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辰巳ヨシヒロとは……?


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「劇画」の発案者、辰巳ヨシヒロ

辰巳ヨシヒロは「劇画」の発案者である。そして、世界的に評価の高いマンガ家である。近年は、オルタナティブ・コミックの代表格として理解されているようである。

※引用について
特に断りのな
い場合は『大発見』青林工藝舎/2002年(平14)収録の「劇画漂流年譜~辰巳ヨシヒロ自分史」より引用させていただいております。

1.辰巳ヨシヒロ概要

(1)経歴

1935(昭10)年6月10日生 - 2015(平27)年3月7日没

辰巳ヨシヒロは、1935年(昭10)に 大阪天王寺区で生まれた。10代後半にマンガ家デビューし、その後、貸本マンガマンガ雑誌描き下ろしマンガと、長きにわたりマンガ家として活動。デビュー以後、逝去されるまでの約65年間、「現役のマンガ家」であったといえるだろう。

「マンガ家・劇画家」としての顔の他に、貸本マンガの出版者マンガ専門の古書店の経営者某著名マンガ家の作画アシスタントの顔を持っていた時期もあり、マンガ業界に約65年間携わってきた「マンガ・劇画・人生」には、感嘆するしかない。
無名の一市民の生活をテーマにした作品が多くあり、それらの作品は国内外で高く評価されている(数十ページの短尺の作品が多い)。日本国内での評価よ りも海外での評価が高いかもしれない。また、海外ではオルタナティブコミックの大家として理解される事が多いようである。
また、自伝的なマンガ「劇画漂流」は、日本のマンガ出版の歴史を知る上で、重要な作品である。

辰巳ヨシヒロ年譜-(ハクダイのカカク作成) はこちら

辰巳ヨシヒロ年譜-(ハクダイのカカク)
辰巳ヨシヒロ年譜-(ハクダイのカカク)

 

 

(2)辰巳ヨシヒロ 代表作(選:ハクダイ)

①単行本として刊行された作品

開化の鬼/1955年(昭30)、黒い吹雪/1956年(昭31)、目撃者/1956年(昭31)、男ありて/1961年(昭36)、最澄の生涯/1988年(昭63)、劇画寄席/2009年(平11)

②雑誌に掲載された数十ページの多数の短編より

おれのヒットラー/1969年(昭44)、さそり・はいってます・いとしのモンキー/以上3作 1970年(昭45)、地獄・鳥葬/以上2作 1971年(昭46)、大砲・グッドバイ/以上2作 1972年(昭47)

③雑誌に長期連載された作品

ザ・ギャンブラー/銭牝てっぺん○次/懸賞狼/地獄の軍団/劇画漂流

④活字本類

劇画大学/1968年(昭43)、劇画暮らし/2010年(平22)

(3)辰巳ヨシヒロ 受賞歴等

①日本国内での受賞

a.日本漫画家協会賞 第1回/1972年(昭47)度
  「努力賞/人喰魚」

 b.手塚治虫文化賞(朝日新聞主宰)
   第13回/2009年(平21))  マンガ大賞
  「劇画漂流」青林工藝舎

②海外での受賞

a.批評グランプリアジア賞ACBDアジア賞
・2012年(平24) 「 劇画漂流」 ”Une vie dans les marges”
※ACBD(Assosiation des critiques et jounalistes de bande)※dessinee/BD批評家ジャーナリ スト協会(フランス) BDとは「bande dessinee」ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画のこと。B.D.(ベデ)、バンデシネとも呼 ばれる 。

b.アングレーム国際漫画祭
(Festival Interbnational de la Bande Dessinee d’Angouleme)
※フランスのア ングレームで開催されるヨーロッパ最大級の漫画祭。
・2005年(平17) 「功労賞」
・2012年(平24) 「世界への視線賞/劇画漂流・第2巻」

c.ハーベイ賞(Harvey Award)
※主催は「ファンタグラフィックス社」
・2007年(平19) 「最優秀国際作品/東京うばすて山」
BEST AMERICAN EDITION OF FOREIGN MATERIAL ABANDON THE OLD IN TOKYO,
Yoshihiro Tatsumi, Drawn and Quarterly

d.アイズナー賞(ウィル・アイズナー漫画業界賞)
(Eisner Awards/Will Eisner Comic Industry Awards)
 ・2010年(平22) 「最優秀ノンフィクション(事実に基づいた)作品/劇画漂流 」
 ・2010年(平22)  「最優秀国際賞-アジア作品/劇画漂流」

③その他

a.単行本『劇画漂流』
 『米・タイム誌』ベストコミックス 第2位 2006年(平18)

b.単行本『劇画漂流』~このマンガを読め!第2位 2010年(平22)
※㈱フリースタイルによるマンガガイドブック

2.「劇画」を辰巳が考案した背景

(1)名称の必要性 

昭和30年代始め頃(1950年代後半頃)の時代背景として、漫画(まんが)は子どもが読むものであるという社会通念があった。自作を読者層を「非子ども、理解力のあるハイティーン以上」と想定して描かれた漫画作品であると強調するために、新しい名称が必要であった。従来の「子ども向けの漫画」との区別のた めに新しい名称が必要だった。この「新しい漫画」の名称が「劇画」である。

(2)駒画と劇画

辰巳が劇画という用語を考えつく前に、松本正彦は、辰巳と同様の理由から自作を「駒画」と呼び、当時としては革新的な技法を自作に導入していた。辰巳 による「劇画」の発案には、松本正彦の駒画の大きな影響があった。

(3)個人の使用から共用使用へ~広く開放

辰巳ヨシヒロの個人工房として「劇画工房」は存在していたが、「劇画」を辰巳個人の専売特許的な枠から開放し、辰巳を含む都合8名が「劇画工 房」を名乗って活動することになる。こうして「劇画工房」という集団で活動した事で、「劇画」の存在は広くアピールされ、徐々に「劇画」は浸透していく。 しかし、劇画」の解釈は、劇画工房同人の8人それぞれでも違っていたというのが実情であり、組織としての劇画工房の存続期間はおよそ1年間である。

(4)劇画工房に集った8名

「劇画工房」に集結した8人のメンバーは、大阪のマンガ出版社「八興・日の丸文庫」より作品を刊行していたマンガ家であり、8人全員が関西の出身である。それぞれの出生地や育った土地は異なるが、 マンガ家としての生活拠点は「大阪」「京都」「神戸」の3地域になる。

(5)貸本マンガという業界~アンダーグラウンド~オルタナティブ

東京に拠点を持つ資本力のある出版社によって発行されるマンガ雑誌は、あくまでも読者を「子ども」と想定していた。それに対して、貸本屋で貸し出され、 読まれる事を前提にして出版される「貸本マンガ」「貸本出版」というもの が存在した。これらは、出版物の流通自体が、一般的な書籍とは異なり、アンダーグラウンド的な存在であった。近年は、「オルタナティブ」という用語で「貸本マンガ」を表現する事もある。