二人の息子とは会おうともしない。息子二人は土蔵の合い鍵を作り、土蔵に入り込む事に成功するのだが、頭に銃弾を受けた父の遺体を発見するのであった。犯人は誰か?

 ・解題:いつも感じることだが、桜井昌一作品は、素直に(字面通りにというのも変な言い方だが)解釈、受け取っていいものなのか悩ましい。斜め上

(3)アクションスラリー 末路 影丸譲也  59.3と表紙に記載あり(1959年3月制作の意であろう)

 ・ストーリー:五人ほどの男たちが、一人名の男を追っている。どうやら犯罪組織内での仲間割れのようである。追われた男は、とある家に身を隠すことに成功するが、その家に住む少年は、兄を亡くしたばかりで、その遺影の前で線香が煙を上げていた。そして少年の兄は麻薬Gメンであった。少年は医者を呼ぶなど親身になって男を助けようとする。大がかりな麻薬取引を巡り、少年と追われていた男の人生が交錯していく。

 ・解題:上手いなあ、と思わせる。昭和16年生まれなので若干18歳。先行の先輩たち〜劇画工房同人など、ひとりひとりの良さを取り込み見事に消化していると、言えるだろう(まだ途上なのかもしれないが?)。

(4)題名募集作品発表 スリラー小劇場「道連れ」 山本まさはる 下半分のみサイズで16p

 ・ストーリー:胃がんで余命いくばくも無いと医師に宣告を受けた男は、どうせ死ぬなら、と多くの悪事を犯している旧友の男を道連れにしてやろうと一計を案じるのであった。

(5)題名募集作品発表 僕に過去がなかったら 水島新司 43p 34.2.20と記載あり。

・ストーリー:それぞれ浮浪者だった三人の男は、悪事を働いていたものの、懸命に生きて来た。前科がつかないようにと、注意していたものの組織に属する身ではどうにもならなかった。懲役1年の刑に服した後出所した三人は、まっとうに生きると近い、二年後の再会を約束してそれぞれの道を歩むことにするのだが・・・。

・重いテーマですが、希望を抱かせる水島節は、この時点で既に完成していると言っても過言ではないでしょう。

(6)OK劇場 おばたかづひろ 奇妙な男 上半分のサイズで16p

・ストーリー:とある洋館で、ボロつぎがたくさん施された衣類をまとった男が倒れているのが発見された。洋館の当主は男に問いただすが、男自身、どうしてここで自分が倒れているのかが分からない。だが、当主が男を尋問していくに意外が事実が明らかになって行く。

(7)新作長編80枚の代力作 恐るべき予言 山森ススム ページ欠落のため詳細のページ数不明。劇画工房マークあり

・ストーリー:父の言いつけで銀行の貸金庫へ預けてあるダイヤモンドを取りに行く少年は、未来の事が分かるという不思議な雰囲気の男と出会う。その不思議な男は、少年の父がライオンに噛まれて命を落とすだろうとの予言をする。少年と父は全くのデタラメであると思い込もうとするが、だんだんと不思議な男の言葉に捉われていく。

・解題:山森ススムらしい、心理スリラー。北大路竜之介の怪演とでもいうべき独特の佇まいが印象的。また、自動車で移動するシーンの臨場感はこの当時の漫画表現にあっては特筆すべきレベルであると思う。

2022.4.11アップ。(山森ススム先生蔵書を使用して作成)

 

 

 

 

2021Nov_山森ススム先生訪問

 2021年11月某日、京都市の山森ススム先生宅を約二年半ぶりに訪問しました。午後1時から6時頃まで約5時間、いろんな話を伺う事が出来ました。現在の山森先生の生業である螺鈿制作のマネジメントをされている山森先生の御長女である藤原一求美(ふじわらいくみ)さんを交えての鼎談となった形で、話題は尽きることはありませんでした。尚、2014年4月に実施したインタビューはも併せてご覧ください⇒クリック。また、今回の訪問前日には大阪堺市で開催中のゴルゴ13展を見に行きました。

 これまでも何度か山森先生には貸本漫画時代の事を中心にいろんな話を聞かせて頂きましたが、今回はハクダイ手持ちの山森作品収録貸本漫画十数冊(短編誌収録が多いですが)を事前に御自宅に送り、その山森作品を実際に手に取って頂いた上で当時の事を振り返ってもらおう、そんなスタンスで臨みました。

Y:yamamori(山森ススム先生)

F:Fujiwara (藤原さん、山森先生のマネジメント担当

H:hakudai(ハクダイ)

C:ハクダイが付記したコメント(鼎談席上での発言の要旨、その後確認できた事など)

 

 ●金龍街の狼

H:私が所有しているのは、この合本ですが、この本の存在はご存知でしたか? C:書籍タイトルは暗闇坂の首男。前半が辰巳ヨシヒロ作「21の指紋」後半が山森ススム作「金龍街の狼」発売所は㈱八興、オリンピック文庫、定価150円。編集兼発行人「山田喜一」作品の詳細ページへ

合本・暗闇坂の首男を手にして。
合本・暗闇坂の首男を手にして。

Y:いや、この本の存在は知らなかった。なんでこんな事したのかねえ?この原稿は一発で通った。

H:日の丸文庫で出した二冊を、原稿の使いまわし、そして極厚でお得、という感じで出したんでしょうね。最終ページに1955年4月と署名がありますね。山森先生のお生まれは1935年7月1日と伺ってますので、満二十歳(はたち)になる前ですね。

Y:・・・・(c:懐かしそうな表情を見せる)

H:少年探偵の勝山勇三、キャラクターとしては類型があまり無いよう気がします。この勝山勇三の名前は、何か参考なりヒントにした名前があるのでしょうか

Y:勝山の名前ねえ・・・特にないねえ・・。当時は、ハリウッドの映画はよう見てた。物語をつくるのが好きだったから。

 

●山彦に聞け(やまびこにきけ)

真剣な表情で見入る山森先生。
真剣な表情で見入る山森先生。

H:これもワタシの所有しているものですが、セントラルですね。1958年(S33)頃とみてますが、これは勝山勇三キャラは出てきませんね。作品の詳細細ページへ

Y:セントラルの名古屋の事務所へ本水(もとみず)と二人で行ったことがあるね。名古屋駅に着いたら大きなところでビックリしたね。バスに乗って事務所まで行ったかと。

■■■山森先生が保管している本をわざわざ取り出して来て並べてくれる

C:以前にお邪魔させて頂いた時に拝見していたのである程度の冊数をお持ちという事は知ってたが、こうして並べてみると壮観です。約30冊程度ありまして、ハクダイが予め送付させて頂いた分がショボく見えますね(苦笑)。

H:昭和30年代初期に多いB6判の単行本は、手に取る機会がそうそうないので嬉しいですね。これは、当時のモノをそのまま保管していた?ということですか?

F:当時のモノでは無くて古本屋やインターネットで少しずつ買い集めたモノですね。

H:実際どなたが買い集めたのですか?

F:私なり弟ですね。C:アニメーターとして活躍中の山森英司さんの事。

H:御自身でお描きになった作品の制作リストを残しておく、出版された本は保管しておく、そのような習慣は無かったと伺っていますが。この中には、当時から保管されていたものはあるのでしょうか?

Y:次々と描いていく事に意義があり、残したり振り返る事をしないから、描いたのも忘れている。C:「職人」を定義づけるのは難しいモノですが、制作に打ち込んでいる一瞬一瞬に価値がある、そのように理解しました。

 

●幽霊列車

H:タイトルは聞いた事があるように思いますが、実物は初めて拝見しますね。日の丸文庫では無くてセントラルですね。作品の詳細ページへ

Y:これは二作目くらいかな?(出版社問わず?セントラルの?)。表紙もワシが描いとる。大阪駅前に問屋街があってね。そこに本がぎょうさん積んであって。この本は数が少なくなってて。なんで少ないのか?を聞いたら、それだけ売れているんだよ、と言われたのを覚えてる。

H:今チラッと拝見しましたが、おまじみのキャラクターである仁君(ひとしくん)と千太君(せんたくん)が出てきますね。

Y:三人組で、もう一人出てくる。せやけど、一人は、その後(の作品には)あんまり登場せんようになってしもうた。

●明日なき男

H:この作品は日の丸文庫ですね。表紙が明らかに別の方(作者の山森さんでは無く)が手掛けていますね作品の細細ページへ

明日なき男の冒頭見開きページ、by S.YAMAMORI  56'5 と記載がある。昭和31年5月の制作の意であろう。大胆な構図は、この当時にあっては貸本マンガだから可能であったと思われます。
明日なき男の冒頭見開きページ、by S.YAMAMORI 56’5 と記載がある。昭和31年5月の制作の意であろう。大胆な構図は、この当時にあっては貸本マンガだから可能であったと思われます。

Y:これは久呂田(クロダ)さんだね(表紙を描いているのが)、クロダさんの絵は感覚が古い。 C:久呂田まさみ(ウイキペディアにて項目あり。久呂田正美、本名の黒田正美名義の作品もある。絵物語がまんだらけより復刻さえれて話題になった)

H:久呂田さんが単行本表紙を多く手掛けたというのはよく知られていることですね。他の人が表紙を描くのは、あまり気持ちのいいモノでは無いですよね?

Y:その分、原稿料が表紙描く人に抜かれるわけだからね。

H:金銭的な事もあるでしょうし、他の人が表紙を描くのは作家さんとしては、内心複雑でしょうね、でも表紙が売り上げを左右する側面も確かにあったかと思いますね。 貸本漫画も徐々に作家さん自身による表紙が増えていったかと思いますが、金銭的な理由も大きかったかもしれませんね。

Y:久呂田クロダさんは、もの静かで上品な感じの印象のひとやったね。

H:クロダさんは大正時代の生まれですか?昔はそういう人いたんでしょうねえ・・・。。破滅型タイプ?

Y:お酒と一緒にいつも胃酸(胃薬)を飲んではった。

H:山森先生から見ても古く感じられた?というのが興味深いですね。ワタシが小学生の頃、学校の図書館で読んだ児童向けの本の挿絵みたいな雰囲気があるかもしれませんね。今の視点で見れば、これはこれで味がありますが。C:久呂田まさみについて、その後藤原さん経由で山森先生より聞いた話では、もの静かで上品な印象を受けた、との事。また、クロダさんのお宅へも伺ったことがあり、何冊もの表紙を筆を舐めながら描かれていて、「もうそこまで手を入れんでも宜しいがな・・・」と山森先生が口にしたら、クロダさんの返答は「自然に手が動いてしまう」だったとの事。常人離れの古き良き時代の絵描きさんというでしょうか?

●全機突入せよ。

H:これは日の丸文庫ですね。タイトル含めどこかで見た記憶がうっすらとあるような。表紙は山森先生御自身ですよね。 作品の詳細ページへ

Y:そう、表紙もわしが描いとる。これは日の丸文庫で3冊目だったかと。いとこの山森ヒデオさんに取材させてもろうて描いた。

 

H:こうして、パラパラ見てみても、実録風とでもいいますか、こども向けの娯楽であるもの、という通念からの脱皮を目指している作品という印象ですね。ドキュメントといいますか、漫画というメディアで、どこまでリアリティを出せるか?そのあたりに腐心してるように感じますね。当然、手塚漫画の影響からも抜け出たいと・・・、そんな風にも感じますね。

Y:実話っぽく。戦記、実録戦記を描こうと。日の丸の社長が、表紙絵を(自分に)描かせてくれはった。

H:日の丸文庫で、徐々に信任されるようになってきた、と言うことですね

Y:社長と専務が、山森に力入れていこうと話していた。描いたらすぐに通った。

H:日の丸文庫の三羽烏と言えば、さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、の三人を指す事が多いようですが、それに続く存在だったんでしょうね。

Y:さいとう(・たかを)さんが、人の顔を描くには、黄緑(きみどり)を入れると肌色をいまく描けるとアドバイスしてくれはった。

●日の丸文庫の思い出

H:京都の人から見た大阪〜日の丸文庫というのは、どんな風に映ったのでしょうか?c:ハクダイ自身は東北に生まれ育ったこともあり、関西と言えば京都、大阪、名古屋、神戸、広島、このあたりがゼンブ一緒くたに関西となっています。

Y:コロッケ半分でいい、と言いよったからねえ。

H:もう少し詳しく聞かせて頂けますか?

Y:うちらみたいな若手の漫画家が何人かで日の丸文庫に居た時、昼飯・ひるめし?おひるごはん?を、若手漫画家に振る舞うという話になって、そのおかずをどうするか?一人あたり一個で無くて半分で十分だと。

F:いやあ、嘘みたい(苦笑)。

H:大阪商人の真骨頂ですね(苦笑)。昼食の準備をしようとした人(日の丸文庫の事務の方)にそう指示したということですよね?

Y:事務員さん(女性の)の人、桜井昌一さんの奥さんになった人だけどね、その人が買いに行くという話になってね。

F:京都と比べたら、そりゃあセワしないですよ大阪は。大阪へ出かけて京都に戻ったらホッとしますよ。

H:半世紀どころか、60年前の昭和30年代前期(1955〜1960年)の話としても、インパクトある話ですね。c:藤原さんに改めて確認してもらったところ、コロッケを「半分にしとき!」と仰ったのは、山田社長のお父さんだったらしい(実際のところは分かりませんが)。また、水島新司さんが日の丸文庫で住み込みで働いていた頃(マンガ家としての活動も並行している)のエピソードとして「朝ごはんがお粥さんで、お腹が空いた、と事務所で豆をポリポリ食べていた」、と語ってくれたそうです。

●摩天楼 について

 C:劇画工房の機関誌的な色合いが最も濃かったのが短編誌摩天楼であった。全14冊(集ないしは号、そして別冊が1冊。本誌はA5判サイズだが、この別冊はB5判。ハクダイは、長年全ての摩天楼に当たることを目標としているが、いまだ実現出来ていない。摩天楼第一号(集)の現物をこれまで手にしたことは無い。当然所有していなし。東京上野のある国際図書館所蔵品の電子データのプリントアウト(全部プリントアウト可能だが、ハクダイは諸事情で一部分のみプリントアウト)。

 H: 掲載作品ごとに、作者の人となりや作風について、無記名でコメントがあるのですが、これは辰巳さんが書いたんでしょうか?

 摩天楼創刊号の目次とさいとう・たかを作品扉部分に見入る山森先生。
摩天楼創刊号の目次とさいとう・たかを作品扉部分に見入る山森先生。

Y:そうだと思うよ

H:山森先生へのコメント、作家紹介としては簡潔にうまくまとまっていますね。

Y:ほめちぎってくれてありがたいねえ、一目置いてくれているね・・・

摩天楼創刊号掲載の自作品「13号桟橋事件あり」に見入る山森先生。
摩天楼創刊号掲載の自作品「13号桟橋事件あり」に見入る山森先生。

 

C:摩天楼1号には山森先生は『13号桟橋事件あり(全25ページ)]を寄稿。作品最終ページに辰巳ヨシヒロによると推測される、作家紹介的な一文が添えられている。以下全文を引用 山森先生の作品は、どちらかといえばアクション風なものよりも怪奇的なフンイキの中でくりひろげられるスリラーものが多いようです。「13号桟橋じけんあり」の最後における、にくらしいほどのあざやかなドンデン返し、読者の諸君は作品にかけられた罠に見事ひっかかってしまったことでしょう。先生は「金龍街の狼」という作品でデビューされてからもう4年余り、劇画工房の中堅作家といったところです。

●摩天楼第六集号を手に取って

F:これは弟の英司が、最近買って送ってくれたものですね。2021Nov(kansai)_20211112141459sm_

C:山森ススム先生は三人のお子様に恵まれた。長女の一求美さん(マネジメント担当)、長男●●さん、次男英司さん。次男の英司さんは、アニメーター、デザイナーとして知られます。ウィキペディア/山森英司←クリック。 長男●●さんは、残念ながら●●年に五十●歳でご逝去。

Y:辰巳さんが表紙描いてるね。大変だったろうね。(C:辰巳さんの絵と直ぐ分かる人は少ない気がします。編集が大変だったろうなあ、との事かと思います)

H:摩天楼は、劇画工房の機関誌的な色合いが濃いですよね

Y:そうかもしれん。

H:劇工通信として、同人の活動、動向が紹介されていますね。「大阪在住の山森、桜井、K元美津、佐藤の四氏が7月2日に上京」とありますね。記事の最後の方には、「山森、桜井両氏は7月19日の夜行で帰阪予定です」とあるので、半月ほど国分寺に滞在されたようですね。c:1959年(昭和34)の事。

Y:よう覚えてないなあ・・・・・・・。思い出してきた。一ケ月ほどに思う。毎朝?(毎日?)駅前のきんちゃん食堂(?)に行ったり、喫茶店で劇画談義したり。昼から皆で風呂屋(銭湯)に行ったり・・・。c:喫茶店は風車を含め、三軒ほどのようです。

H:この時期ですよね?劇画工房の8人全員が一枚に収まっている例の歴史的な一枚が撮影されたのは?

Y:そうかいな・・・これも覚えてないねえ。

C:大阪在住の山森、桜井、K元美津、佐藤の四氏」とあるが、山森、K.元美津の両名は京都よりの上京が正しい。山森ススム先生は、中学校卒業後1年間の東京での就労経験があるが、京都を離れずにマンガ制作を続ける。劇画工房の存続期間については諸説あるが、山森ススム、K.元美津の両名のみ、上京すること無く京都を拠点とした。また、K.元美津の上京は1970(S45)年の事。

●貸本屋を営む

F:貸本屋をやっていた、ってどこかに書いはったけど?

Y:言ったことなかったかな?ここで開業しとった。大阪へ仕入れに行かならんし、すぐにやめた。半年くらいだったかなあ?

H:マンガ家本業で貸本屋副業ですね。店番だけならともかく、実際に本を仕入れに行くとなると、時間の問題とか大変そうですね。

F:その貸本用に使っていた本はどうしちゃったの?

Y:処分してしもうたねえ。

●母と妹に手伝ってもらった

H:同じく京都在住の元美津さんとは、頻繁に顔を会わせていたようですが、京都に貸本マンガ出版社は無かったと思いますし、ひとりでの漫画制作には苦労する部分もあったかと思うのですが。

Y:母、妹に線引きや黒塗りは頼んでいたねえ。ネタを探す、アイデアを絞り出す、こちらがやはりねえ。本屋さん、映画館にネネタを探しによう出てたねえ。

H:山森作品は黒い部分が多い、とはよく言われます。貸本マンガ家として、約10年、西陣の仕事が忙しくなり自然とマンガ制作からは遠ざかった、と伺っていますが。今日、同席頂いております長女の一求美さんが1960年(昭和35)生まれと伺ってますから、昭和30年代後半は、公私にわたり多忙を極めたかと思いますが。

Y:内記さんに山森さんは数(作品数)が多いねえ、言われた。締め切りを守った方だから。

H:貸本出版社は、日の丸文庫は大阪ですが、東京に多いですから、京都で制作していて締め切りを守ったというのは、結構スゴイことかと思います。山森先生のプロ意識が伺えますね。

Y:かなり、大変やったけど、ストーリーは次々に浮かんだ。もともと、絵より物語を描きたい方やったから。

 

●劇画工房マークについて 

H:劇画工房所属の作家の作品には、辰巳さんがデザインした劇画工房マークが付いていて。このマークは、毎回描かれていたのですか?

Y:辰巳さんが、マークが大量に印刷してあるモノを準備してくれて(当時シールが在ったどうかは覚えていない、のりで都度貼っていたか?)それを毎回貼っていたねえ。

H:劇画工房は同人の8人のうちの4人が脱退してからも残りの4人で活動を続けた期間もあるわけですが、この劇画工房マークを一番最後まで使っていたのが山森先生ですね。

Y:そうかいな?

H:残った4人が東京在住の桜井昌一さんと石川フミヤスさん、京都在住の山森先生、K元美津さんですから、意思疎通がうまく行かなかったのだと容易に想像がつきますが。

Y:六十年以上前のことだからねえ・・・忘れてしもうたなあ。 C:昭和34年(1959年)の事。

●山森博之名義作品

H:この鉄人は山森博之名義ですね。1969年頃(S39)でしょうか? 約10年に及んだ貸本マンガ家としては最終版に相当する時期かと思います。

懐かしそうに「鉄人」をめくります。これは山森先生の蔵書です。
懐かしそうに「鉄人」をめくります。これは山森先生の蔵書です。

Y:こんなのを描いていたんだ。覚えていないねえ。

H:辰巳(ヨシヒロ)さんの第一プロですね。辰巳さんも貸本マンガ業界の衰退に抗って暗中模索していた時期かと思います。SFものを次のトレンドと読んでいたのかと思います。SFモノを描くうえでの苦労などありましたでしょうか?

Y:描いた事さへ覚えていないからねえ(苦笑)C:山森先生の野心作と評されるべき作品である。古臭い印象は拭えないが、当時のSF作品の雰囲気を感じる事が出来る。

●時代もんはよう描かんわ

Y:英司(次男山森英司さん)が時代モノも描いたんだ、と最近、言ってきたけど、そうかいな?覚えが無いなあ。

H:数は少ないのかもしれませんが、私も山森先生の時代モノ作品を見たことがありますよ。時代モノ特有の難しさがあるかと思います。

Y:時代考証が難しいね。着物の柄やら。けど一つ、先祖の豪族兵頭家のお仙さんのお墓にかいてあった事が気になって、描いてみたい気もある。足利義明との話。

 

●辰巳さんのお兄さんの事

Y:辰巳さんは桜井昌一さんの上にもうひとりお兄さんが居たのは知ってはる?

H:辰巳さんの劇画漂流に出てきますよね。

Y:弟二人(辰巳さん、桜井さん)を凌ぐすごい才能(漫画を描く)が人やったみたいよ。桜井さん(辰巳さん? 両人?)が、よく、その長男さんのことを、スゴイと言ってましたわ。

H:それは興味深いですね。C:いつの時代でも才能溢れる人というのは居るものなんでしょうが、絵を描くという事が道楽的なモノと見られる事が現在より強かった時代だったと思います。

●御次男の英司さんの事

Y:英司が、ゴジラのアニメに関わっているのよ。このアニメは見たかいな?

手に取っているのは息子さんのムック本掲載の山森英司さん関連ページ。ムック本⇒ゴジラ S.P ファンブック  /双葉社スーパームック  2021/7
手に取っているのは息子さんのムック本掲載の山森英司さん関連ページ。ムック本⇒ゴジラ S.P <シンギュラポイント>ファンブック /双葉社スーパームック 2021/7

H:ゴジラものは、あまり得意じゃないんです。
F:ネットフリックスの配信がメインで、テレビ放映もあったんですよ。弟の英司が怪獣デザインで参加しているんです。

H:ゴジラ・シンギュラポイント・・・。ああ、こういうのがあるんですね。スミマセン、勉強不足というか、アンテナ感度が鈍くて。

F:怪獣デザインの依頼があったようです。亡くなった兄・一輝に捧げるって書いていました。C:山森ススム先生は三人のお子さんに恵まれました。長女一求美(いくみ)さん、長男一輝(かずき)さん、次男の英司さん。一輝さんは2019年5月14日に享年57歳で没されております。以下、姉一求美さんからの一輝さんへのコメントです「小さい頃から爬虫類や魚などの生き物・車・バイク・恐竜や怪獣・アニメーション・釣り等が好きで、大阪デザイナー学園アニメーション科で、作品の演出力に優れていたように思います」

H:近年のアニメーションはあまりフォロー出来ていないのですが、この作品自体のインパクトの大きさは理解できるつもりですね。勝手な事を言うようですが、アナログっぽさが要求されるような気がしますね。っとなると、山森ススム先生直系の遺伝子が為せる技かもしれませんね。

 

●螺鈿の仕事、そして最近のマンガ制作 

H:2014年に、藤原さんの協力を得て、Amzonのkindelで山森ススム先生の新作「行方不明」を電子書籍公開させて頂きました。amazon Kindleページへ 

F:吹き出し(セリフ)部分のテキスト入れが大変でしたわ(苦笑)。

Y:描きためたモノはぎょうさんありますわ。

 C:下記の写真は、描きためてある原稿を見せてくれて時のものです。

2021Nov(kansai)_20211112151142sm_ 2021Nov(kansai)_20211112151144sm_

 

H:多くの人の目に触れる機会があるといいですね。

F:ほんとにそうですね。

H:螺鈿のお仕事はかなり忙しいと伺っておりますが。

F:ここ数年は、正倉院の宝物を、現代的なインテリア向けに、螺鈿細工で再現するという仕事に注力してますね。

H:なんか凄そうというか、格調高い感じですね。ワタシ自身は無学・無教養でして、伝統工芸とか現代アートとかには丸っきり素人でよくわかりませんが(苦笑)。どこに行けば手に入るモノなんですか?

F:奈良国立博物館ミュージアムショップを通しての受注制作ですね。

Y:最近手掛けたアクセサリー類ですわ(見せて頂く)

2021Nov(kansai)_20211112162451sm_

H:同じモノが無い、完全ハンドメイド、完全手作りでしょうから、アクセサリー好きには垂涎の一品ですね。

F:ネイルアートというのは、ハクダイさん聞いたことありますか?ネイルアート用の素材として、螺鈿、そして螺鈿よりの派生技法である螺鈿彩が使用されているんですよ。

H:ネイルアートですか?そういうのがあるのは知っていますが、またスゴイ世界への展開ですね。

F:ひとの身体に実際使われるわけですから。もの凄い繊細さが要求されますね。

Y:ベース(下地)を塗ってからアートするみたいで、大丈夫のようですよ。山田愛理さんというネイリストの方が使わせて欲しいと、名古屋から来はりました。

C:寡聞にして全く知りませんでしたが、伝統工芸とネイル(ネイルアート)との融合を図る動きがあるようです。⇒ 螺鈿伝統工芸ネイル 山森先生と螺鈿彩についての詳しい記載があります。


 ●●約5時間の長時間にもかかわらず、丁寧に対応して下さった山森先生、マネジメント担当の藤原一求美さん、に御礼申し上げます。


2022.2.13 公開/2022.2.14修正と加筆。

 

矢口高雄作品を読む

10年以上前だろうか?ふと思い立って中古購入した矢口高雄作品をまとめて読んでみました。十代半ばだった1980年前後に講談社漫画文庫(1970年代終わり頃刊行だろう)でマタギ列伝を何冊か読んだのだけど、とにかくいろんな意味で衝撃的でした。

・マタギ列伝(汐文社;全6巻、B6判、チョウブンコミックス(漢字表記が正式か?)、刊行時期は奥付によると1975〜1976年)

・マタギ(双葉社アクションコミック;B6判、全3巻、奥付によると刊行(初版)は1975〜1976)

・岩魚の帰る日(単巻、B6判、汐文社ホームコミックス) 1976年初版で 現代マンガ作家選集とある。(これは短編集でマタギを扱ってはいない)

矢口高雄マタギなど10冊

B6判を10冊、完全にいわゆる斜め読みに近いところが多いのですが、矢口作品の奥深さに改めて気づかされた。というより、この年齢になって初めて気づいた事の方が多いのかもしれない・・。

創作の部分も多いのでしょうけど、マタギという人たちの存在をこうして視覚的に見れることに感謝せねばならないでしょう。世の中の変化に合わせて、当然、マタギという存在自体が変化してきたとは思いますが。活字情報だけならともかく視覚情報があるわけで、力量の無い作家が、この世界をマンガ化しようとしたら、かなりに困難な作業になるように思いますね。それこそ、異世界モノ?かファンタジーになってしまうかもしれませんね。

また、矢口さんの描く女性(少女含む)の素晴らしさはもっと強調されて良いと思います。何だかんだとあんまり類型が無いように思いますし(しいていえば、白土三平さんとかが近いかも)

 2021.5.26記載

 

集団制作と個人制作

朝日新聞2021.5.4〜5付に二回に亘って(文化欄)『コロナ下で読むナウシカ・上下』と題する記事がありました。上下分のそれぞれの文末に(大谷啓之)の記載があるので、この大谷さんという方作成の記事のようです。

 『風の谷のナウシカ』の漫画版とアニメ版の違いについては広く知られていることだと思います。漫画版とコロナ禍(下)の現況を重ね合わせて、その作品世界に迫っているのですが、宮崎駿さんが、当代随一のクリエーターであり、かつ当代随一の思想家でもあるということに改めて気づかされます。まあ正直ワタシのような無教養な人間には難解さが先に立つ感じではあるのですが(苦笑)。

気になったには、本筋とは違って、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーによるというカタチで宮崎駿監督の意見を紹介している部分。

宮さんは、映画では何百人ものスタッフを率いる以上「テーマはみんなが納得する公的なものでなくてはいけない」という思いが強いし、観客のことを考え、『最後は明るく』というのをやり続けてきた。だけど、漫画は個人的なものだから、自分の好きにやっていい。それは心ひかれるものだったと思う。 以上引用

 

(宮崎さんの意見、考え方(明言なり記述している)なのか、宮崎さんが考えていることを鈴木プロデューサーが推測しているのかは判然としないです)

 漫画の世界で、集団制作である事を『明言』しているのは、さいとうプロを率いるさいとう・たかを氏が、その代表格かと思いますが、そして、実際問題としては、『明言』している漫画家は少ないように感じます。読者の側は、作者の個性が色濃く反映しているのが漫画であり、一人の優れたクリエーター又は天才?によって生み出されるのが漫画である、いや、そうあって欲しいとZ希求している。読者も側は、そんな『漫画家神話』を無邪気に信じている。まあ、そんな読者の思いは、漫画に対してだけではなく他のメディアにも当てはまるのかもしれませんが、漫画はとりわけその傾向が強いかもしれません。好きなアイドル歌手への心情が、その感覚に近いかもしれませね(苦笑)。

あくまでもワタシの推測ですが、現行の漫画制作は、かなりの部分でシステマティックな集団制作が実際に行われていると考えます。それはなぜか?商品として流通させるには、その方が効率が良いから。

ですが、商品として漫画を売る人たちは、集団制作の産物であるという事には極力触れないようにしている。いや、それどころか、ひとりの偉大なクリエーターが生み出した作品であることを機会あるごとに印象付けている。ワタシはそんな風に想像しています。これは、特にディスっているわけではありません。企業人としては当然の行為ですから、むしろ誉められてしかるべき行為かもしれません。

「コロナ下で読むナウシカ」という本来のテーマから外れたところで、勝手な事を書き連ねてしまいました(妄想モードかなあ・苦笑)


2021.5.7記す(ハクダイ)