「さいとう・たかを」作品の真骨頂は?
さいとう・たかを氏は、「商業性」を重視するプロデューサー的な側面を多分に持ちえる作家だけに、「作家自身が描きたい作品」と、「読者の支持率が高い=商業的に価値のある作品」との違い、その距離感を、冷静かつ的確に把握しているマンガ家、といえるだろう。
*1936年(昭11)に生まれたさいとう氏が9歳で迎えた敗戦という出来事が、その作品に大きな影響を及ぼしていると思われる。
*価値感の急変、人間の社会の規範の脆さが、さいとう・たかを作品の根っこの部分に横たわっているように感じる。
*「サバイバル」、そしてサバイバルの大人版的な側面が強い「ブレイクダウン」、そして、沖吾郎名義で自ら脚本を担当した時代物「いくさ餓鬼」。これら3作品に流れる一貫したテーマは、人間が生み出した文明や文化の脆さ、だと思う。
ハクダイの愛する「さいとう・たかを作品」ベスト4
それほど多くの「さいとう・たかを」作品を拝読している訳ではないが、ハクダイにとって次の4作品が印象深い。
(1)無用ノ介シリーズ
概要1967~1970年(昭42~45)まで足かけ4年にわたり『週刊少年マガジン』に連載されたこの作品は、『講談社コミックス』(新書版)を代表格に、幾度となく判型やシリーズを変えて出版されている。文庫版、新書版、B6判、A5判と、判型で考えただけでも4種類存在している。
1969年(昭44)には、デビュー間もない「伊吹吾郎」主演でテレビドラマ化、半年間放送されるなど、この作品がいかに人気作品であったかがうかがえる。
この作品を一言で説明するならば、「時代劇・賞金稼ぎ物」、「時代劇・バウンティハンター(Bounty hunter)」の大傑作、という事になるだろう。
そして、娯楽大作にして、人間の持つ弱さと強さ、傲慢さと尊大さ、そして人間社会全体の不条理を見事に抉り出した、まさに「ヒューマン大作」という側面も持つ作品である。さいとう。たかを本人はこの作品を「オセンチ時代劇」と言っているようだ。
「無用ノ介」の評価については既に定まっていると思われるため、今さらここで自分が書くまでもないのだが、次の2点については個人的にあれこれ思いめぐらす時がある。
①脚本担当者の全容が気になる。連載当時は、さいとう・プロの「脚本部」に小池一雄が在籍しており、「無用ノ介」シリーズの脚本は小池が主に担当したようだが、詳細については当時の少年マガジン全てについて調査にあたる必要がある。さいとうの劇画工房同人のK・元美津が係わっているかどうかも気になる点である。尚、小池一雄は、後に小池一夫と漢字を変えるが、変更時期については調査中。
②新作がなぜ描かれなかったのか?1990年(平2)10月には単発でドラマ化されている事、コンビニコミック・電子書籍化が進んでいる事、初出から40~50年が経っている作品でありながら「時代劇」であるという特性がある等、色褪せにくい、古くならない作品であるにもかかわらず、初出の「週刊少年マガジン」に連載されたシリーズしか存在しないのはいささか残念な事である。(青年誌プレイコミック(秋田書店)の増刊号に「その後の無用ノ介」的な作品が1作だけ存在するようだ。)
「無用ノ介」は掲載されていたのが少年誌だったからこそ傑作になったのかもしれない。性的な表現の問題もあるが、主人公・無用ノ介はさいとう・たかを作品の中では珍しく内省的で、青年・成人誌で描かれたら、青臭いキャラクターと捉えられてしまったかもしれない。また、単純に「チャンバラ活劇」として楽しめる作品である事はいうまでもない。
☆「湯煙り・血煙り・無用ノ介」
さいとう・たかを/別冊プレイコミック/帰って来たヒーロー特集号/全34p/秋田書店/1977年(昭52)6月1日発行/構図担当:村上利男、さいとう・たかを、脚本担当:K・元美津、さいとう・たかを
概要週刊少年マガジンに連載された作品ではなく、1977年(昭52)に新作として発表されたものである。初出は『プレイコミック』本誌で、この別冊に改めて再収録した可能性もある(詳細は調査中)。
以下の画像は 「湯煙り・血煙り・無用ノ介」。
(2)デビルキング
あらすじ自然原理主義とでも呼ぶべき、アンチ・近代科学技術・思想を持つ天才生物科学者が、科学的、生物学的に人間を巨大化させて、「神」を人工的に作り出し、その「神」の力によって愚昧な現代人を覚醒・啓蒙することを試みるというストーリー。
概要巨人は某国の秘密機関に「デビルキング」と命名される。自分の意思に反して巨大化させられた男の葛藤と変化、男の弟の兄弟愛も大きなウエイトを占める。大きな支配力を有する宗教団体、某国の秘密機関、私利私欲のためにデビルキングの秘密を独り占めしようとする反社会的な一団、様々な勢力がデビルキングを巡って、暗闘する壮大なスケールのSFロマン。
現実にこのような巨人が突然現れたら人々はどのように行動するか?思考実験としてのSF作品の傑作である。
以下の画像は貸本版「デビルキング」。
解説「無用ノ介」ほどには広く知られた作品ではないが、マニアックなマンガファンの間ではその評価が定まっている。個人的に好きな作品である。
「デビルキング」には2つのバージョンが存在する。
貸本版が1964年から4部まで刊行されているが、本来は5部完結予定だったようだ。雑誌版は『週刊少年サンデー』に1969年31号から1970年17号まで連載された。雑誌版のほうは「貸本版のリメイク版」として、という言い方が一般的のようだが、作品のクオリティは雑誌版の方が数段優っていると思う。貸本版はその後復刊も再録もされていない。雑誌版のほうは単行本の入手が容易で、電子版も流通している。
1作目が貸本マンガで、その後、雑誌でリメイク、そして発表時期もほぼ同時期という点で、同じ劇画工房同人であった佐藤まさあきの代表作「野望」と共通している。「デビルキング」も、「野望」のように、成人・青年マンガ雑誌での連載であればまた違った評価が得られたのではないだろうか。(個人的には、『ビッグコミックオリジナル』が似合いかな?と勝手な想像をしてしまうが、オリジナル誌は1972年(昭47)創刊のため、あり得ない話である。)貸本版「デビルキング」は、さいとう作品にしては荒っぽくダークな側面が強い印象を受けるため特にそう感じるのかもしれない。
ハクダイは手塚治虫の「ビッグX」の影響があるのではと推測しているが、いかがなものだろうか?
「デビルキング」は「科学技術の進歩に対する懐疑」をテーマとしたマンガ作品の中では大傑作ではなかろうか。これほどの作品なのにリメイクや映画等のメディアへの展開がないのが不思議な気がする。
(3)カウント8で起て(カウントエイトでたて)
「さいとう・プロダクション公式サイト」によると 初出は1966年(昭41)『別冊少年マガジン』とのこと。ハクダイがこの作品を拝読したのはサンコミックス版であるが、1つ気になる事がある。サンコミック版は、コマ割が昭和30年代のA5判貸本に多くみられた「三段組」。このコマ割でB5版の週刊少年マガジンに掲載されたとは考えにくい。
考られるのは、
①雑誌掲載時はコマ数がもっと多かったが、単行本化に合わせてページ編集を行った。
②例えば『別冊週刊少年マガジン』増刊号のふろくなど、新書版あるいはB6判の雑誌ふろく用に描かれた。
※ハクダイとしては大変気になっているので、この件について情報をお持ちの方がいらっしゃれば、お問い合わせページからぜひともご連絡願いたい。
解説タイトル通りの「ボクシングマンガ」である。初期「サンコミック」、「朝日ソノラマ」の「新書版シリーズサンコミック」ではおなじみの作品だ。ハクダイも30年以上所有していたのだが、数年前、事情があって手放してしまった。
初期サンコミックの柔らかな紙質とやや色褪せた表紙、そしてカラーの口絵ページが懐かしい。自分が所有していたものは確か貸本屋落ちで、糸綴じ補強の痕があったと記憶している。
「ボクシングの魅力に取りつかれたちょっとヤンチャな若者が、苦しいトレーニングに耐えて栄光への道を歩みだす」という定番的な青春スポーツ物だが、これが大変面白い。さいとう・たかをのボクシングに対する造詣の深さも読み取れる。
過酷なトレーニングシーン満載なのだが、「スポ根マンガ」特有の悲壮感はあまり感じられず、主人公の真っ直ぐさが爽快な印象の作品となっている。この作品が発表された数年後に、いわゆる「スポ根ブーム」が訪れる。
「カウントエイトで起て」は昭和40年代初めに描かれたスポーツ物である。この時期、既に人気原作者であった梶原一騎氏の作品のファン、そしてボクシングマンガファンに、この作品の感想を聞いてみたいものだ。
(4)刀魂
さいとう・たかを/セントラル文庫/怪奇・3号/1957年(昭32)
●ハクダイの愛する最初期のさいとう作品
解説この作品は、さいとう氏が上京する前の大阪時代に描かれたものだが、天性の画力の高さがうかがえる、大変味のある佳作となっている。
どういう訳か、短編集の体裁であるにも関わらず、「もくじ」には「刀魂」が記載されておらず、「さいとう・たかを 劇・男」の作品リストにも掲載がないため、さいとうファンの間では「幻の作品」扱いされることもあるようである。
下の画像は「昭和漫画館・青虫」所蔵作品を撮影させていただいたもの。
◎その他の収録作品について
・ 『怪奇3号』併録作品
『呪いの人形』松本正彦(駒画工房と記載はないが「駒画工房」のマークあり)/『蝙蝠男爵』佐藤まさあき/『死時計』岩井しげお/『不思議な殺人』菊池ヒデオ/表紙:久呂田まさみ