膨大な数の青虫蔵書よりハクダイが独断で気になる本を選んでみました。
管理人ハクダイの気になる青虫蔵書
☆紹介1/ああ無情モノ2冊
・その1田中久版 ・その2内山卓三版
作品の背景
文豪ヴィクトル・ユーゴーによる、1862年刊行のロマン主義フランス文学の大河小説『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)は、広く読まれている「超」が付く「名作」です。日本では、黒岩涙香による翻案が『噫無情』(ああむじょう)の題で1902年(明治35年)から1903年(明治36年)にかけて新聞連載されて以降、度々映画化されるなど、幅広い支持を受けてきた作品です。日本語でのいわゆる完訳だけでも幾つか存在し、児童向けの要約版も含めれば、相当数のバージョンが存在すると思われます。
日本国内での映画化が1910年~1950年の約40年間に、約10本(前後編やシリーズも、それぞれ1作とみなす)が行われています。
海外でも数多く映画化され、1980年代以降はそのミュージカルがグローバル規模で評判であり、まさに、近現代を代表する古典中の古典です。
最も最近のトピックとしては、新井隆広による』コミカライズがあります。『レ・ミゼラブル』2013年~連載中『ゲッサン』(小学館)。
「原題 Les Misérables は、「悲惨な人々」「哀れな人々」を意味する。
主人公の男「ジャン・ヴァルジャン」または、副主人公格の少女「コゼット」の名前を作品タイトルに使用して発表される派生物(アニメ、漫画、映画など)も多い。
その1/ああ無情/田中久/雑誌の付録/講談社なかよし昭和34年4月号/A5判
概要および解説悪魔のような姿格好の異形の者たちに追い掛け回されるというジャン・ヴァルジャンの見る悪夢で物語はスタートする。住み込みで働くコゼットは、クリスマスの日も一人淋しく過ごすさねばならない。コゼットの境遇を確認したジャン・ヴァルジャンは、雇い主に金を払う事で、コゼットを救い出す。コゼットと過ごすうちにジャン・ヴァルジャンの心境に変化が見られ、コゼットも幸せに近づいて行く。コゼットとマリウスの結婚式をエンディングに持ってくるという構成となっています。
作者の田中久さんについての情報を残念ながら持ち合わせていないのですが、主に昭和30年前後に活躍された漫画家のようです。藤子・F・不二雄に通じるような可愛らしいかんじの絵柄が特徴です。
その2/ああ無情/内山卓三/昭和30年5月/A5判
概要および解説酒場でこき使われているコゼットをジャン・ヴァルジャンが引き取りに(様子を伺いに)来るシーンから物語が始まります。マリウス、ジャベル警視らとの確執も丁寧に描かれて、物語はそれなりに起伏に富んだ状態で進みます。ジャン・ヴァルジャンの無実が証明されて、ハッピーエンドという形で幕を閉じます。この内山卓三さんという方は全く存知あげていないのですが、児童まんがの流れと、いわゆる大人漫画の流れのミクスチャー的な印象ですね。この絵柄の類型を現在のストーリーマンガの中に見出すのは、結構難しい事かもしれません。昭和30年前後の作品としては、読者の年齢層が高めというか、大人が違和感無しに読める内容となっていると思います。作者なり出版社の意図がどのあたりにあるか?そのあたりが気になるところです。田中久版と比べて、あきらかに読者層が高い内容になっています。
☆紹介2/力道山モノ(2冊)
・その1 大田加英二版(富士見書房 昭和31年) ・その2 鶴書房版(昭和29年)
作品の背景
「プロレス」・・・日本において、この格闘技、スポーツ、興行ほど、人によって、そのイメージが多様な存在は少ないかもしれない。日本でのプロレスの始まりは、意外なほど古いようで、大正10年(1921年)には、アメリカのプロレスラーと、日本の講道館系「弘誠館」が対戦したという記録があり、昭和20年(1945年)の終戦前の昭和時代に、既にプロレス興行が行われていたようです。ですが、力道山のデビュー(昭和26年・1951年)及び力道山による「日本プロレス」の旗揚げによって、本格的な「日本におけるプロレス」の歴史はスタートしたと、するのが一般的な認識と言えるでしょう。「力道山」は大相撲力士(最高位は関脇)を廃業しプロレスラーとなり、昭和38年(1963年)に亡くなるまで、プロレスラー、実業家として精力的に活動されました。
昭和28年(1953)から昭和34年(1959)の間に、力道山が出演ないしは、力道山に取材した映画が約30本制作されていることからも、その人気ぶりが伺えます。映画タイトルには「力道山」の名が入っているものが殆んどです。 「日本プロレス界の父」と呼ばれることも多いようです。ですが、近年は、その存在自体を知らない人も増えているかもしれません。
ちなみに、好きなプロレスラーは?という質問は、回答者の性別年齢を推測させるに十分なモノかと思います。
その1/力道山/大田加英二・香山かおる/富士見出版/昭和31年6月/A5判
概要および解説児童向けの偉人伝ないしは立身出世物という趣が強い一冊。作品中紹介される力道山のエピソードを順に列挙しますと、①小さい頃から卑怯が嫌い、②小三にて六年生より強い、③昭和十七年に角界デビュー、④相撲界に力道山の空手旋風吹き荒れるも病気で引退、⑤新田建設㈱の資材課長に、⑥プロレスラーに転身し米国修行へ、⑦シャープ兄弟と戦う力道山・木村コンビの快進撃、という感じです。物語のエンディングには、大一番的な三対三でのプロレス試合を持ってきており、力道山の超人的な強さと、読者へ向けての未来への希望が象徴的なクライマックスになっています。
小学生時分の力道山の生活ぶりを描くところから物語はスタートするのですが、子どもたちは帯を締めているのですから隔世の感があります。小学校の先生らしき男性はネクタイを締めていますが、大正時代の農村の様子の雰囲気が伝わってきます。この絵柄は、週刊漫画雑誌以降には、ほぼ消滅した絵柄と言えるかもしれませんが、ある意味、逆に新鮮?かもしれませんね。
その2/力道山/杵渕やすを/鶴書房/昭和29年10月/定価100円
概要および解説力道山の豊かな才能と、それを支えた人一倍の努力が丹念に描かれており、立身出世モノとして十分に機能している一冊です。ですが、その1で紹介したモノより二年ほど早い時期という事も影響しているのでしょうか?残念なとこに、「漫画本」という商品としての完成度はあまり高くない一冊かもしれません。勿論、立身出世モノとして、最低限まとまってはいます。ですが、目次にある章立てタイトルと、実際の本文の章タイトルとが丸っきり違っていたり、途中から絵柄が大きく変化したり、と制作過程に於ける杜撰さがどうしても目立ってしまいます。80ページほどで迎えるエンディングも尻きりトンボ感が強いです。もっとも、これは現在の視点からすれば、そう見えるだけで、当時はこれでも漫画作品として、十分に通用したのかもしれません。途中から絵柄が大きく変るのですが、最初はイガグリくんの福井英一氏のフォロワー的な絵柄でスタートします。力道山が相撲を引退してからの時期を物語の起点としており、プロレスラーへの転身に力点が置かれています。福井英一似の絵は、全く別人の漫画家(杵渕さんとは違う)さんが描いているのかもしれません。当時、人気絶頂にあったイガグリくんタッチを模倣することで購買欲を煽る、という商業戦術があったのかもしれません。巻頭のカラー扉の絵は、杵渕やすを氏の筆によるものと思われます。
副題として「プロ・レス王者」と付きます。巻末の広告には、熱血勇壮漫画シリーズとして、この力道山を含め三冊が紹介されていて興味深いです。
①プロ・レス王者 力道山 杵渕やすを画
②東映傑作映画 三日月童子 北村寿夫原作 棚下照生画
③熱血の柔道児 姿三四郎 富田常雄原作 松沢のぼる画
☆作品紹介3/相撲漫画
名力士雷電/菅大作/集英社おもしろ漫画文庫/昭和29年2月/A5判
作品の背景日本の漫画の歴史において、スポーツないし格闘技の題材として最も古いのは相撲であると思われる。また、相撲は神事という一面も持ち、日本人の生活と深く係わっていたと思います。江戸時代の名力士『雷電』に取材した本作は元ネタとして先行する講談本などが存在するものと思われます。
概要および解説「雷電」は江戸時代を代表する力士で、西暦1800年前後に活躍した。四股名は雷電 爲右エ門(為右衛門、らいでん ためえもん)。名力士と言われながらも、横綱には成らずに(成れずに?)、大関がその最高位であった雷電の一生を立身出世物として、手堅くコミカライズ~物語化しています。幼少の頃から力持ちとして周囲を驚かせ、十五歳で釣鐘を担ぎ上げた、などの定番のエピソードが微笑ましく綴られます。
「雷電・伝説」の成立がどのようにして形成されたのか?江戸~明治~大正~昭和と連綿と語り継がれて来たものなのか?ある時期に突如として、成立したのか?雷電伝説が、少なくとも昭和晩期には、すっかり忘れ去られた存在になってしまった事は確かだと思うので、非常に興味が沸くところです(ハクダイの手には余りますが)。
作者の菅大作さんは、かんだいさく、と読むようです。詳細な経歴は不明ですが、主に昭和20年代に活躍された漫画家さんのようです。一休さんに代表されるような、いわゆる「頓知話・とんちばなし」が似合いそうな絵柄ですね。古臭いと言ってしまえば、それまでですが、なんとも言えない温もりを感じさせます。
☆作品紹介4/バレエ漫画
・その1 短編誌「泉(別冊)」 ・その2 涙の讃美歌/わたなべまさこ
バレエ漫画の背景バレエが海外の芸術として雑誌などで日本に紹介されるようになったのは大正時代でした。昭和にはいると、バレエ学校もでき、バレエの舞台公演やバレエ映画の上映の数も徐々に増えてきます。戦後になると『少女クラブ』『少女の友』といった少女向け雑誌のグラビアにバレリーナの写真が載ったり、バレエを習う少女を主人公にした絵物語が連載されたりするようになります。当時の一般の少女にとって、実際のバレエを見るチャンスはほぼなかったでしょう。質素な暮らしの中で、美しいグラビア写真やイラストを見ながら、少女たちは「バレエ」というものを想像し、憧れを膨らませていたことでしょう。
そんな戦後の復興期、昭和29年から30年にかけて、手塚治虫が『少女』に連載した「ナスビ女王」は、バレエがメインではないとはいえ、バレエを扱った初めての長編少女漫画と言っていいと思います。バレエの舞台の描写の華やかさは宝塚歌劇に親しんだ手塚治虫ならではでしょう。(この作品は現在も講談社の手塚治虫漫画全集や、電子書籍で読むことができます。)
その直後、昭和30年代になるとバレエ漫画の数は膨大なものになります。その数の多さにバレエ漫画人気の高さを測ることができますが、バレエ漫画が少女漫画の代名詞のような時代があったのです。それは少女漫画が隆盛していく昭和40年代、50年代にかけても続き、少女漫画とバレエ漫画は共に発展していったともいえます。
バレエ漫画は貸本単行本、貸本月刊誌から、少女向けの雑誌、創刊が続く少女マンガ雑誌、そして学年誌にも見つけることができます。ということはもちろん青虫の蔵書にもバレエ漫画がたくさんある、ということです。
その中から、わたなべまさこの単行本と、バレエ漫画を特集した貸本月刊誌の増刊号をご紹介します。
(参考「バレエ・マンガ~永遠なる美しさ~」太田出版2013年)
文責 根本葉子
その1 短編誌・泉(別冊)/A5判
概要および解説当時人気があったと思われる豪華メンバーが短編の読み切り作品を寄せています。
巻頭オールカラーのわたなべまさこ「一つの小さな物語」はショウウインドウの中の空色のバレー靴をめぐるささやかなお話。巴里夫「母はみている」は娘にバレエを教えたい母と期待に応えようとする娘の物語ですが、バレエのポーズはちょっと微妙…です。こだま次吉の「くじゃく姫」は、公演の主役を射止めたチエリのトウシューズにライバルの母親が釘をしこむというもの。けがにもひるまず最後まで踊りきったチエリの足はどうなったのでしょう!?赤松セツ子「白い椿の散るように」は、バレエの大好きなじゅん子が継母にバレエを止められて家事仕事にこき使われやがて…という悲しいお話。反対に、平賀とくじ「ママはバレリーナ」では継母は気乗りしないマミにバレエを厳しく教えようとします。彩田あきら「白鳥の夢」では原爆に遭ってバレリーナの夢を諦めた少女が出てきます。
なかなかバラエティに富んだ内容です。なぜかまったくバレエ漫画ではない漫画がまざっているのもご愛嬌…?
(文責 根本葉子)
その2 涙の讃美歌/わたなべまさこ/A5判
概要および解説
同じ女学校の生徒だった三人の少女、梢、洋子、葉山さんは、それぞれの道に従い、離れ離れの人生を歩みます。両親の悲劇的な死により天涯孤独の身になった洋子は、失意の旅先で偶然にも有名バレリーナのマカローニさんと出会います。彼女に引き取られバレエのレッスンを重ね、やがて「白鳥の湖」の舞台に立つことになります。そんなある日、洋子はステージの背景画を描いている葉山さんと再会します。
わたなべまさこの手慣れたやわらかい線で描かれる踊りのシーンは、華やかさとかわいらしさがあります。少女たちの清らかな心と、きれいなバレエの画面に、癒される作品です。
(文責 根本葉子)