革新的であるがゆえに模倣され、存在価値を弱めていった「駒画」という技法の儚いが妖しい輝き
「マンガ」という表現ジャンルが成長拡大~進化を遂げる中で、松本正彦の生み出した「駒画」というスタイルの革新性や味わい深い作品群の存在は、マンガの世界ではすっかり忘れ去られてしまっているといえるかもしれない。
「ストーリーマンガ」という技法は手塚治虫が生み出し、「劇画」という技法はさいとう・たかをが作り上げていった……多少でもマンガの歴史をかじった方は、おおよそこのような解釈をしているのかもしれない。
どうやら、マンガ史が単純化され過ぎると、松本正彦の仕事の重要性は見事に抜け落ちてしまうきらいがあるようだ。
1956年(昭31)当時、松本正彦が試みた手法は確かに革新的だった。今でこそ当たり前になった技法の多くを松本氏は意識して作品に取り入れていた。それが他の作家に影響を与えるだけの力を持っていればいるだけ、多くの作家に模倣されることになる。
松本正彦は自らの技法の革新性を自覚していた。そしてその革新性は、「(当然ながら)直ちに模倣されてスタンダードな表現になっていくだろうから、その当時の人しかその革新性を認識できないだろう」と自らの置かれた状況を冷静に分析していた。
以下、5つの文章を引用することで松本正彦の生み出した「駒画」の革新性を紹介する。
☆引用その1 「ぼくは劇画の仕掛人だった」Ⅰ部「『影』の創刊」/68pより
桜井昌一/エイプリル出版/1978年(昭53)
解説劇画工房同人、松本正彦の古くからの仲間、そして松本氏同様「日の丸文庫」に携わった作家であった桜井昌一だけに、確かな説得力を感じる記述である。「奇妙で不細工な絵」という形容には個人的に疑問符が残るが、手塚氏の絵との比較を桜井氏が論考の対象としている点は、昭和30年代初め頃の松本正彦の作品に対してであるということを考えれば妥当なものであろうと思う。
☆引用その2
「隣室の男―松本正彦『駒画』作品集」
●証言<松本正彦の仕事>「駒画」はあだ花か!? 盟友・松本正彦の仕事 辰巳ヨシヒロ/538pより
松本正彦/㈱小学館クリエイティブ/2009年(平21)6月/A5判/639p/3.619円(税なし)
解説劇画工房同人である佐藤まさあきは、著書「『劇画の星』をめざして」の75~78pで、辰巳作品の「革新性」について述べているが「私にはよく松本の魅力がわからない。私と感覚が合わなかったのだろう」とあっさり書き流している。「構成」の巧みさで定評があった佐藤まさあきのこの記述は非常に興味深い。個人的には、佐藤氏の作品中の「間」の取り方においての、松本氏との感覚の相違からの発言ではないかと考えているが、いかがだろう。
☆引用その3
「隣室の男―松本正彦『駒画』作品集」
●<序にかえて>「映画」は映画の「コマ」から 中野晴行(編集者・マンガ家研究家)/17~18pより
解説マンガ史における、手塚治虫直系の「トキワ荘」から派生した一連の流れの影響力を否定する訳ではないが、松本正彦の認知度が日本のマンガ史の中であまりに低い事に対し、つい感情的になってしまうハクダイをどうかお許し願いたい。
☆引用その4
「隣室の男―松本正彦『駒画』作品集」
●<序にかえて>「映画」は映画の「コマ」から 中野晴行(編集者・マンガ家研究家)/18pより
解説この文章だけを読むと、辰巳氏が松本作品からインスパイアされて劇画という表現を志向し始めたような印象を持たれる向きもあろう。しかし、松本が「新しい表現」を確立しようと模索していた時期に、辰巳も同様に「新しい表現」を模索していたことにも留意する必要がある。
☆引用その5
『貸本マンガ史研究5号』
●『図像と画像のせめぎあいの中で 地下水脈としての「駒画」を中心に』/ちだ・きよし
季刊貸本マンガ史研究2001年6月/貸本マンガ史研究会
解説当時、松本正彦の提唱した「駒画」の支持者だった方は実際のところどのくらい存在したのだろうか?個人的には大変興味をそそられる。松本正彦を支持していた当時のマンガ家が自作を「駒画」と読んだ事実があるかどうか?今後も関心を持っていきたいところだ。