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第11期/劇画漂流の連載と国内外での評価の高まり


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辰巳ヨシヒロ・ヒストリー 第11期 劇画漂流の連載と国内外での評価の高まり

※文中において、氏名の敬称を一部省略しています。ご了承ください。


「まんだらけ」及び「まんだらけZENBU]での「劇画漂流」の長期連載。『単行本・劇画漂流』による「手塚治虫文化賞マンガ大賞」の受賞。海外のマンガ賞を複数受賞、そして極めつけが、シンガポールの映像作家によるアニメ映画化。これらの事が、有機的に絡み合って進行した、充実した時期であったと思う。2015年3月に生涯を閉じられるまでの数年間は、体調が思わしくない期間があり、入院される事も度々あったようだ。

1.劇画漂流の連載

*「まんだらけマンガ目録」
 8号~22号(1995年3月~1999年9月)、「まんだらけZENBU」1号~33号(1999年12月~2006年12月)/ともに季刊/まんだらけ出版部/全48話(回)/全822p 

単行本青林工藝舎より刊行。
 上巻/2008年11月、下巻/2008年12月。

*マンガ(劇画)家、辰巳ヨシヒロの半世紀の自伝的青春マンガ作品である。

*Wikipediaに「劇画漂流」として詳述されている。

概要主要な舞台となる時代は1948年(昭23)から1960年(昭35)まで。単行本下巻の著者あとがきによれば、辰巳の実兄である桜井昌一の著した「僕は劇画の仕掛人だった」(エイプリル出版/1978年(昭53))は、貴重な資料となるので、原案料を払う約束を桜井と交わし、連載中の作品扉には「原案・桜井昌一」とクレジットした、とのことである。ただし、後に青林工藝舎より上下巻の2冊で刊行された際には、このクレジットは外れている。桜井昌一氏の著作は単なる資料にとどまらず、辰巳氏を精神的、社会的に支える大きな存在であったろうと想像している。

この作品中では、自身・辰巳ヨシヒロは「勝見ヒロシ」、実兄の桜井昌一(本名辰巳義興)は、「勝見興昌」として描かれるが、他のキャラクター(マンガ家、出版関係者等)は基本的に実名であるようである。しかし、何度か出てくる女性とのロマンス的な描写などはプライバシーに対する配慮があるものと想像される。

 単行本帯の次の一文が、この作品の本質を鋭く表している。

「青春劇画の傑作であり、幻の大阪マンガ出版界の存在証明」中野晴行(マンガ研究家)という

*手塚治虫文化賞マンガ大賞の受賞
第13回(2009年(平21)) マンガ大賞 の受賞/「劇画漂流」青林工藝舎(単行本化の翌年)

・手塚治虫文化賞の公式サイトより~手塚に出会い人生決断

・尚、この年の手塚治虫文化賞マンガ大賞は、「大奥」(よしながふみ)、「劇画漂流」(辰巳ヨシヒロ)の2作品である。

 

*劇画漂流(海外版)

また、この作品は海外での出版要望も高く、次のような海外版が刊行されている。巻数がそれぞれ異なるところに、出版文化の在り様が反映しているようである。

・2009年(平21)『A Drifting Life』/英語版(全1巻)
・2009年(平21)『Una vida errante』スペイン語版(全2巻)
・2010年(平22)『Hanyut』/インドネシア語版(全4巻)
・2011年(平23)『Une vie dans les marges』/フランス語版(全2巻)
・2012年(平24)『Gegen den Strom – Eine Autobiografie in Bildern』/ドイツ版(全1巻)
・2012年(平24)『UNA VITA TRA I MARGINI』/イタリア語版

2.海外での評価の高まり

青林工藝舎の劇画漂流単行本帯には次のように記載がある。

2005年アングレーム国際コミックフェスティバル、2006年、米サンディエゴ・コミック・コンベンションにて特別賞受賞。

ここだけ読むと、2000年代に入って海外での評価が急に高くなった、と思われる向きもあるかもしれない。1980年代以降、海外で注目、評価されたというのが適切だろう。 実際、劇画工房単行本のカバー裏に記載のプロフィール欄には、「80年代以降むしろ海外で評価され」とある。 また劇画暮らしの著作リストより、1980年代には次の刊行があることがわかる。

・1983年 Hiroshima(Altefact) 『地獄』フランス語版
・1984年 Que triste es la vida(Ediciones La Cepula) 『悲しい女たち』スペイン語版
・1987年 Good-Bye(Catalan Communications)『グッドバイ』英語版。

上記3冊、表題作以外に収録があるのか、その場合の作品名は?等詳細については調査中である。また、「悲しい女たち」については該当作品不明。このタイトルで描かれた作品は作品リストでは確認出来ない。女性が主人公ばかりの作品を集めた作品集につけられたタイトルである可能性もある

また、「辰巳ヨシヒロ傑作選」(ビームコミックス/2014年(平26))の解説で、呉智英氏は「1991年のフランスで辰巳の絵葉書が書店やミュージアムショップで売られていて驚いた」旨を書いている。

劇画暮らし」によれば、1978年( 昭53)にフランスのマンガ雑誌『ル・クリ・キ・チェ』に「グッドバイ」が掲載されたことが海外展開のスタートであったようである。

著書「劇画暮らし」の、1978(昭53)頃のフランスとイタリアでの作品発表に関するくだり(312p)で、次のように書かれている。大変興味深いので引用する。 

作品昭和47年から48年にかけて、一人で描き上げた96本の作品群が役に立つことになった

具体的な作品名には触れていないが、96本と具体的に数字を掲げていることから想像して、かなりの本数がフランス、イタリアで発表されたのかもしれない。

3.映画「TATSUMI」

シンガポールの映画監督であるERIC KHOO (エリック・クー)により制作されたアニメーション作品。


公式サイト

2011年(平23)開催の第64回カンヌ国際映画祭「ある視点・部門」公式選出作品。製作国はシンガポールで、シンガポール代表としての選出。この年には日本よりは、「朱花の月/河瀬直美監督」、「一命/三池崇史監督」が、共にコンペティション部門で選出されている。

「劇画漂流」を縦軸に、この映画は代表的な辰巳作品(短編5作)をオムニバス的に横軸として見せてくれる。
声の出演者は基本的に、本人役としての辰巳氏と、1人6役を熱演する俳優・別所哲也の2人のみである(他に、端役的に何名かの方が参加されている)。

『劇画暮らし』359pより引用

「今まで誰も観たことのない『動くマンガ映画』である」、と公式サイトの作品紹介には記載されているが、アニメーションと言っても、極端に動きが少なく、現在、一般の多くの日本人が考えるような「アニメ」とは、全く趣が異なる。言うまでもなく、これは、監督エリック・クー氏の高度な演出技法であり、辰巳作品の独自の雰囲気を損なう事なく「映像化」することに成功している。横軸としてオムニバス的に構成された5作品のチョイスが素晴らしい。また、この映画は、エリック・クー監督の当初の構想では、「実写映画」であったようである。

短編5作の次の作品

・地獄/HELL/「週刊プレイボーイ」集英社1971年(昭46)9月14日号、9月21日号/前後編あわせて30p
・いとしのモンキー/BELOVED MONKEY/「週刊少年マガジン」講談社1970(昭45)年8月16日号/30p
・男一発/JUST A MAN/「別冊土曜漫画」土曜出版社1972年(昭47)2月18日号/20p
・はいってます/OCCUPIED/「ガロ」青林堂1970年(昭45)6月号/24p
・グッドバイ/ GOOD-BYE/「ビッグコミック増刊」小学館1972年(昭47)5月1日号/19p

最も社会性の強い「地獄」と、個人の日常のちょっとした悲劇を哀愁込めて描く「はいってます」を両極に、描かれる人物も、若者、初老男性、そして娼婦とバラエティに富み、辰巳作品の魅力が最大限に味わえる5作品となっている。

上で書いたように、当初、この映画化を、エリック・クー監督は実写映画として構想していたようだが、このアニメーションの完成度は認めた上で、実写映画も見たかったというのがハクダイの素直な意見である。「おれのヒットラー」の映画化のオファーがドイツからあった……。今、手元に資料が見つからないので、若干曖昧だが、そんな話をどこかで読んだ記憶がある。

4.劇画暮らし

 辰巳ヨシヒロ本の雑誌社/2010年(平22)10月/B6判 

その後、文庫版化
 辰巳ヨシヒロ角川文庫/2014年(平26)10月/A6判(文庫版)(電子書籍もあり) 

 Amazonの「劇画暮らし」の内容紹介がわかりやすいのでそのまま引用する。

かつて一世を風靡しながらも、正史の陰に隠れてしまった「劇画」の流れ。その中心人物・辰巳ヨシヒロはなぜ劇画を描き、それが近年海外で高く評価されているのか。まんがの傍流の中で生きてきた男の自伝!

マンガ「劇画漂流」が1960年(昭35)までの事を描いているのに対し、こちらは2010年(平22)の事まで書かれている。1960年までの出来事は「劇画漂流」の内容と重なるが、貸本マンガ時代に関しては図版が多く、その点、「劇画漂流」の副読本として有用である。 

本書の章立ては次のようなものとなっている。カッコ内は概算のページ数。尚、実際には「章」という言葉はなく、算用数字のみの記載だが、便宜上、「章」とする。

1章.手塚治虫に会った(70)
2章.貸本まんがの世界へ(50)
3章.『影』とまんが青年たち(50)
4章.劇画誕生(65)
5章.劇画工房狂想曲(60)
6章.終わりなき劇画暮らし(60)
あとがき 辰巳ヨシヒロ著作リスト(4)

「劇画漂流」に描かれているのは5章.劇画工房狂想曲、の半分過ぎくらいまでの部分になる。5章は、ヒロ書房の出版活動を約1200万円の借金を残しながら終える1971年(昭46)までの事について書かれており、「劇画工房・時代」の事は前半部分なので、章を改めた方が良かったのではないかと個人的に思う。

終章である6章は、若干駆け足感が強い印象だが、次のような事が書かれている。一部をそのまま引用する。

昭和47年から同48年にかけての二年間で、次々と迷い込んでくる仕事96本の読みきり作品を一人でこなした。まるで劇画ブームに突入した頃の貸本時代の状況が再現されたかのようだった、、嬉しいことにヒロ書房の借金は、この期間中に完済することが出来た。

*多数の読みきりをこなした(昭和47~48年)

*複数人のアシスタントの協力の下、週刊誌連載を行うなど、商業作家として多忙を極める(昭和49~54年)

*ヨーロッパで作品を発表するに至る経緯(昭和53年~ )

*手塚治虫とのヨーロッパ2人旅~フランス・アングレームBDサロン(昭和57年)

*「ヒロシマ」(「地獄」の海外版タイトル)の映画化オファー

*マンガ専門古書店「ドン・コミック」の開店と閉店

*「太陽を撃て!」の週刊読売連載

*「ゲゲゲの鬼太郎」週刊少年マガジン連載の制作に作画アシスタントとして参加する。

以下に引用する。

昭和61年。『少年マガジン』に『ゲゲゲの鬼太郎』の連載が再スタートすることになり、水木しげるから、作画を手伝って欲しいという要請があった。不死身の鬼太郎は何度でも蘇る。水木作品の奥義を探る絶好のチャンスと、ぼくは『ゲゲゲの鬼太郎』制作に参加させてもらった。毎月、三週分の下絵の構図を描き、人物を入れる。これは楽しい仕事だった。しかし、連載は約一年で終わってしまう。

*エリック・クー監督(シンガポール)からの映画化のオファーと、映画プロジェクトの立ち上げ式への参加