貸本時代の興味深い活動~雑誌への進出
「劇画」という用語が時代のキーワードとなっていた時期が確かにある。
「劇画」について定義づけをするのが容易な作業ではないことは百も承知であるが、「劇画」を世の中に浸透させるために最も功績のあった人物を1人だけ挙げるとすれば「さいとう・たかを」が最もふさわしいだろう。
1.一般の少年雑誌における「劇画工房」作品
「さいとう・たかを 劇・男」掲載の作品リストによれば、活動舞台が貸本マンガであった1959年(昭34)当時、数は少ないがさいとう氏は貸本マンガ以外の大手~中堅出版社の少年雑誌にも作品を掲載している。
◎1959年(昭34) 少年雑誌に掲載されたさいとう・たかを作品
①「笑わせるな」
さいとう・たかを/少年クラブ/講談社/(現物未確認のため詳細不明)
②「月影剣士」
さいとう・たかを/少年画報/少年画報社/扉ページに劇画工房マークあり/(昭和34年10月号付録?)
①については現物を未確認のため掲載号等の詳細情報が不明だが、②は「ふろく」を幸いにも入手することができた。本誌掲載作品の続編なのか、ふろく単独作品なのかは不明。ハクダイが内容を読む限り、本誌掲載分からの続きであろう、と推察している。
現物確認できた②少年画報のふろくの扉部分には、「劇画工房マーク」があり、「劇画工房作品」と記載されている。「貸本マンガ」ではなく一般の雑誌に掲載された数少ない「劇画工房作品」と言えるだろう。また、「劇画」という言葉が貸本マンガを飛び出し、主流のメディアに初めて登場したのもこの時だったかもしれない。
※①「笑わせるな」を確認できていないのが残念である。ハクダイとしては大変気になっているので、この件について情報をお持ちの方がいらっしゃれば、お問い合わせページからぜひともご連絡願いたい。
また、辰巳ヨシヒロも劇画工房時代に、「漫画王」(秋田書店)に連載をもっている(1959年(昭34)6月~9月号/全4回/51p)。残念ながら、こちらも現物に遭遇できていない。ぜひとも情報を!……お寄せいただきたい。
2.劇画集団
「劇画集団」については、「劇画工房」と対比、あるいは混同されがちであるが、「劇画集団」と「劇画工房」は全くの別物である。
この「劇画集団」の結成に大きく携わっているのがさいとう・たかをである。
①劇画集団の存続期間:1932年(昭37)1月~不明(調査中)
②劇画集団は次のような側面を持つ組織であったと考えられる。
・劇画家同士の親睦団体
・『劇画』という呼称を世の中へ広く知らしめるための啓蒙団体
・読者と作家の交流の場としての組織
③メンバー
1962年(昭37)に刊行された『ゴリラマガジン別冊 ショートショート特集号』の終わりの方に、「ニュース特報、期待の”劇画集団”結成さる」と題された1pの記事がある。記事によれば、結成時のメンバーは次の通り。
以下会員として 以下の方の名前がある(50音順)
ありかわ・栄一、石川フミヤス、いばら美喜、さいとうゆずる、佐藤よしろう、佐々木隆雄、武本サブロー、南波健二、山田節子
その後、順次、団員が加入した。
「劇画集団」の団員である作家は、自作を発表する際、著者名と共に劇画集団マークを記載していた。
しかし、現在、ハクダイが確認できている限りでは、「東京トップ社」、「さいとう・プロダクション」の刊行物にこのマークが多く使用されており、他の出版社の作品では劇画集団のマークを確認するのが困難である。例外的に、「第一プロ」(辰巳ヨシヒロ主宰)の刊行物にも確認できた。
「劇画集団」所属の、さいとう・たかを、永島慎二、ありかわ栄一は東京トップ社より発行されている短編誌『刑事・デカ』の常連作家であり、さいとう・プロと東京トップ社との間で商業的な要請を背景にした「取り決め」があったのかもしれない。
また、作家側からの東京トップ社への義理立てによって、東京トップ社以外の出版社で描く時は「劇画集団」マークを使用しなかったのかもしれない。手持ちの1次資料(貸本マンガ原本)が少ないので明言できないのがもどかしいが、いずれにせよ劇画集団のマーク使用の件については、今後も関心を持ち続けたい。
⑤劇画集団の活動内容:次のような活動を行っていたようだ。
劇画集団が運営するファンクラブ的な組織「劇画集団ジュニア」の機関紙『ジュニアマガジン』の発行。ジュニアマガジンの内容としては、マンガの描き方をレクチャーする「劇画講座」、劇画集団所属のメンバーの近況などを掲載。
⑥劇画集団のマークがある作品の紹介
*「大和小伝」第五巻
さいとう・たかを/大和小伝第5巻/刊行年不明(1964年(昭39)頃か?/さいとうプロ /
*「サイレントワールド」
さいとう・たかを/冒険王連載/1965~1966年(昭40~41)
*その他~さいとう・たかを作品以外の作品
3.少女向けのミステリーの開拓~ガールガールミステリー(さいとう・プロ)の発行
山田節子とさいとう・ゆずるの両名をメインに迎えたシリーズ物が1965年(昭40)頃(詳細時期は調査中)に刊行された。ハクダイは少女マンガ史に全く疎いため、このシリーズについての解釈に自信がないが、当時としては斬新なシリーズで、時代を先取りしていたことは確かだろう。
・ハクダイは少なくとも6号までの発行を確認している。『ガールガールミステリー』6号に7号の予告広告があるが、7号以降については現物を未確認である。
・創刊号の表紙の「シェ-ッ!!」というフキダシは赤塚不二夫のおそ松くんに登場するイヤミのお約束ポーズだろうか?