辰巳ヨシヒロ・ヒストリー 第6期 独自の人間ドラマの構築(準備期間)
※文中において、氏名の敬称を一部省略しています。ご了承ください。
貸本時代末期の作品については、辰巳ヨシヒロらしいユーモアと諦念があふれていて、なんともいえない魅力を湛えた作品が多いことについては、第5期の最後に触れた。借金を返済しなければならない「生活者」としても、マンガの革新を目指した男としても、ここで終わるわけにはいかなかった、いや、終わるわけがなかった。
辰巳本人制作の年譜より引用
1968(昭43)/33歳
久々に「劇画ヤング」という二流誌からの連載依頼。気の入らない仕事だったが、担当編集者Yが優秀だった。Yと共に毎回の作品ごとにディスカッションし、新境地に開眼させられる。
(1)著書「劇画大学」
辰巳ヨシヒロ/1698年(昭43)1月発行/㈱ヒロ書房/A5判/300円
この本の内容については、あまり知られていないように思われるので、内容を下記に紹介しておく。尚、青林工藝舎アックス61号・劇画生誕50周年記念(2008年)に、図版が一部紹介(同書収録辰巳ヨシヒロインタビュー218,219p)されている事を付記しておく。
このインタビュー中、辰巳はこの「劇画大学」は9割ぐらい返品だった旨が発言している。
●「劇画大学」基礎情報
・執筆時期:1967年11月
・発行日(書籍奥付):1698年1月
・表紙に記載されたテキストが興味深い。副題に「劇画の謎をさぐる」、キャプションに「誰もが待っていて、誰もが出せなかった劇画の入門書」とある。また、著者名「辰巳ヨシヒロ」の前には「実験劇画工房」とある。
*まえがき(全3p)
*第1章 劇画の歩み(全26p)
自らの体験を軸に時系列的に、以下の点について詳述している。
・貸本屋の存在
・雑誌形式の短編誌「影」と「街」の創刊
・上京
・劇画工房の結成と分裂
・劇画工房メンバー以外の作家による「劇画」について
*第2章 劇画家のプロフィール(全12p)
・辰巳氏が劇画家に直接お会いし、作家それぞれの「劇画観」を辰巳氏自身で取材、編纂。「劇画家のプロフィール」となっているが「全てが劇画家ではなく、劇画も描きうる人や、マンガと劇画をかいている人も含めた」と辰巳氏のコメントがある。
・作家のバストショット写真が付されている。
・収録作家は次の通り。
*第3章 作品集(全45p)
この3作品のチョイスが、非常に興味深い。
*第4章 劇画のテクニック(全6p)
アイデアを出し、実際の制作までについて述べている。章タイトルから、ペン選びから、人物や背景の描き分けなどの実践的な微細なテクニックを期待する向きもあるかと思うが、制作の流れが、簡略にまとめられているに過ぎない。が、次のような興味深い文もある。
引用(p94)
要するに、時代の変遷につれて「劇画」の解釈が変わっていくだろう、という事であろう。自ら提唱した「劇画」であるが、冷静に状況の変化を認識している。
*第5章 劇画問答(全20p)
問・答の形式で、劇画について解説している。
項目としては、「劇画以前の劇画」、「劇画と劇画工房」、「劇画とマンガの存在位置」、「劇画とマンガはどう違うか」
・*第6章 劇画その他(全21p)
資料編的な内容となっている。
①単行本出版社の紹介(4p)
出版社の簡単な紹介と刊行作家名が記載されている。
紹介されている出版社は以下の通り
②劇画年表(8p)
1946年(昭21)~1967年(昭42)までのマンガ年表。
参考資料として次の記載がある。
③劇画星座(2p)
漫画家・劇画家の関係を図示したものだが、厳密さに欠けるきらいがある。あくまでも目安と考えるべきであろう。ハクダイはこの星座を読み解く力量を持ち合わせていないが、興味深くはある。
④住所録(2p)
辰巳氏本人を含め、52名の漫画家(劇画家)の住所が50音順に記載されている。個人情報保護などあまり叫ばれていなかった、今より大分のんびりした時代であったことがうかがえる。
劇画工房に名を連ねた全8名については全員の記載がある。この住所録に取り上げた「マンガ家」の基準は何だったのだろうか?手塚治虫は別格だが、石森章太郎、桑田次郎、ちばてつや、横山光輝の名前には幾分かの違和感をハクダイとしては感じるところである。
⑤辰巳ヨシヒロ作品リスト(全4p)
辰巳氏の几帳面な性格は、この当時から既に発揮されている。
*あとがき(全3p)
「劇画大学」刊行の時代背景
・劇画大学の刊行時期:1967~1968年(昭42~43)
・読者対象を「少年」ではなく、「青年」あるいは「成人」としたマンガ雑誌の刊行が相次いだ時期であった。
・1967年(昭42)8月 双葉社「週刊漫画アクション」創刊
・1968年昭43)4月 小学館「ビッグコミック」創刊
・1967年(昭42)9月 さいとう・たかを「無用ノ介」週刊少年マガジン連載開始
・読者対象を高校生以上ないしは18歳以上の男性にターゲットを絞ったマンガ雑誌が登場し、貸本マンガを補完するような状況が整ったといえるだろう。大人の鑑賞に堪えうるストーリーマンガの発表媒体が整備された。
そして「劇画」という用語がようやく一般社会にも浸透してきた時期と思われる。
(2)「劇画ヤング」に発表された作品
①担当編集者Yの功績
年譜によると、辰巳ヨシヒロが1968年(昭43)にマンガの仕事をしたのは明文社の「劇画ヤング」のみであった。
「劇画ヤング」に掲載された作品群は、辰巳ヨシヒロ作品を考える上で、極めて重要な位置にあると考えるが、単行本収録は限定的で「埋もれ感」が強い。
担当編集者Y氏の影響力は大きかったようで、後年、辰巳氏はその件について自著「劇画暮らし」で、ほぼ1ページ近くを費やして語っている。全文を引用しておきたいが、長くなるので割愛するが、「ぼくはYのおかげで、見失っていた劇画の可能性に再び開眼することが出来たと思っている」とまで書いている。
Yはページの連載のために通ってきて、作品の下絵の段階から徹底的にチェックし、余計なフキ出しやコマはギリギリまで排除し、結果、一本まるまるフキ出しなしのパントマイム作品まで書いた、とのこと。尚、Y氏については、「大発見年譜」では「Y」というイニシャルのみだが、後年の「劇画暮らし」では名字まで書いている(ここではYとさせていただいた)。
②8ページの小編17本
ヒロ書房『ナポレオンブックス』(B6判)の「人喰魚」には作品の初出一覧が付されており、「劇画ヤング」掲載作品が17編収録されている。1968年(昭43)の8月号から1969年(昭44)の4月号までで、毎月2作ないしは1作が掲載されていたようだ(オリジナルの雑誌は未確認)。年譜には15作品についてしか記載がないが、これは、単なるミスによる抜け落ちだと考える(『女装』と『消毒』が抜け落ちているようだ)。
8ページと短めのページ数だが、3段のコマ割りが基本のA5判貸本での発表では無く、B5判雑誌での発表であるので、その分ページあたりのコマ割数が多くなっており、単純には比較出来ない。A5判の貸本マンガでのコマ割に換算すると20~30pくらいの内容になると思われる。
ハクダイはオリジナル雑誌を直接確認できていないが、これら17作は「シリーズ失われたものの世界」として、短編の連作的に連載されたようである。
(3)江戸五郎名義での時代物
上記(2)の17作品とは発表時期が前後するが、1968年(昭43)の前半に「江戸五郎」名義の作品として、時代物を制作~発表している。
雑兵の首、城主二人、秘剣鳥立ち、忍者城無残、忍法乱れ蝶の5編で、5編(作品)全て、ヒロ書房・第一文庫の新書版シリーズ『第一ジュニア・コミックス』の「忍者火山」に収録されている。
『雑兵の首』については初出の「劇画ヤング」に当たることが出来たが、興味深いのは、新書版掲載分と「劇画ヤング」初出分とでコマのページ割が異なる点だ。コマ割り(大きさ)の変更に合わせて、若干の追加や削除も確認される。
また、2014年に刊行された『辰巳ヨシヒロ傑作選』のあとがきでは次のように書いている。
引用
引用文中の新シリーズが「シリーズ失われたものの世界」である。