貸本時代の興味深い活動~ゴリラマガジン
さいとう・プロが貸本マンガ時代、貸本向けに刊行した短編誌的(雑誌的)な性格の「ゴリラマガジン」は、1962年(昭37)から1966年(昭41)の間に47冊(集・号)発行された。マンガ・劇画家が自ら興した出版社が発行した「雑誌形式」のシリーズものとしては大成功を収めた部類だと思われる。このゴリラマガジンの初期については、さいとう氏が自ら提唱する「プロダクション制作」を「実験的に試行」している様子がうかがえる。ゴリラマガジンNo.1、2は現物を参照出来ていないが、No.3、4、5については実物を拝読できたので以下に紹介する。
☆ゴリラマガジンNo.3/1967年(昭42)
解説「新企画無責任リレー劇画」と冠して3人の作家がそれぞれの作品を交換し結末を描く、という遊び心のある企画作品が楽しめる。作家たちがこの「競作」を始めるまでの経緯については作品の冒頭でマンガで説明されているのだが、永島氏とありかわ氏はともかく、さいとう氏にとっては、「3人で実験的な競作すれば核融合のように新しい何かが生まれるに違いない」という期待と明確な目的意識があったようにハクダイは感じた。
「新企画無責任リレー劇画」
・さいとう・たかを「隣の死人」→結末:ありかわ栄一が描く
・永島慎二「片うでの二人」→結末:さいとう・たかをが描く
・ありかわ栄一「老いたピエロ」→結末:永島慎二が描く
☆ゴリラマガジンNo.4、5
→ゴリラマガジン4,5号-制作スタッフ
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解説『ゴリラマガジン』4号、5号は、前作『ゴリラマガジン』3号の企画内容をさらに掘り下げた内容に進化している。1本の作品を前、中、後部の3つのパートに分け、3人の作家が各パートを「監督」するというスタイルになったようだ。
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