辰巳ヨシヒロ_アイキャッチ_第1期/少年期 第2期/マンガ家として

第1期/少年期 第2期/マンガ家として


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辰巳ヨシヒロ・ヒストリー 第1期/少年期

※文中において、氏名の敬称を一部省略しています。ご了承ください。

(1)手塚治虫ファンであった

「劇画」の名付け親・辰巳ヨシヒロ、という印象から「アンチ・手塚」を想像する方もいるかもしれないが、辰巳氏は間違いなく手塚フォロワーであった。この事は代表作「劇画漂流」を読めばわかることである。中学生の時に手塚宅を訪問し、長編作品を描くように勧められるなどのエピソードが残っている。また、1982年(昭57)には、手塚と辰巳の2人でアングレーム国際マンガフェスティバルに、ほぼプライベートで参加するなど、個人的にも深い親交があったことが伺える。

(2)全国子供マンガ研究会の発足

当時(1950年代前半~半ばにかけて、昭和20年代後半~昭和30年頃にかけて)、全国にはマンガ家予備軍の少年たちが大勢いた。少年(少女もいただろうが、やはり少年が圧倒的多数)たちは同志を求め、マンガ雑誌の連絡板経由でその輪を広げ、「研究会」的な組織をつくっていった。辰巳は「全国子供マンガ研究会」の発足に関わっている。

(3)漫画家「大城のぼる」氏との交流

辰巳ヨシヒロと大城のぼるとは、緩やかな師弟関係にあったと言っても過言ではない。大城の主宰する「大城道場」へ入らないかという誘いがあったが、断念している。

(4)2つ上の兄・桜井昌一(本名・辰巳義興)から受けた影響と彼との確執

漫画家としてデビューするまで、そしてデビューしてからも、2歳年上の兄・桜井昌一から得た助言、そして2人の間での「マンガ論争」が辰巳氏の作品に大きな影響を与えていると思われる。

辰巳ヨシヒロ・ヒストリー 第2期 マンガ家人生のスタート

(1)マンガ家・大城のぼる氏との交流から生まれたデビュー作「こどもじま」

デビュー作「こどもじま」が刊行されるまでの経緯は「劇画漂流」にも紹介されているが、作者である辰巳の意図とは無関係に事が進展してしまった側面が少なからずあったようだ。いずれにせよ、辰巳が、大城のぼるに送った「こどもじま」を大城の弟子であるオオトモ・ヨシヤスが鶴書房に持ち込んだ結果、鶴書房より刊行が決まる。

(2)貴重な資料となっている2作品

 藤子不二雄Ⓐの『まんが道』の一般への浸透度や、手塚治虫がいかに偉大なマンガ家であったかは、あらためてここに書くまでもない。「まんが道」には、創作の部分も少なからずあり、これが実録物として読まれてしまうことに、幾分かの危惧はあるが、マンガ・メディアの発展の軌跡を知るには恰好の資料となっていることには、異論はないであろう。

この『まんが道』に対して、①辰巳ヨシヒロ「劇画漂流」、 ②松本正彦「劇画バカたち!!」の2つ作品を「裏・トキワ荘」物と捉える事は十分に可能である。

(3)出版社「八興・日の丸文庫」について

「貸本マンガ」ファン、あるいは、その収集家であればその名を知らぬ者はいないと思われる。が、日本のマンガ(コミック)文化の歴史全体を考えた場合、八興・日の丸文庫の存在はどうしても抜け落ちてしまいがちである。知名度も低く、評価も不当に低いと言わざるを得ないだろう。

マンガの読者層の年齢が高くなるにつれ、自然発生的に青年向けや大人向けの「ストーリーマンガ」が発生し、劇画の市場が拡大して行ったのだろう、という言い方も、あながち間違ってはいないだろう。
 しかし、自覚的に読者層を「非・子ども」と想定した「劇画工房」に集った8人のメンバーが、この「八興・日の丸文庫」を主要な制作拠点としたという事実は、もっと強調されて良いように思う。

(4)同世代の仲間・ライバルたちとの出会い

大雑把に言うと、日の丸文庫に寄稿していたマンガ家は2つに分けられるだろう。「久呂田まさみ」(生年1917年・大正6)や「工藤市郎」(生年1922年・大正11)などの「旧世代」。そして、松本正彦、辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを等の手塚治虫以降、あるいは手塚フォロワーである「新世代」の二つである。
手塚フォロワーたちが、「劇画工房」を結成し、「劇画」を標榜したという事実を重要視するべきであろう。

また、「新世代」の作家で特に人気の高かったのは、松本正彦さいとう・たかを辰巳ヨシヒロであり、「日の丸文庫の三羽烏」と呼ばれた、とされる。

◎デビュー作「こどもじま」

 辰巳ヨシヒロ/96p/鶴書房/ 1952年(昭27)制作/1954年(昭29)3月刊行 

あらすじヨットに乗って2ヶ月の航海を続ける、仲良しの5人組の子どもたち。嵐によってヨットの帆柱は折れ、無人島に流れ着く。「こどもじま」と名付けた無人島で苦労しながらも毎日を楽しく過ごす5人。子どもたちは日本へ帰れるのだろうか……?

解説この作品は1976年(昭51)に東考社よりB6版・定価500円・限定500部で復刻されている。下の写真は復刻版。扉の副題は「よいまんが一年生」。まさに「児童マンガ」である。ふきだし中の文字は基本的にひらがなのみで、幼児向け、あるいは「絵本」に近いテイストの作品である。幼児、児童向けにしてはストーリー性が強い点が個人的には興味深い。
復刻版の巻末解説で、発行人の桜井昌一(辰巳ヨシヒロの実兄)は「古き良き時代の良心的児童マンガ」と評している。

「こどもじま」復刻版表紙。帯は取り外してスキャンした。
「こどもじま」復刻版表紙。帯は取り外してスキャンした。
「こどもじま」の扉ページ。復刻版なのでモノクロだが、オリジナルはインクが黒以外の色である可能性もある。
「こどもじま」の扉ページ。復刻版なのでモノクロだが、オリジナルはインクが黒以外の色である可能性もある。

◎「七つの顔」

 辰巳ヨシヒロ/128p/日の丸文庫/ 1954年(昭29)6月 

下の写真はダイヤモンド文庫より刊行の「合本の単行本・スリラー魔の顔」。この合本には2作品が収録されており、前半:「魔の顔・二本指の男」松本正彦、後半:「七つの顔」辰巳ヨシヒロ/128p。なお、刊行日については、本自体(奥付)に記載なし。奥付には、著者「ダイヤモンド文庫社同人」とある。

『七つの顔』扉ページ。所有本は変色が著しいが、これはこれで味わい深い。
『七つの顔』扉ページ。所有本は変色が著しいが、これはこれで味わい深い。
合本スタイルの「魔の顔」表紙。B6判。厚みがある。
合本スタイルの「魔の顔」表紙。B6判。厚みがある。
「七つの顔」もくじページ。60年以上前の本ということになる。本自体はヤケが酷い。
「七つの顔」もくじページ。60年以上前の本ということになる。本自体はヤケが酷い。

◎単行本「21の指紋」

 辰巳ヨシヒロ/126p/日の丸文庫/1954年(昭29)11月制作/刊行日の記載なし/著者:新漫画集団同人/編集兼発行人:山田喜一/発行所:株式会社八興 

下の写真はオリンピック文庫の「合本の単行本・暗闇坂の首男」より使用。この合本には2作品が収録されており、前半:「21の指紋」辰巳ヨシヒロ、後半:「金龍街の狼」山森ススム/126pの構成になっている。奥付には、著者「新漫画集団同人」、編集兼発行人「山田喜一」、発売所「株式会社八興」とある。

合本『暗闇の首男』の表紙。辰巳ヨシヒロ氏と山森ススム氏の作品を1本ずつ収録。表紙の絵は辰巳氏でも山森氏でもないと思われるが、背表紙の男の絵は辰巳氏の手によるものかもしれない。
合本『暗闇の首男』の表紙。辰巳ヨシヒロ氏と山森ススム氏の作品を1本ずつ収録。表紙の絵は辰巳氏でも山森氏でもないと思われるが、背表紙の男の絵は辰巳氏の手によるものかもしれない。
「21の指紋」扉ページ。手塚治虫調を残しつつも、辰巳作品らしさが感じられる。
「21の指紋」扉ページ。手塚治虫調を残しつつも、辰巳作品らしさが感じられる。
「21の指紋」もくじページ。下段の登場人物紹介の欄に「辰巳ヨシヒロ・赤本探偵マンガ家」というキャラクターが。
「21の指紋」もくじページ。下段の登場人物紹介の欄に「辰巳ヨシヒロ・赤本探偵マンガ家」というキャラクターが。