辰巳ヨシヒロ・ヒストリー 第9期 独自のポジションにある作家として
※文中において、氏名の敬称を一部省略しています。ご了承ください。
第一線で活躍していたとは言いがたいが、「地獄の軍団」「太陽を撃て」などの連載を持ち、興味深い活動をしていた時期である。作品数が極端に少なくなってきている時期だが、マンガ業界の流行の速さ、商業作家の厳しさを考えれば、十分に「活躍していた」と言って差し支えないだろう。
1.地獄の軍団
*連載
辰巳ヨシヒロ/漫画サンデー/実業之日本社/1981(昭56).4.21号~1982(昭57).6.29号/1339p
*単行本
辰巳ヨシヒロ/マンサンコミックス全6巻(1982(昭57).10~1983(昭58).10) /実業之日本社/以下各巻の収録話数1巻(9)、2巻(1)、3巻(10)、4巻(10)、5巻(10)、6巻(11)/全60話/週刊連載で全60回に及ぶようである
週刊連載、商業性をクリアするには、ある程度の「分業制」が必要になってくるだろう。ネズミに育てられた人間がネズミを自由自在に操るというアイデア自体はとても面白いので、他の作家さんにリメイクしていただくのもありかもしれない。
2.SFもどき
*連載
辰巳ヨシヒロ/漫画サンデー/実業之日本社/1983(昭58).1.11(18)号~1983.4.12号/全13回(話)/270p
*単行本
辰巳ヨシヒロ/マンサンコミック全1巻(全13話収録)/実業之日本社/1983(昭58).8.19発行/著作リストでは上に記したように270pであるが、この単行本は、約240p。著作リストの記載ミスなのか?実際には、未収録ページ(話)があるのか?
貸本マンガ末期に、辰巳がSF物を少ないながら手がけていた事を唐沢氏は承知していないようだが、なかなか示唆に富む文章で、全13話を丁寧に解題している。SFマニアでもある唐沢氏にしてみれば、元ネタや類型作を提示することはお手のものなのだろう。結果、見事な解説となっている。
辰巳作品の古臭いところが懐かしくて良い、というニュアンスで、ネガティブな評価ととらえる事も可能だが、古臭くなるのがSF物の宿命だとすれば、辰巳作品は逆に古臭さを逆手にとって、独自の味が生まれているともいえる。
3.太陽を撃て
*連載
辰巳ヨシヒロ/週刊読売/読売新聞社/1984(昭59).7.29号~1985(昭60).3.31号/全35回/総ページ数560p
内容について、著書「劇画暮らし」では次のように書いている。
この時期について、辰巳氏が書いている部分を引用する。
長年構想を練っていた作品「地獄の軍団」を連載するが、発想から10年が経っており、時代の流れに勝てず。(テーマはヘドロなどの公害問題からヒント)苦痛となる。
1982年(昭57)
連載がなくなったのを機に、手塚治虫とヨーロッパへ2人旅。フランスのテレビで『劇画』の手法について説明。日本のマンガは映画を超えている、と絶賛される。再び、、ヨーロッパへ。2年前に作品を見せたくれた数人のマンガ家志望の青年たちが、劇画的テクニックを使った作品を持って会いに来てくれた。感動した!!
1984年(昭59)7月
ヒロ書房を株式会社ヒロ企画と改名、同時に神田神保町にマンガ専門古書店ドン・コミック開店。
◎ドンコミックについて
記憶が曖昧になっているのだが、藤子不二雄Ⓐ氏原作の「笑ゥせぇるすまん」のテレビドラマ(伊藤四郎主演)で、古書マンガコレクターを扱った回があり、ドンコミックの店舗が撮影に使われた事がある。辰巳氏自身が出演していたかどうかについては、機会があれば再調査したいところである。
◎水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」の制作スタッフとして
当時、まだ学生であったハクダイは、同級生が読んでいるマガジンを何となしに見て、まさに辰巳氏の線が鬼太郎に出てきたのでビックリしたものである。「絶対、辰巳だよ辰巳だよ」と1人興奮した。ドン・コミックで店番をされていた辰巳夫人エイ子さんに、「今、マガジンでやっている水木さんの鬼太郎、辰巳先生が手伝っていませんか?」と不躾にもお伺いした事を思い出す。
エイ子さんの回答は「YES」。この一件は「業界の秘密」だろうと考えたハクダイは、誰にもこの件については一切口外しなかったのだが、実際、気づいた人は少なからず居たようである(青林工藝舎 アックスNo.61号,2008年収録の辰巳ヨシヒロインタビュー,221p)。後に、「劇画暮らし」で辰巳氏がこの件について(公式に)書いている。
辰巳ヨシヒロ・ヒストリー 第10期 仏教マンガの制作
鈴木出版の仏教コミックスシリーズ
1.シリーズ概要
原作ひろさちやによる仏教をテーマとしたマンガ全集(シリーズ)であり、全108巻(冊)から構成される。別巻として1巻(冊)「まんが仏教語辞典」がある。刊行開始は1989年3月(平成元年3月)から、1997年9月(平成9年3月)までの足掛け9年に及ぶ。刊行は3ヶ月ごとに3冊同時発売(3、6、9、12月)の予定となっていた(実際にスケジュール通りに刊行されたかは未検証)。電子書籍化も行われており、平成27年4月現在、ほぼ全ての作品が電子書籍化されている。
本巻の108巻は7つのシリーズで構成されている(おシャカさまとともに、ほとけさまの大宇宙、など)。
本巻の108巻には、総勢18名のマンガ家が執筆している。別巻の刊行は1997年(平9)12月で、本巻に執筆したマンガ家のうち8名が参加。
執筆陣18人それぞれの、執筆巻数は、1人あたり、1冊から14冊と大きく異なる。 最も執筆巻数が多いのは阿部高明の14冊、最小は久松文雄、わたなべまさこ等の1冊。
辰巳ヨシヒロは8作品を足かけ約10年(1988年(昭63)~1997年(平9))にわたって制作、刊行している。
●すずき出版 仏教コミックスの公式サイト
②仏教コミックシリーズ(電子書籍版)の案内
2.仏教コミック~辰巳作品について
*辰巳氏は、全体の7%程度の全8冊(巻)を執筆した。
*辰巳氏にとって、一番最初の刊行は1989年(平元)12月、最後の刊行は1997年(平9)6月で、足かけ9年の仕事だった。
*製作クレジットには、原作、漫画、シナリオの担当者が表記されており、基本的にはシナリオ担当者がいるようだが、辰巳氏が「マンガ」と「シナリオ」を両方担当している巻もある。
辰巳ヨシヒロ-仏教マンガシリーズ ← クレジット一覧
◎個人的な思い出
この仏教コミックスを執筆していることについて、辰巳氏は自嘲気味に「マンガ家の養老院と言われてますよ」とおっしゃっていたのを懐かしく思い出す。小学生向けの学習マンガの類いでは、第一線を退いたマンガ家が作画を担当する傾向が少なからずあるという状況を踏まえての発言だろう。どのような内容の仕事であれ、常に前向きに取り組むマンガ家の先生方には敬意を払いたい。ちなみに、この仏教シリーズは、基本的におとな向けの企画だろうが中学生でも十分読みこなせるような配慮が企画の段階であるように思う。
各作品の内容の詳細は、電子書籍版のサイトなどを参照していただき、ここでは、辰巳ヨシヒロ作品としての見所を書くことにする。シナリオを辰巳氏自身が担当している場合と、別にシナリオライターがいる場合がある。また、原作は全8作、ひろさちやである。
①歓喜天 愛欲の神
シリーズNo.24/ シリーズ内分類(ほとけさまの大宇宙) /初版第1刷発行1997(平8).6.20/シナリオ( 西田りほ)
解説インドの神様ガネーシャ(人間の体に象の鼻、4本の腕を持つ)、このガネーシャについては、2007年(平19)に刊行され、ベストセラーとなった書籍「夢をかなえる象・水野敬也著」で知った人も多いのではないだろうか。かくいう私自身がそうである。そのインドの神様「ガネーシャ神」は日本に伝えられ、日本の仏教に取り入れられて「歓喜天 カンギテン」と呼ばれた。正しくは「大聖歓喜自在天/ダイショウカンギジザイテン」、略して、「歓喜天/カンギテン」、「聖天/ショウデン」、「天尊/テンソン」。 あらすじ物語は19世紀初めの日本、江戸時代は「化政時代」。腕はいいが遊び人の大工の末吉と、長屋の小町娘と呼ばれた器量良しの世話好きの恋女房おみつ、の夫婦は仲睦まじく暮らしていた。毎晩のバクチ場通いに、授かるものも授からないと、不満なおみつではあったが、幸せな日々を送っていた。ある日、聖天さまのお守りを買ってみた末吉だったが、バクチで大勝ちし、その後は、信じられないような幸運(バクチ大勝と富くじ当選)が続く。しかし、末吉は、どんどん大きく注ぎ込んで、結局は、全てパアにしてしまう。おみつは、おなかに子を宿したまま、書置きを残して家を出てしまう。和尚に、おみつの死を知らされた末吉は、修行して心を入れ替えようとする。末吉が修行を始めたその寺の御本尊は、「歓喜天」・「聖天さま」であった。ネタバレになるので結末は書かないが、ある有名な落語ネタに近いハッピーエンドとなっている。
②大日如来 宇宙のほとけ
シリーズNo.32/シリーズ内分類(ほとけさまの教え) 初版第一刷発行1992(平4).10.8 /シナリオ(鷺山京子)
解説シナリオの完成度、辰巳氏の画力の高さにより、説得力のある作品となっている。「密教」というものを理解するには最適なテキストであると断言できる。 あらすじ商事会社の出世コースから外れてしまい、今は社員食堂の管理という、屈辱的ともいえるような立場におかれた松井さん。松井さんこそ、密教形人間であると言う人がいるのだが……。
③ 密教のはなし
シリーズNo.4/シリーズ内分類(5ほとけさまの教え)/ 初版第一刷発行1994.1.8 /シナリオ(辰巳ヨシヒロ)
概要中学生のタケシ、その友人の鉄二、タケシの父、タケシの祖父と、4人が主要キャラクター。タケシの通う中学校では、大木の下で瞑想する老人が、空中浮遊する超能力者だという噂で持ちきりだった。はたしてその老人の正体は?そして空中浮遊の謎とは?ストーリー性は極めて希薄で、タケシと鉄二が、おじいさんから密教について丁寧に教えてもらうという展開。タケシの父は、勤務先の会社での処遇に不満があり、やり切れない思いを抱えていたが、おじいちゃんの語る密教の教えを聞くうちに、気持ちも晴れていく。結局は、空中浮遊する超能力者の噂の真贋のほどがあいまいなままラストを迎えるが、このあたりが辰巳作品らしいともいえる。
おじいさんが語る言葉、「宗教においては目的より手段のほうが大事なのだ。密教においても、ほとけになることより、毎日毎日をほとけらしく生きることの方が大事なのだ」に得心がいく。「漫画・シナリオ 辰巳ヨシヒロ」とあり、他にシナリオライターは関わっていないようだ。密教の入門書としては、理解しやすさと適度な情報量で、上記②同様に完成度が高い。
④修験道のはなし
シリーズNo.55/ シリーズ内分類(ほとけの道を歩む)/ 初版第一刷発行 1990(平2).1.8/シナリオ(此経啓助)
解説登校拒否の高校生が、山伏と呼ばれる修験者が行う修験道の修行に参加する事で力強く成長していくというのがストーリーの骨格である。UFO好きの修行仲間が出てくるのは辰巳氏のアイデアだろうか?と勝手に想像してしまった。連作「SFもどき」で見せたような、昭和スタイルなUFOが随所に見られる。奥深い山々を徒歩で踏破する、奥がけ、山がけ修行の厳しさが詳細に描かれるが、アクション風の派手な見せ場はないものの、飽きることなく内容に没頭できる作品である。
⑤ダルマ大師 禅を伝えた僧
シリーズNo.61/ シリーズ内分類(仏教を伝えた人と道)/ 初版第1刷発行1991(平3).4.8 /シナリオ(辰巳ヨシヒロ)
解説都議会選挙に立候補するおじさんのために選挙運動の手伝いをする大学生の貴史(たかし)が、選挙事務所に置いてある当選祈願の大きなダルマの存在にインスパイアされて、実在のダルマについて調べるという構成がわかりやすい。7~8割程度が達磨大師(だるまだいし)の実際の生涯をたどっているが、貴史の生活ぶりも、ていねいに描かれている。ダルマ様の造形が、さすがというしかしかない出来。辰巳作品でこのダルマ様のキャラクターの類型を探すのは困難である。⑥最澄の生涯
シリーズNo.77/シリーズ内分類(仏教に生きた人たち)/初版第一刷発行1994(平6).9.20/シナリオ(香衣りつ子)
解説全ての人を救いたい……そう願う、最澄の純粋な気持ちに心打たれる。比叡山延暦寺を創建し、天台宗を樹立、大乗仏教を日本に定着させた……最澄に関しては、歴史の授業に必ず登場する重要人物だが、いま一つ、人となりが見えてこない、というのが多くの人にとっての最澄像であろう。辰巳氏の描く最澄像は、聡明で争いを好まず、民の幸せを第一に考える、優しいが芯の強さを感じさせる、まさに名僧の風格と親しみやすさを兼ね備えている。辰巳氏の確かな手によって、とても身近に感じられる存在となっています。最澄と同時代人である空海との確執についても触れられていて、当時の仏教界の世の中への影響力の大きさについても知ることが出来る。⑦ 栄西の生涯
シリーズNo.80/シリーズ内分類(仏教に生きた人たち)/初版第一刷発行1995(平7).6.20/シナリオ(太野よし子)
解説栄西(えいさい、が一般的だが、ようさい、とも読む)は、日本に茶を広めた茶祖として名高いのだそうだ。ハクダイは全く存じ上げなかった。栄西は、禅宗の普及に大きく貢献した僧である。仏教界にも政治的な権力闘争のようなものが多分に存在したことが理解できる内容となっている。北条政子が栄西を重用したというのはこの作品で初めて知った。辰巳氏が描く北条政子は派手派手しくないが凛とした存在感があり、魅力的なキャラクターに仕上がっている。⑧空海の宇宙
シリーズNo.85/シリーズ内分類(仏教に生きた人たち)/初版第一刷発行1996(平8).9.20/シナリオ(森純夫)
あらすじ日本に留学しているジョンは、東洋哲学を専攻している。論文「空海の宇宙」を書き上げ、学界デビューを控えて有頂天になっている。しかし、ハンバーガーショップで、見知らぬ中年男が大事な論文にコーヒーをぶちまけてしまう。中年男はいかにも怪しげな雰囲気であったが、意外なことに、密教や空海について妙に詳しく、ジョンの論文の直しを手伝ってやると言う。そして、怪しい男と過ごすうちに、空海と密教について理解を深めていくジョンであった……。ネタバレになるので、結末は書かないでおくが、「怪しい男」の正体が最後に明かされる。この作品にはシナリオライター(森純夫)がついているが、SFテイストなオチは辰巳氏のアイデアのような気がする。