カテゴリー別アーカイブ: ハクダイのブログ

令和になって・・・

 ハクダイのカカク管理人ハクダイです。早いもので2019年も5月下旬。平成が終わってもうじき一カ月、そして令和元年のひと月目が終わろうとしています。

 元号というシステムが良いのか悪いのか?合理的なのか不合理なのか?素晴らしいのか?そうで無いのか?地球上に住む人それぞれ、感じるところ思うところ、考えるところはそれぞれでしょう。

しかし、当サイトは「昭和」と冠しておりまして、元号システムに対して何かしらの見識、意見を持った上でのサイト運営、とみなすのが妥当なところでしょう。

 結局、これは『あるメディア』の位置づけや存在意義は、その時代や社会性と切り離せないという問題に行き当たると思います。『一枚しか無い大きな絵』、『複製された紙に印刷された図像』、『液晶パネル上に映し出された絵』、同じ絵ではありますが、その時点での技術の進歩と共にあるということでしょう。

 200数頁のマンガ単行本の持つ経済的な価値は、50年前の昭和55年頃と令和元年では、全く違うでしょう。情報自体の質も量も変わっているだけで、読み手の意識や読むという行為自体も当然変わっているわけで、それは作り手側や流通の仕組み自体にも当てはまることでしょう。

 

 2019.5.26記す。

轟先生を読んでみる

新聞に掲載されている四コマ漫画が大好きです。記憶がおぼろげですが、小学生5年生くらいから、自宅以外でも新聞があると四コマ漫画だけは読まないと気が済まない性質・たち、でした。子供の頃から家では朝日新聞を取っていて、どんなに時間が無くても四コマ漫画だけは読むという習慣は今でも変わっていません。両親ともに健在で一人暮らしをしていた時期は新聞自体を定期購読していない時期もありましたが。 しかし、自分の周囲には、4コマ漫画読者が極めて少ないです。新聞の四コマ漫画を話題として会話が成立した記憶は、十代の時期に、友人のI.M.君、I.Y.君、H.S.君の三人しかないかもしれません。新聞を5紙ほど定期購読している漫画・小説好きの知人のOさん、職場のそこそこのマンガ読み、OJ君&SY君、彼らは全く新聞四コマ漫画に興味がありません。新聞を定期購読している人が近年激減しているような気がしているのですが(あくまでもワタシの交友なり生活圏の範囲で)、当然、新聞の四コマ漫画なんて、全く関心の外なのです。

 ワタシからすれば、なんてモッタイないなんですが(苦笑)。

朝日新聞の別刷りbeで週一回連載されている「サザエさんをさがして」、は、朝日新聞に掲載されたサザエさんの1回分を、発表当時の社会世俗を紹介〜解説を交えて読み解く、興味深い連載です。時事性という意味では、新聞四コマ漫画は、カッコウのテキスト・題材という分けです。テレビアニメのサザエさんが、新聞連載の4コマ漫画であることさえ知らない若い世代が出始めているような気もしますが(苦笑)

 40年近く前に購入した轟先生25集を読みなおしてみました。作者の秋好馨さんと轟先生についてはウイキペディアに、それなりに情報があり、それによると読売新聞(夕刊+朝刊)に掲載されていたようです。以下画像は所有の25集(文陽社 A5ハードカバー)ですが、web上でキレイな画像を多く見れます)

 

 発行年の記載が無いのですが150円という定価からして昭和35年頃(1960年頃)の刊行と推測します。

 不勉強なので、時事的な話題や世相、暮らしぶりより、詳細な発表時期を特定できませんが(涙)、昭和30年代ですかねえ?ざっくり言って。人間関係というか人と人の関係性みたいなモノはサザエさんより濃密な印象ですね。

2019.4.6記す

 

イガグリくんを読んでみた

 棚に20年以上放り込んであったイガグリくんの復刻版(1994年 アース出版)を読んでみました。この本は、個人的に思い入れがある本です。2009年に亡くなった母と1990年代半ばころに雑談していたころ、母の女学校時代の友人(旧制ですね)に何とかさんという人が居て、その方は福井さんというところにお嫁に行ったとかいう話が出た。その旦那さんの福井さんは有名な漫画家の弟さんだけど、あんた知ってる?というので、それは、もしかして福井英一の事なのか?と思ったら、まさにイガグリくんで有名な福井英一でした。母の友人の女性は、福井英一氏の義理の妹にあたる、というわけでした。

母が、思い出したように旧友へ電話したら、さっそく送ってくれたのが、今自分のところにあるこの本と言うわけです。

読み始めたら、冒頭には読み覚えがあったけど、殆ど読んでいないことが発覚(苦笑)。ほぼ二十年ごしの完読となりました。

福井英一が若くして急逝したことは、日本漫画史上、外せないトピックかと思いますが、イガグリくんは、その後二人の漫画家さんが描いているのですね。

骨格としては”勧善懲悪”的な性格の作品で、全くおとな(大人)らしくないオトナと気高い中学生イガグリくんの対比が興味深かったりしますが、昭和27~29年の漫画を取り巻く状況が見えてきますね。福井さんは手塚さんと親しく交流していたという逸話を読んだことがありますが、手塚さんのスケールの大きさに改めて感じ入りますね。

超人的な柔道の投げ技とその返し技は、柔道一直線(梶原+永島)が始めた事かと思っていましたが、こちらが元祖に相当するのかもしれません。まあ、講談(講談本含む)ではよくある展開だったりするのかもしれませんが。(全く持って無知なハクダイですね)。

イガグリくん (4)イガグリくん (3)

イガグリくん (2)

 

2019.1.20記す(2019.3.24修正)

 

2019年1月5,6日 都内へ行ってみました。

●1/5(土) 高速バスで都内に9時半頃に降り立ちまして、幾つかの場所へ。

●藤子不二雄A展 六本木ヒルズ★

●平間至写真展「平間至写真館大博覧会」会 場 :ニコンプラザ THE GALLERY 新宿エルタワー28階
●こんな写真があるなんて!―いま見つめ直す文学の新風景/文士の時代 貌とことば 林忠彦写真文学展 @日本近代文学館

●旧前田侯爵邸和館 ふと目に入って入ったのですが、素晴らしい空間でした。案内の方の説明を脇から聴いていたのですが、室内電灯は、当初は無かったモノのようですね。薄暗い室内で生活していたのですね。

●中野まんだらけ (貸本マンガ〜ビンテージマンガ、その他、気まぐれに巡りました。)

●1/6(日)

 

●すみだ北斎美術館 大江戸グルメと北斎 9:30〜・JR総武線「両国駅」東口より徒歩9分・都営地下鉄大江戸線「両国駅」出口より徒歩5分

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藤子不二雄A展で。  

2019/1/13記す。

 

 劇画という用語の登場時期について 辰巳ヨシヒロ&松本正彦 貸本時代:電子版を読む

2019年正月の三日目、気の向くままに電子書籍サイトで購入してあった9冊を読んでみました。購入後、初めて読むのも若干ありましたが、ほぼ再読です。

辰巳ヨシヒロが三冊
  目撃者、私は消えてゆく、続私は消えてゆく
松本正彦が五冊 
 サボテンくん、金色の悪魔、都会の虹、勇者黒帯くん、人形紳士
 そして、影第二集の全9冊です。

  以前から気になっていたのですが、辰巳さんの目撃者についてです。扉には「長篇スリラー劇画」「セントラル文庫」の文字があり、その次の見開き頁(こちらも扉と言えるでしょう)で初めてタイトル「目撃者」と手描き文字で描かれます。そして見開き頁の右上に以下のテキストがあります。

 脚本 劇画シナリオ工房

 劇画化 辰巳ヨシヒロ

 編集 あさひ・昇

 そして見開き頁での目次があり、1頁の『導入用のアソビ的な頁』があり、やっと本文になります。『導入用のアソビ的な頁』としましたが、専門的な用語があるのかもしれませんが、当方、勉強不足で分かりません。ですが、ここに57-5と手描きで製作年月らしき数字が入っています。

 青林工藝舎 大発見巻末の年譜の、1957年5月 にある「目撃者/単行本 セントラル文庫/126pがこのebookJapan電子書籍の目撃者に相当するかと思われます。 一般的に流布している辰巳ヨシヒロが、「劇画」という用語を初めて使用したとされる、『幽霊タクシー』街12/29p/セントラル文庫/58年2月刊 (この年譜では1957年12月のところに記載)より半年ほど早い時期の頃になる。

 幽霊タクシーにおいて、劇画という用語が公に使用された、という認識も考えなおす必要があるのでしょうか?目撃者の刊行自体が、だいぶ後になってから(1958年以降とか?)という理由で辰巳さん自身があえて、この作品を無かったモノとしたか?(習作的な位置づけで発表する気がなかったとか?)。辰巳さん自身が、完全に単純に忘れてしまっていたか?

辰巳ヨシヒロ大発見年譜1 (1) 年譜の1957年の5月に 目撃者が記載。

 

辰巳ヨシヒロ大発見年譜1 (2)年譜の1957年の12月に 幽霊タクシー 記載。

 目撃者の現物にあたることさえ難しいので、検証は困難ですね(少なくてもワタクシ的には)

2019.1.4記載

以下2019.1.24追記です。

上記を書いてから辰巳さんので劇画暮らしを改めて読み直していたら、この目撃者について触れていました。昭和32年12月完成の「幽霊タクシー」を「ミステリー劇画」して初めて「劇画」の呼称を明記した、と。続けてカッコ書きで、正確には32年五月発行の『劇画シナリオ工房』と記載、とあります。単行本表紙(と思われる)写真もあり、冒険王付録のために描いた「生き残った男」の四十ページのリメイク版とあります。

 辰巳さん自身は、この目撃者で『劇画』という用語を初めて使用している事を覚えているようですが、まだ、この時点では、自分自身の中で、劇画と新しい呼称で呼ぶことに抵抗があったのかもしれませんね。(まあ、辰巳さん自身がどう考えたか?今となっては知る由もないのですが)。(2019.1.24追記)